戦後論存疑

『レヴィジオン〔再審〕』No.1

存疑 ソンギ(十分に解明できず)なお疑問が残っている
                (『岩波漢語辞典』)


 私たちは何処からきて何処へ行こうとしているのか? このような問いを掲げることにいまの私たちはひどく臆病になっている。しかしそれでもなお、私たちは世界について語ることを始めたいとおもう。もちろんそれはひとつの図式として世界史を描くことではないし、イデオロギー的立場からの自分の信条を吐露することでもない。それはまずなによりも、今日の時点をふまえて二〇世紀とわれわれの「戦後」の経験を再点検することから出発する。しかもその経験は、粉砕されて統一性を失い断片として散乱している。
 このような経験の断片化と散乱を生み出した原因は、言うまでもなく目標(テロス)の消滅にほかならない。二〇世紀が「歴史の必然」とその必然性の結果としての社会主義という「目標」につよく呪縛されていたことはあらためて言うまでもないだろう。それはソ連の崩壊を眼前にした一部の人が、それを「歴史の終焉」とはやとちりしたことによく示されている。「歴史の終焉」論は「歴史の必然」論のメダルの裏側なのである。しかしながらソ連の崩壊から五年以上の年月を経過した現在では、「歴史の必然」論もこの「歴史の終焉」論もともに現実性を失ったたんなる虚偽意識でしかないことが自明のこととなっている。経験を束ね、全体の布置を描いてみせるような中心は、イデオロギーとしてさえももはや存在しない。われわれが手にしているのは、時代の腐蝕感と暗闇のなかの曲がりくねった道を歩んでいるという感覚だけだ。
 そのようななかで私たちに必要なことは、二〇世紀とわれわれの戦後を、ひとつの完結した物語として語ることではなく、この散乱した経験の断片を拾い集め、細心の注意をもってそれを解読し、「目立ちながら気づかれないもの」や「気づかれないまま目立っているもの」を形象として現前化することなのである。そしてそれらがひらめくように喚起する回想のなかから「もはや意識されていないものを、まだ意識されていないもののなかへ組み入れること」(ブロッホ)なのである。なぜなら未来は過去を透してしか見ることができないからだ。
 私たちがあえて「レヴィジオン〔再審〕」という言葉をえらんだのも、このような問題意識にたち、「戦後」的価値にたいするさまざまな修正の試みにたんに原理主義的に対応するのでなく、われわれもまた歴史の「再審」という戦場におもむき、そこで真の思想的な対抗線をつくりだしたいと考えたからだ。
 はじめにも述べたように、阪神大震災とオウム事件ではじまった戦後五十年以後のこの国の戦後は、日米防衛協力の指針(新ガイドライン)に象徴されるような一連の動きによって、「戦後国家」の超克に向かってのあたらしい一歩をふみだそうとしている。そこに露呈してきたこの国の姿は、あらゆる分野における言葉を失うほどの自主性の喪失にほかならない。そしてこの「糞土の牆(かき)」にヴェールをかぶせるように、「自由主義史観」と称するナショナリズムがマスメディアを動員して宣伝されている。
 このような状況は私たちに、あらためて「戦後」についての言説の系統的な読み直しを要求している。一連の戦後否定論がある種のリアリティーをもち、一連の戦後(民主主義)擁護論があたかも空論であるかのような印象をあたえる現在の倒錯は、いったいどこに根拠があるのだろうか。私たちは、この相対立する両者をともに再審に付すことなしには、五十年以後の戦後と冷戦以後の世界を読み解くことが出来ない地点に立っている。まさに、あらゆるものにたいする再審こそがもとめられているのであり、その再審をとおして、相対峙する思想の分割線をひき直すことがもとめられているのだ。
 それいがいに私たちが思想らしい思想を自前のものとして再建する道はないだろう。
           ――巻頭言「戦後論存疑―併せて「再審」について(栗原幸夫)より――


目 次

戦後論存疑

戦後論存疑・併せて「再審」について(栗原幸夫)
「ねじれ」を解く―戦後国家をどう超えるか(武藤一羊)
終わらぬ夜としての戦後―加藤典洋『敗戦後論』の問題(池田浩士)
〈占領民主主義〉の神話と現実―原爆・天皇制・「安保」「国体」新憲法(天野恵一)
鮎川信夫と二つの途絶―「アメリカ」と「戦争責任論の去就」をめぐって(細見和之)
『近代文学』という不自由な「私」―Ecce Ego(長原豊)

「戦後」への視点

歴史を書きかえるということ―竹内好を読み直すために(鵜飼哲)
微かな、しかし大きな移動―『戦後日本の大衆文化史』(鶴見俊輔・著)をめぐって(平井玄)
無力さ、ということ(雑賀恵子)
カナファーニーと「われわれ」(岡真理)
民族・植民地問題への覚醒―朴慶植著『朝鮮人強制連行の記録』に触れて(太田昌国)

展望

「総力戦体制」研究をめぐるいくつかの疑義―システム社会論の視座からの総力戦体制分析に関して(崎山政毅)
植民地は消え、そしてわれらは―川村湊『満州崩壊』をめぐって(野崎六助)
自律の実践的根拠―アントニオ・ネグリ『支配とサボタージュ』をめぐって(小倉利丸)

論考

金石範のマジック・リアリズム―『火山島』論(野崎六助)


戦後論存疑
レヴィジオン〔再審〕
第1輯

A5判250ページ
定価 2200円+税

発行 社会評論社
東京都文京区本郷2-3-10 お茶の水ビル
電話 03(3814)3861