インタビュー:
『レヴィジオン〔再審〕第1輯 戦後論存疑』を編集した栗原幸夫氏に聞く
         
『図書新聞』1998年8月8日号

 ――このたび、栗原さんの編集された『レヴィジオン〔再審〕第1輯 戦後論存疑』が出版されました。まず、この雑誌が刊行されるにいたった経緯についておうかがいします。

栗原 私はこのところ、日本アジア・アフリカ作家会議の機関誌から発展した季刊『 aala』という雑誌を編集してきました。この雑誌は足かけ四年、計一一冊を発行して昨年の二月に終刊したんですが、この雑誌をつうじて私はたくさんの若い、新しい書き手と出会うことができました。彼らともっと一緒に仕事をしたいな、という気持ちはその後も持ち続けていたんですが、思いがけなく社会評論社から「『aala』をもう一度やらないか」という話が去年の夏にあったんです。新しい雑誌は私個人の編集ということで、どんなに編集方針にバイアスがかかってもかまわないから自由にやってくれというのが、社会評論社が出した、まあ、条件といえば条件で、財政と販売の方は引き受けるから、という話です。
 私はこれまで四〇年以上も編集者をやってきましたが、こんないい話ははじめてで、あまりにも条件がいいものですから、自分の歳も忘れてやってみようということになったわけです。ただ『aala』というタイトルでは、私個人の編集でやっていく上ではまずいということで、『レヴィジオン〔再審〕』というタイトルで、さしあたりは年二回出していくことになりました。そしてこのたび、第一号の『戦後論存疑』が出たわけです。
 『aala』はコンピュータで版下まで私がつくるというような手作りの雑誌だったので、執筆者たちとも非常に密接なつながりができたし、割合に考え方の同じ人たちが集まってきたんです。だから、その執筆者を引き継ぐようなかたちで、今度の『レヴィジオン〔再審〕』の中心になる執筆者のグループを作っていま進めています。
 私は、ある意味で党派性、傾向性を持った雑誌をつくりたいと思っているんです。政治的な党派という意味ではなくて、現実批判の思想的なポジションとでも言いましょうか、それが共有できるような人たちが集まって雑誌をつくっていくという意味においてです。今度の創刊号も、ほとんどが『aala』から引き続いての執筆者です。

 ――現在、歴史をめぐる問題、戦争責任・戦後責任をめぐって、さまざまな論議がなされています。「自由主義史観」の動きや、昨年出版された加藤典洋氏の『敗戦後論』をめぐる論議、そして今度、『群像』八月号で加藤氏の「戦後的思考」連載も始まったわけですが、こうしたなかで、『レヴィジオン〔再審〕』はどういう議論を呈示していこうとされているのでしょうか。

栗原 この雑誌を出すひとつのモチーフなんですが、日本は戦後五〇年、一九九五年を境として、新しい時代への大きな転換期に入ったと私は思っています。戦後がつくりだしたもろもろの日本の構成をどのような形で終わらせるか、乗り越えていったらいいのかという課題が、決定的な意味を持って向こうから迫ってきたわけですね。そこで当然のことながらいままで「戦後」について語られた言説があらためて再検討されるべき対象として浮かび上がってくる。そこに加藤さんの問題提起があれだけの反響を呼ぶ根拠がある。おそらく私たちと対立する体制的な立場の人たちも、同じような課題に直面していると思うんです。自民党をふくめて、保守派がこれだけ「改革」という言葉を乱発する時代になったわけで、彼らも現状を変えなければ日本はどうにもならないという、危機意識を深めているわけです。こういう状況の中では、保守は保守であるだけではもはや保守でさえあり得ない。ですから私個人の関心で言えば、いわゆる自由主義史観派よりも佐伯啓思氏や福田和也氏に関心があります。敵という言葉に若干の敬意をこめて使えば、まあ、あの人たちが本当の意味での「敵」でしょうね。

