Vol. 6 「12人の優しい日本人

 さて、今回は前回予告した通り「12人の優しい日本人」である。この作品を一言で言うと、先月紹介した「十二人の怒れる男」の陪審員をもし日本人に置き換えたらどうなるか、という話である。もちろん、前にも書いたように、現在日本では陪審員制の裁判は行われていないのであくまで架空の設定であり、当然、議論の下手な日本人がやるのだからアメリカ人のようにカッコ良くはならない。そこを面白おかしく見せる、という点で一種のパロディ作品にもなっている。こう聞くと、ありがちな二番煎じ物じゃないかと思われるかもしれないが、決して単なる二番煎じで終わってない点がこの作品の素晴らしいところである。

 確かに、「12人の陪審員が、ある殺人事件の評決を下すまでを描いたディスカッションドラマ」というアイデア自体は「… 怒れる男」から貰ってきているものの、それ以外は全く別の物と言ってもいい作品であり、特にそのストーリー展開において二つの作品は大きく異なる。前回も書いたが、「… 怒れる男」はストーリーがほとんど一本道で、途中である程度結末が読めるのに対して、「… 優しい日本人」の方は話が二転、三転して結末が最後まで分からない。その為、観ている方も最後まで気が抜けないのである。(従って、今回はストーリーには触れないでおく)

 もっとも、「… 怒れる男」もそうであったように、この作品もほとんどが陪審員室内で話が進められる為、カメラも役者もほとんど動かない。従って、演出らしい演出もほとんど見られず、一見地味な印象を受ける作品である。それにも関わらず、幾つか賞を取る程まで評価されているのは、ひとえに脚本の完成度の高さによるものである。元々、「12人の優しい日本人」は「東京サンシャインボーイズ」という劇団(現在は30年間の充電期間中!)の芝居用に、主催者であり座付脚本家でもある三谷幸喜が書き下ろしたもので、それを一部のキャスティングを劇団員以外の役者に変えて中原俊が映画化したのがこの作品である。三谷幸喜と聞いてすぐにピンと来る人は少ないかもしれないが、「王様のレストラン」や「振り返れば奴がいる」、「警部補 古畑任三郎」等のTVドラマの脚本を書いた人物と聞けば、何となく分かる人もいると思う。タイトルクレジットでは、「脚本 三谷幸喜と東京サンシャインボーイズ」となっているが、これは三谷が自分一人の手柄にしたくない、との理由でこういう表記になっているだけで、実際は三谷自身の作品と言っても差し支えないと思う。三谷は元々、普通の人々が突然非日常的な状況に置かれてしまった時のドタバタを見せて笑わせる、いわゆるシチュエーションコメディと呼ばれる話が得意で、この作品でもその本領が遺憾なく発揮されている。しかも、三谷の作品の特徴はそれが単なるドタバタコメディで終わらずに、観終わった後にちょっと考えさせられるようなテーマがちゃんと存在している事である。

 また、この様な画面の動きが少ない作品は、役者の芝居も非常に重要になってくるのだが、そういった意味では、この「12人の優しい日本人」に出演している俳優は芝居のうまい人が揃っているので、安心して観ていられる。決してメジャーではないが、数多くの作品に出演しているベテランの人や普段は舞台で活躍している人等が多く、実はある意味でとても豪華なキャスティングなのである。例えば、東京サンシャインボーイズの団員で、舞台でも同じ役を演っていた相島一之と梶原善、「マルサの女2」や「あげまん」の上田耕一、劇団夢の遊眠社の山下容莉枝、そして、劇団3○○出身で、この作品でブレイクしたと言われている豊川悦司、等々。加えて、会話型のドラマということで各セリフの間が大切になる為、この作品では監督の中原俊のアイデアにより、入念なリハーサルを一月近くも行なう等、作り手のこだわりもかなり感じられる。

 今回、この記事を書く為に改めて「十二人の怒れる男」と「12人の優しい日本人」を見直してみたが、両者を比較すると日本人とアメリカ人の考え方の違いがはっきりと表れていて、とても興味深かった。正義の名の下に、多少攻撃的に主張を貫き通そうとするアメリカ人と、正義と言うよりはむしろ誠実さを持って(口調は攻撃的であっても)「優しく」みんなで議論しようとする日本人、という対比はそのままタイトルの違いにも表れている。いずれにしても、見終わった後に一種の満足感の様なものが得られてとても後味の良い作品なので、機会があればぜひ観て頂きたいと思う。(もちろん、その前に「… 怒れる男」も観ておく事をお勧めする)

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