Vol. 5 「十二人の怒れる男

 さて、今回は洋画を紹介しようと思う。とは言っても、例によってあまりメジャーな作品ではないのだが…。(でも、この作品は一部では結構有名だと思う)そんなわけで、今月紹介するのは「十二人の怒れる男」という監督シドニー・ルメット、主演ヘンリー・フォンダで1957年に作られたモノクロ作品である。タイトルを聞いてピンと来た方もいらっしゃると思うが、この作品は1991年に作られ、毎日映画コンクール脚本賞等いくつかの賞も取った「12人の優しい日本人」と言う邦画の元ネタになった作品である。(全てがそうではないが)「12人の優しい日本人」は「十二人の怒れる男」のパロディ作品としての部分が大きいので、「… 優しい日本人」を観る前に「… 怒れる男」を観ていると「… 優しい日本人」が10倍(大袈裟?)は楽しむ事ができるのである。いずれにせよ、この映画は「… 優しい日本人」を語る上で避けては通れない作品である。(当然、次回はこの「12人の優しい日本人」を紹介するつもりであり、今回はその前フリの意味もあったりする…)そうは言っても、もちろんこの「十二人の怒れる男」の方も非常に良くできた作品であることは言うまでもなく、特に秋の夜長にビデオ観賞する時などにはお薦めだと思う。(ちなみに作品を観てもらえば分かるが、夏場、冷房の無い部屋で観たりすると余計暑苦しくなってしまう気がする…)

 まず、この作品の解説をする前に陪審員制度について簡単に説明しておこうと思う。ご存じだと思うが、陪審員制度というのはアメリカ等で行なわれている裁判の方法で、裁判の当事者とは無関係の第三者から無作為に選ばれた一般市民が、弁護士や検事の言い分、証人の証言等を聞いた上で議論し、有罪か無罪かを決定する方法である。ただし、評決は全会一致が条件であり、さらに、少しでも疑わしい場合や合理的な理由に基づいて明確に有罪を立証できない場合は無罪としなくてはならない事になっている。(ちなみに日本でも戦前には行なわれていた)

 この映画は、ある殺人事件の裁判に陪審員として集められた年齢も性格もまるで異なった様々な12人の男達が評決を下すまでの話である。事件の内容は、ある不良少年がナイフで自分の父親を刺殺したというもので、少年のものと思われるナイフと二人の目撃者の証言から誰もが有罪と思える内容だった。そこで、投票によりとっとと決を取って終わりにしようとしたところ、陪審員8号の男が一人無罪を主張した為に長々と議論を始めることになるというのが話の導入部である。とにかくこの作品の大きな特徴は、その90%が狭い陪審員室内でのディスカッションシーンで占められていることである。こう書くととても退屈そうな印象を受けると思うが、そんなことは決して無く、むしろ議論の内容にどんどん引き込まれてしまうのである。まず、12人の陪審員のキャラクターの描き分けが非常によくできている。すぐに熱くなる者、常に冷静な者、付和雷同な者等、各自の性格がバラバラで個性的に描かれており、その分感情移入もしやすくなっている。しかし、何と言ってもこの作品の見所は、ただ一人無罪を主張した陪審員8号(ヘンリー・フォンダ)がいかに他の陪審員を説得していくか、という点にあるのである。(こう書くと大体結末が予想できてしまうのだが、この作品の場合、話そのものは一本道なので、何も知らなくても見始めればすぐに分かってしまうと思う。もっとも、結末自体にはそれ程大きな意味は無いのだが…)最初は、11対1という絶対的に不利な状況をどう覆すのか、という所が面白いのだが、いつの間にか8号が一人一人をどうやって落とす(説得する)のか、という所に興味が移ってくる。この辺の感じは、なんとなく「刑事コロンボ」に通じるものがあると思う。もっとも、最後の方までくるとあまりに8号の思い通りに事が運ぶので、ちょっとズルい様な気もしないでも無い。

 また、この作品は本筋であるディスカッションドラマとは別に、この殺人事件そのものの謎解きの部分でも楽しめるようになっていて、この点でも観るものを飽きさせない。さらに、議論が熱くなり、罵り合いや掴み合いのケンカに発展しそうになると(でも本当のケンカにはならない所が日本人と違う)一旦テンションを下げて間を取ってみたり、天気の変化や日の傾きによって単調になりがちな画面に変化をつける等、演出も地味ながらとてもメリハリの効いたものになっていて、一本の映画として見ても非常に良くできていると思う。

 とにかく、見終わった後なんとなく清々しくなれる作品で、映画は決して多額の制作費やSFXだけでは無い事を教えてくれる一本である。

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