新雑誌『レヴィジオン〔再審〕』のページ

2号が発刊しました。書店には雑誌扱いではなく書籍として配本されますので、人文書の棚を「超克と抵抗」という特集タイトルでおさがしください。ご注文の場合も、その方が間違いないかとおもいます。

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資料

●新雑誌創刊のお知らせ
●栗原幸夫氏に聞く



























    
近況のご報告と新雑誌創刊のお知らせ


  季刊『aala』の刊行についてはひとかたならぬご協力をいただきありがとうございました。昨年2月に終刊号を出して残務整理にかかり、ほっと一息つくうちにはやくも一年がたとうとしています。ところがなんと、これで雑誌などという目まぐるしい仕事は、もう二度とやることはないだろうと老人らしい暮らしを夢みている私を嘲笑するかのように、とつぜん社会評論社の松田社長から、財政と営業は自分のところで責任を持つから『aala』をもう一度やらないか、という申し出が飛び込んできたのです。条件はただひとつ、編集についての責任は栗原ひとりが持つということでした。たいへんありがたい申し出ではありますが、自分の年齢を考え迷いに迷いました。そして二ヶ月をこえる話し合いの結果、年2号程度の間隔で刊行するムック形式のメディアにするということで、引き受けることにいたしました。
 しかしながら、『aala』は本来は日本アジア・アフリカ作家会議の機関誌から発展した雑誌でしたから、その名前を私の単独編集である今回の新雑誌が踏襲するのは適当でないと考え、新誌名を『レヴィジオン〔再審〕』とすることにいたしました。自由主義史観に代表されるような歴史の修正ないし語りなおしにたいし、たんに既成の左翼性をまもるのではなく、われわれもまた歴史の「再審」という戦場におもむき、そこで真の思想的な対抗線をつくりだしたいという願いに発しています。ワルター・ベンヤミンは『歴史哲学テーゼ』のなかで「過去を歴史的に関連づけることは、それを『もともとあったとおりに』認識することではない。危機の瞬間にひらめくような回想を捉えることである」と言っています。この一節に深く共感してきた私にとって、歴史はつねに「いま」から読み直されるべきものです。そのような意味では、再審こそが歴史であり、人間の理念の歴史はこの再審をめぐる階級闘争の歴史だと言えるとおもいます。
 『レヴィジオン〔再審〕』の創刊号は、特集「戦後論存疑」として5月に刊行の予定です。阪神大震災とオウム事件ではじまった戦後五十年以後のこの国の戦後は、日米防衛協力の指針(新ガイドライン)に象徴されるような一連の動きによって、「戦後国家」の超克に向かってのあたらしい一歩をふみだそうとしています。そしてこのような状況は私たちに、あらためて「戦後」についての言説の系統的な読み直しを要求しています。一連の戦後否定論がある種のリアリティーをもち、一連の戦後(民主主義)擁護論があたかも空論であるかのような印象をあたえる現在の倒錯は、いったいどこに根拠があるのだろうか。私たちは、この相対立する両者をともに再審に付すことなしには、五十年以後の戦後と冷戦以後の世界を読み解くことが出来ない地点に立っています。まさに、あらゆるものにたいする再審こそがもとめられているのであり、その再審をとおして、相対峙する思想の分割線をひき直すことがもとめられているのだと思います。
 この雑誌(ムック)は一応、私一人の責任編集というかたちをとりますが、『aala』の場合と同様に多くの方々の協力なしにこのような雑誌が実現できるとは、夢にも考えておりません。企画に編集に、そして執筆に、『aala』の際にいただいたお力添えを思い起こし、それにまさる一層のご協力をこの新雑誌にもたまわりますように、こころからお願いするしだいです。

   1998年1月1日
                                       
 栗原幸夫