 その意味では、戦後民主主義を「保守派」から守るという姿勢でいい状況にはもはやないんです。むしろ「保守派」「革新派」の双方が、戦後をどういうふうに乗り越えるかを競い合うような状況になっているのだといえると思います。そうした状況認識がまず第一にあるわけです。
 つまりひとくちで言うと、すでに戦場があるということです。いや、戦場なんて言うと物騒だから競技場、アリーナとでも言っておきましょうか。そんなアリーナを作るのはけしからんと言っても、それは戦闘の放棄でしかない。だったらそこに入っていって戦いに勝ちそこを占拠すべきだというのが、私の考えです。一連の戦後否定論にたいしてこちらとしては、ただ戦後的価値を守るということではなく、この価値とそれを生み出す戦後観のもっているさまざまな弱点や盲点をきちんと批判・克服したうえで、そのプラスの面を引き継いでいこう、そして共通の戦場のなかでせめぎ合いをつくり、思想的な分割線をつくっていこうと考えています。

 ――この雑誌のタイトルである「レヴィジオン」の由来についておうかがいします。

栗原 フランス語の「レヴィジオン」というタイトルをあえて使ったわけですが、フランス語と英語ではおなじrevisionでも若干ニュアンスが違います。英語の「リヴィジョン」の場合は、はっきりと「修正」という意味が前面に出ますがてフランス語では、むしろ法律的な意味での「再審」(ある判決をもう一度検討し直す)という意味の方が強い。『記憶の暗殺者たち』(邦訳・人文書院)の著者ピエール・ヴィダル- ナケが言っているのですが、フランスで最初にレヴィジオニストと呼ばれたのは、一九世紀末に起こった「ドレフュス事件」にたいして、再審を求めた人たち進歩派でした。そこから、あえて「レヴィジオン」という言葉を使おうじゃないかと考えたわけなんです。
 タイトルをごらんいただければ分かるとおり、『レヴィジオン』にはすべて「再審」という言葉がついています。じゃあなぜ「再審」だけで行かないのかというと、やはりこれには同時に「修正」という意味ももたせたかった。「修正主義」というのは、マルクス主義のなかでは悪の権化みたいに考えられてきましたし、フランスでいま「レヴィジオニスト」といえば、それは「アウシュヴィッツはなかった」という主張をする人たちのことです。
 しかし、本来の修正主義というものは、ある原理や理念に対し、それをもっとアクチュアルなものに変えていこうとする試みのことだと思います。現実はどんどん動いているのだから、それに対応できるように理論なり思想なりをよりアクチュアルなものにしていこうという修正の要求は当然あるわけだし、それに対して原理主義的に抑えつけてしまう思想の対立構造はよくない。もちろん「レヴィジオン」すべてが常にいいとは全く言えないわけで、「レヴィジオン」という作業の中で、古い言葉かもしれませんが一種の「階級闘争」が起こるのだと思います。「レヴィジオン」対「原理主義」の間で階級闘争が起こるのではないんだというのが私の考えなんです。
 ですから、お互いにある価値なり命題なりをめぐって、どちらの方向に向かってそのアクチュアリティを回復していくかという、そこでのせめぎ合いや闘争を思想の対抗線としてきちんと展開するということが、いまいちばん重要な問題になっている。私はそのように現状を認識しているんです。
 たしかに、かつて『aala 』に協力した人たちの間でも、『レヴィジオン』という誌名はよくないんじゃないかという意見が当然あったわけですが、そこは、むしろ問題の所在をはっきりさせた方がいいし、仲間うちにたいしても、ある種の挑発的な意味をふくめてこの誌名があるわけです。レヴィジオンという命名はどちらかというと味方向けのものなんですね。どんなチームも自分の弱点を発見しそれを克服することなしにはプレイに勝つことはできない。ですからレヴィジオンは歴史と状況の再審であると同時に、味方のなかで惰性化し制度化してしまったような認識や観念を、もう一度ゆさぶってリフレッシュしようという、味方にたいする呼びかけでもあるわけです。
