「超克と抵抗」特集について


 第2輯は、「超克と抵抗」を特集します。 
 現在を過去のある時代とアナロジカルに語ることに、わたし自身は慎重であるべきだという考えをもっておりますが、しかし同時に、過去の事例を想起し、その徹底的な「再審」をつうじて「われわれの現在」の像に歴史的な厚みをもたせることは、そこから未来に向けての課題をみちびきだすうえで、きわめて重要な作業になると信じています。ですからここで、総力戦体制下の「近代の超克」と「抵抗」の問題をとりあげるのも、その関心の基礎に「現在」が横たわっていることは言うまでもありません。そしてその「現在」とは、日本の戦後システムの終り=崩壊と、二〇世紀の終りとが、二重写しになってわれわれに迫ってきた現在です。
 二〇世紀という時代の課題の中心が「近代を超え出ること」であったとすれば、またその二〇世紀は、日本においては「真の近代を実現すること」をも課題としました。われわれにとっての二〇世紀とは、このあたかも背馳するかにみえる二重の課題に拘束され、思想的にも実践的にもくりかえされたジグザグの道でした。一九三〇年代の後半から四〇年代前半にいたる一〇年余の時代は、まさにその二重の課題の解決が「戦争」によって現実的に迫られた時代でした。そこに積み重ねられたさまざまな試み、――それをここで具体的に数えあげることはしませんが――そしてその大部分が、失敗と挫折に終わった試みから現在的に何を学び取ることができるか、これがこの時代を再審するモチーフです。結果的には戦争協力に、さらに翼賛にと転落した試みを、ただその事実を指摘することで、つまりその失敗と挫折を確認することで終わらせてはならない。それは「なぜ」失敗し、「なぜ」当初の意図に反して協力と翼賛へと転落したのか、その「なぜ」を明らかにすることこそが、あの時代を現在に生かすことだと思います。
 ここ数年の間にさかんになった総力戦体制研究の成果に、わたし自身は大変刺激を受け教えられるところが多かったのですが、しかし不満も残りました。敗戦三年目の年に開始されたおそらくはじめての戦時体制研究である共同研究「日本ファシズムとその抵抗線」(『潮流』連載、その一部はわたしの編集した『近代の始まり』、「コメンタール・戦後五〇年」、社会評論社刊に再録されています)はもちろん、その後のたとえば竹内好の「近代の超克」など、総力戦体制にかかわる言説がもつ緊張感が、その資料の博捜と精緻な分析にもかかわらず、すくなからぬ論者において希薄になっているのではないか。その結果、総力戦体制論にかならず表裏をなして並行してきた「戦時下の抵抗」という問題への関心が、かならずしも正当に位置づけられず、なかにはそこから「なぜ」という問いが生まれる余地さえないような、「寛容な」評価が見られるものもありました。
 総力戦体制あるいは総動員体制のもとで、どのような「抵抗」があり得るかという問いは、じつは過去の問題ではなく現在の問いです。それを関心の中心に据えながら、あの戦時下のさまざまな「試み」を再審しようというのが、この特集の意図であります。
                         (栗原幸夫)


第2輯目次

・座談会「総力戦と抵抗の可能性――戦時変革あるいは生産力理論をめぐって」(小倉利丸、崎山政毅、米谷匡史、栗原幸夫)
 補論・「左翼の戦争責任」(米谷匡史)
 補論・「方法について」(小倉利丸)
・「総力戦体制下の転向者運動」(伊藤晃)
・「平野義太郎の『転向』とアジア社会論の変容(盛田良治)
・「戦時下の国民文学論――タカクラテルの文学・言語論を中心に」(道場親信)
・「『コギト』以前、あるいは竹内好と保田輿重郎――雑誌『コギト』とその周辺(1)」(細見和之)
・「日本浪曼派とはなにか(いまだに)」(下平尾直)
・「『世界史の哲学』を読み直す」(池田五律)
・「竹内好の『近代の超克』再読」(天野恵一)
・「『母との対話』は抵抗の力を作れるか――加納実紀代『女たちの〈銃後〉』を再読して」(田浪亜央江)

独立論文・「湖南省無連と『造反』の系譜(北野譽)
インタビュー・「『レヴィジオン〔再審〕』の立場」(栗原幸夫)

230頁・2200円
社会評論社刊
電話 03-3814-3861