 加藤典洋氏の『敗戦後論』にたいする批判のなかには、あまり支持できないなと思わせるようなものもあります。たしかに、私は加藤さんの論の中には間違っていると思う部分もありますが、しかしそこだけにこだわって、彼がせっかく提起した正当な問題が見失われてしまうのは残念に思います、たとえば三〇〇万人の日本人の死者を先に慰霊するか、あるいは二〇〇〇万人のアジアの死者を先にするかといった、あまりにも未熟な提起に引っかかり過ぎて、彼が提起している「ねじれ」という問題をもっときちんと討論し深めていくべきところを、加藤氏の論はナショナリズムを再興させるものではないかというところに議論が行ってしまう。ここに、私はかねがね疑問をもっていました。加藤さんの論自体には、私はいろいろ異論があるんですが、少なくとも、提起された問題をめぐって、加藤さんと議論ができるような状況をつくりだしていくことのほうが必要なのではないか。あまりにも倫理主義的な批判が多かったので、そこのところを、まさに「修正」していこうというふうにも思ったわけです。
 加藤さんの論のいちばんのウィーク・ポイントは、「戦後」はあるけれども「戦中」がないし「敗戦」もないところだと、わたしは考えています。「戦後」、つまり占領期から問題が始まっているわけですが、わたしは「天皇の終戦」というのがどういうものなのかを押さえることが決定的に重要だと思っているんです。今度の創刊号の巻頭にも書きましたが、「天皇の終戦」というものを抜きにしては、戦後の問題は見えてこないというのが私の考えです。そして、加藤さんの提起した「ねじれ」という問題は、そもそもここにその起源があるわけなんです。
 戦後論がいろいろなかたちで論じられている状況の中で、新しい戦後の見方、戦後の超え方というものを提起したい。それが今度の創刊号に「戦後論存疑」という言葉を使った理由です。
 創刊号のなかで、池田浩士さんの『敗戦後論』をめぐる論「終わらぬ夜としての戦後」は、いままで出てきた議論にはなかった新しい角度からのものであり、おそらく加藤さんもどこかでこれに答えてくれると思っています。先日、加藤さんと電話で話したときに、「『群像』に連載しはじめた「戦後的思考」を読んでもらえれば、池田さんも納得してくれるだろう」と言っていましたが、私がそれを読んだ限りでは、まだ池田さんは納得しないだろうと思います。やはり加藤さんには、「天皇の終戦」というところにまで、あるいは「戦争中」という問題にまでさかのぼって、彼自身の論を再検討してもらいたい。「戦後的思考」連載が始まっているわけですから、その中でこの問題がどのように展開されていくのか、期待をしながら見ているところです。
 そしてそこのところは、加藤さんだけの問題ではなくて、いま流行りというわけではないけれども、たくさんの人たちが研究を発表している戦争中の総力戦体制の問題ともかかわってくるわけです。私自身、敗戦直後のいわゆる「講座派批判」「生産力理論批判」のなかで「もまれ」てきた人間ですから、最近の総力戦体制論にはたいへん関心があるし、とくに戦後論との関係で特別な関心を持っているのですが、しかしそこには大きな欠落があるのではないかという感想をもっています。だからこの総力戦体制論という問題もひとつやりたい。今回も崎山正毅さんが「「総力戦体制」研究をめぐるいくつかの疑義」で論じていますが、次号では、この問題についてできるだけ議論を展開したいと考えています。
 次号のタイトルは「超克と抵抗」と付けたのですが、「超克」とは「近代の超克」といった限られた狭い意味のみならず、一九三〇年代の日本が近代をめぐってどういう状況に置かれていたのか、それが戦争中どうなったのか、そしてそれが敗戦によって戦後どうなったのかというふうに、戦後にまでつなげて戦争中の問題を「再審」したいと考えているわけです。

 ――先ほどもお話がありましたが、加藤さんの『敗戦後論』に対して起こったような倫理主義的な批判だけではだめだということについて、もう少しお話いただけないでしょうか。また先頃、『ナショナル・ヒストリーを超えて』(東京大学出版会)が出版されましたが、ここで執筆している論者たちが行っている議論と、『レヴィジオン』でこれから展開していこうとされる議論との関わりや相違点などについてお聞かせください。

栗原 『ナショナル・ヒストリーを超えて』の執筆者の中には、私が共感をもってお仕事を拝見している方たちも多く含まれています。ですからあの本になにかまとまった立場があって、『レヴィジオン』はそれとは違うといったような考えはありません。ただ、この本に直接は関係のないことですが、外国の例をもってきて、それを基準に日本のある言説を批判するという批判のスタイルが最近とくに目に付きますね。私はこれには批判的です。
 加藤典洋氏を批判している大部分の人たちがアカデミーの人で、しかも外国の思想・文学関係の人が多いということもあって、どうも議論の基準として、外国のいわば「現代思想」風の思想家が引き合いに出されるケースが多い。もちろん参照すべき言説や事例を参照するのになんの異論もないんですが、しかしそれが一種のパラダイムをつくってしまうようなやりかたで引用されると、議論が日本の日常生活のレベルから、どんどん抽象のレベルに行ってしまう。戦後をめぐる問題というのは、もっと具体的であり日常的だと思うんです。もちろん、その中から思想的な、普遍性をもった問題を引き出していかなければいけないということは明らかなのですが、しかし、その根っこは日常的なところにあるのであって、そこから抽象的なレベルへと、空中に浮いてしまうような議論の仕方を私はしたくない。
 それからもう一つは、外の権威にたよって語るな、ということです。たとえば、第三世界や在日アジアの優れた思想家が何人もいるわけですが、この人たちの評価で自分の批判的な立場をつくるなと言いたいんです。つまり外の言説を権威化して、その権威の傘の下で論敵を批判するな、もっと自分の地声で語ってみろよ、と言いたいわけです。

 ――少し話は脱線してしまうかもしれませんが、今度連載の始まった加藤典洋氏の「戦後的思考」の中に、ドイツで起こったいわゆる「歴史家論争」に関して、『レヴィジオン』の執筆者でもある細見和之氏を暗に批判していると読める箇所があります。つまり「歴史家論争」の邦訳(『過ぎ去ろうとしない過去』人文書院)の訳者の一人でもある細見氏が、専門家であるにもかかわらず、ドイツで起こったこの論争を現在の日本における問題に接合しようとしていない、といったくだりです。この点に関して、栗原さんはどう考えておられますか。

栗原 細見さん自身はあの訳業と並行して、崎山さんたちと『文藝』連載の座談会『歴史とは何か』(河出書房新社)という日本の戦後の現在を対象にした討論をまとめています。そこでは当然のことながら歴史家論争や歴史修正主義の問題も踏まえられているわけですが、しかしそれをストレートに日本の問題につなげるようなことはやっていませんよね。まして外の権威によりながら倫理主義的あるいは糾弾的に問題を論じることにははっきりと批判的な立場を表明しています。あのなかでの映画「ナヌムの家」の評価はとても大きな意味を持っていると思います。研究者が「ドイツではどうだった」ということを、そのこととして論じるのは当然だし、必要なことです。そこで精密に議論されたことを、またいろいろな人びとが使いながら日本の問題を考えていく、そういう筋道がつけばいいんだろうと思うんです。
 ただ、ドイツやフランスと日本との違いを踏まえないで、外国の研究を直ちにカノン・規範として持ってきてしまうような風潮に対して、私は賛成できません。もちろん、外国のことをきちんと研究し紹介することは大学にいる人たちの役目ですから、それは大変貴重なことに違いありません。
 しかし今度の「戦後的思考」では、加藤典洋さんも、ドイツでもって日本を論じてしまうということをやってしまっているんです。加藤さんの論の盲点は、ドイツ人にとってナチスとはなんだったのかという点を十分押さえていないことだと思います。ナチスと、日本の戦時体制なり日本の天皇制国家とは違うわけです。日本人にとっての天皇制国家とは、明治以来その中で生きてきた体制なのであり、ナチスは一九三三年にできた体制なのですから、ある人たちにとっては、ナチスを外在的なところから批判することも可能だし、またナチスの罪を引き受けると言う場合でも、そこにはおのずから「あいつらは別物だ」という余裕を持っての引き受けができる。ところが日本人にとっての天皇制国家とその戦争は、そうした外在的なものではなくて、その中ですべての日本人が生かされてきたものです。ですから、そこには大きな違いがあると思います。
 だから、ハーバーマスがこう言ったから自分たちの主張は彼のそれに似ている、というような言い方はストレートには成立しないと思います。加藤さんにとっての戦後論の出発点である『アメリカの影』では、アカデミーの研究者としてではなく、文芸批評家として問題にアプローチしたことが大きな成功を生んだと思うんですが、『敗戦後論』でもこんどの『戦後的思考』でも、批判者のペースにまきこまれて文芸批評家としてのメリットを手放してしまっているところがあるように見えますね。
 もちろんある人が大学に属しているかどうかということとは別の次元で、大学というシステムにたいする、またジャーナリズムのうえでの言説の中にまでもちこまれるアカデミックなスタイルの言説に対する批判的な意識が、ひどく希薄になっていると思いますね。それが一見、議論が精緻になればなるほど大衆とはまったく無縁のところで、カナ文字の言葉と山のような注と参考文献によろわれた権威主義的な「論文」を生み出している。その点では、保守派の方がはるかに大衆的です。大衆というものをわれわれよりもはるかに意識しているしはるかに大衆をつかんでいる。批判派の学者の中には自分の正しさにばかりこだわって、ものすごくナルシスト的な人がけっこういるよね。

 ――栗原さんが取り組んでこられた日本のプロレタリア文学研究や『歴史の道標から』『歴史としての「戦後」』といったお仕事に続いて、今回編集して行かれる『レヴィジオン』はどのような取り組みとして考えていらっしゃいますか。

栗原 私は自分を特に研究者だとももの書きだとも思っていなくて、基本は編集者だと思っているんです。編集者というのはオルガナイザーであるわけですから、自分で日本の現実的な状況を考えながら、いまどういう言説が必要かということを考え、それを担ってくれる人たちをどうやって結集していくかということが編集者の仕事だと思っています。

 私はいま、『レヴィジオン〔再審〕』をつくっていくことと並行して、池田浩士さんといっしょに「文学史を読みかえる研究会」というのをやっています。すでに私の編集した『廃墟の可能性』と池田さんが編集した『「大衆」の登場』という二冊の会誌がインパクト出版会から出ています。この分野でいままでやってきた仕事は、一九二〇年代から現在までの「この時代」にかかわっているわけですが、その仕事と私自身の体験によって構成されたこの時代のイメージが私のなかにありす。文学史をやってきたということと、戦後になって、戦時中の抵抗ということについていろいろ考える立場にいたものですから、戦前・戦中・戦後についての日本のイメージを持っているのですが、とくに最近出てきているような戦中・戦後についての言説を読んでいると、これは違うな、これは自分のイメージから外れてしまっているな、と感じることがずいぶん多いんです。それらについて、私一人が何かを書くということではなくて、私と考え方を共有できる人と一緒にその問題を深めていきたい。そのためにも、オルガナイザーとしてやっていきたいと思っています。

 ――いまおっしゃった、最近の戦中・戦後をめぐる言説について、「これは違うな」とお感じになる、それはどういう点においてなのでしょうか。

栗原 それはある意味では林房雄の『大東亜戦争肯定論』とかかわってくるのですが、私はこの林房雄の本はやはり重要な問題を提起していると思っているんです。もしあの戦争が必然性をもっていたのだとすれば、それにたいして「戦争は誤りであった」とか「不幸な出来事であった」とか言うことですませたり、「過ちは二度と繰り返さしません」という決意表明でそれを総括してしまってはだめだというのが、私のなかの中心の考えなんです。戦前のマルクス主義もまた日本帝国主義の侵略戦争は不可避だということを全力をあげて論証してきたわけですからね。問題はこの必然性をどこで、どのようにして断ち切ることができるかということです。

 戦争がもっている動員力、単に兵力としてではなくて、経済的にも思想的にも動員する力というものを、戦後生まれの人たちはもちろん体験していないわけです。なぜ、かつての戦争があれだけの動員力を持ったのか。旧プロレタリア作家のほとんど全部が、たんに筆を折ったのではなく、国策文学者へと転向していく。それから、いわゆる講座派のマルクス主義理論家たちが、平野義太郎をはじめみんな国策にそった研究者になっていく。これはいったい何だったのだろうか。この人たちの性格が弱かったからそうなったと言うにしては、あまりにも大量現象だというふうに思います。踏みとどまった人間はほとんどいない。しかも、この人たちは戦後、民主主義者やマルクス主義者として復活してしまう。いったい、なんでこういうことが起こり得たのか。
 これは、私が一八歳で敗戦を迎えた人間として、原点となる体験です。私が中学の時に「大東亜会議」というのがあって、そこで「大東亜宣言」というのが出されるわけですが、その解説を先ほどの平野義太郎が書いているんです。それを、修身の時間に読まされた体験があります。そのころ私は早熟のマルクス少年だったんですが、あの平野義太郎がなんでこんなものを書くことになったのか、それが非常に不思議だった。ところが、その平野が戦後になったらまたマルクス主義の指導者として復活する。こういうことって本当にあり得るのだろうかというのが、戦後の私のいちばん大きな、原点になるような体験だった。そこから、ずっといろいろなものを見ていくというのが、私の戦後の歩みでした。
 その「なぜそんなことが起こったのか」という問題は、まだ解けていないんです。そしてそれを解くためには、林房雄の『大東亜戦争肯定論』を克服しないとだめだというのが私の考えなんです。歴史的事実についてこの本には間違った記述があるという批判はなされても、「大東亜戦争」が必然的なものだったのだという林の立場はまだ崩されていないと思います。
 「大東亜戦争」というのは、日本の近代史の到達点なんです。これは林房雄にとってもそうだし、保田與重郎にとっても、また逆の意味から言って中野重治にとってもそうなんです。それでは、「大東亜戦争」に行かないコースというものが、日本にどういうかたちであり得たのか。そのいろいろな可能性を考え、発掘しながら、その問題を突き詰めていくことをやらないといけない。いままで、たくさんの大臣が「妄言」をやってきましたが、私は、あの「妄言」には根拠があると思っています。それが正しいという意味では全くなく、それが繰り返されるところには根拠があって、その根拠が『大東亜戦争肯定論』だというふうに私は思っているわけです。
 それからもう一つは、亡くなった人を引き合いに出すのは心苦しいし、私も親しい友人だったけれども、廣松渉氏のように、最後のところでアジア主義的な言説を残してしまうということです。けれども、それをたんに「あいつはただのナショナリストだったのさ」というふうに終わらせてしまってはならない。それにはやはり根拠があるのだ。そう受け取って、そこをどうやって分析し乗り越えていくかということが、これからこの雑誌を続けていくひとつの大きな課題になってくると思っています。

 ――そうしますと、次号に「超克と抵抗」というタイトルを付けられたのも、いまおっしゃった問題意識を根本にお持ちだったからなのですね。

栗原 まさにそういうことなんです。それが一冊の雑誌としてどのように具体化できるかということは、これはまた別で、だいたい雑誌というものは四、五号ぐらいからどうやら見通しが出てくるもので、それまでは助走の段階ですから、どれだけ実現できるかわかりませんが、意図としてはそのとおりです。そして「抵抗」ということについて言えば、戦争中にどういう抵抗があり得たのかということについても、まだまだ分かっていないんです。現在、昭和研究会や三木清の再評価といったことが総力戦体制論の中で出てきているわけですが、私は、あんなものは抵抗だと思っていません。あれはやはり、戦争協力でしかあり得なかった。もちろん心の中では、戦争をいかにしてやめさせ、日本の体制をどうやって変えるかという気はあったにしても、あのコースの先にそうしたものがあり得たのかというと、私はやはりあり得なかったと思っています。

 だから、いまの総力戦体制研究のもっているある種の危うさ、あるいは脱政治化したかたちでの研究の危うさを、最近とくに感じるわけです。もちろん、いくつか非常に優れた研究はありますが、全体として、危ういところにきている。しかし、その危ういところを通らなければ思想の深化はあり得ないわけで、竹内好の「創造的な思想であるためには、火中の栗をひろう冒険を辞することができない」という言葉を私は常日頃、拳拳服鷹しているわけです。もちろん、火中の栗を拾うつもりで、火だるまになってしまうということもあるわけですが。

 ――どうもありがとうございました。