2000.12.19  No.35

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目 次




【「共和主義」論議】(1)
三年前の「反天論議」をふりかえる(北野誉)

【言葉の重力・無重力】(10)
ペルーと日本政府・民間レベルの関係の闇――アルベルト・フジモリ「新聞・テレビ各社別“独占”会見」を読む (太田昌国)

【議論と論考】
グローバリゼーションのなかの天皇制(伊藤公雄)

現今の「教育改革」論議への私のスタンス(池田祥子)

具体的な非協力・抵抗に注目しよう――小樽の随伴艦の寄港拒否をめぐって(天野恵一)

【反天運動月報】(2)
明文改憲と天皇制批判―運動の方向をめぐって(2)(天野恵一)

【書評】
津田道夫著『君は教育勅語を知っているか――「神の国」の記憶』(高橋寿臣)

藤井治夫著『密約――日米安保大改悪の陰謀』(山本英夫)

真喜志好一ほか著『沖縄はもうだまされない――基地新設=SACO合意のからくりを撃つ』(梶野宏)


















【「共和主義」論議】(1)

三年前の「反天論議」をふりかえる
北野誉●反天皇制運動連絡会

 前号で伊藤晃さんもふれているように(「反天皇制運動と共和主義」)、反天連では以前にも共和主義をめぐって一連の議論をしたことがある。それは柴谷篤弘さんの『われらが内なる隠蔽』(径書房)という本の中で提起された問題をめぐるものであった。柴谷さんは言う。「『天皇制反対』の言葉を掲げる人びとは、明示的な『反君主主義』でもなければ、共和主義者でもないような印象を私はもつ」、天皇制を「廃止してしまったあとに何が起こるのか、……天皇制への代案が確立していないように思われる」。これに対して反天連の小山俊士が、「それではこうした曖昧さを取り除いたあとの『共和国』としてどんなものがイメージできるだろうか。……国民投票によって選出された大統領を元首とする共和国という主張は、むしろこうした動き(沖縄の動きに見られるような、地方・地域の独自の動き)と対立はしないだろうか」と述べた(「反天皇制運動じゃ〜なる」1号、一九九七年八月号)。これを受けて柴谷さんは再び、「日本が果たして『君主制』の国なのかどうかさえ、はっきりしていない……したがって、日本における共和制の可能性についても、人びとは議論もしないし、意識することもわすれているらしい」として、反天連もまたそれに変わりないらしいと書いた(同2号、九七年九月号)。
 柴谷さんの提起は「日本は天皇制国家であるのか否か」「天皇制国家であるとするならば、それに代わるものとしての共和制を要求するのか否か」という二つの問題への「回答」を迫る点で、明確である。これに対して、反天連のメンバーが、それぞれの立場から論じた。まず池田五律は、象徴天皇制の成立による「国体変更」をめぐる和辻哲郎と佐々木惣一による論争を紹介しつつ、「両者は対立するものではなく、佐々木のいう国民主権を正統性の契機として象徴天皇制が正当化され、それを権威づけるイデオロギーとして和辻の天皇制論が機能している」「この構造からの離脱、それは『国民』という枠組みからの解放という課題と深く結びつかざるを得ない」という(同4号、九七年一一月号)。次いで北野は「絶対主義から立憲君主制、そして共和制というコースは、近代国民国家の形成期における諸政治主体の力学の、多くは『妥協』の産物として」ヨーロッパ社会において現出したが、日本においては明治以降、天皇を中心に結集した支配者集団の意志に基づいて近代国家形成がなされ、それが占領軍権力との「妥協」によって象徴天皇制へと変容したと書いた(同5号、九七年一二月号)。また天野恵一は、「戦後国家を『共和制』に引き寄せて解釈し、象徴天皇制を君主制……ではないとする」「進歩派学者」の解釈が、「象徴天皇制それ自身を政治的に正面から批判していくこと」をよくできなくさせたとし、実際に天皇が「君主」として振る舞い続けている具体的局面に着目することを強調した。そして「私たちの象徴天皇制批判は、近代日本の国民国家の具体的な存在様式としての象徴天皇制批判なのであり、共和制国家であれ何であれ、国家制度を要求する運動ではない」と結論づけた(同7号、九八年二月号)。
 明らかなように、ここで共通している態度は、象徴天皇制を戴いた日本が君主制か否かを原理的に問題にする――そのことから反君主制運動としての共和制要求を掲げるかどうかを問題にするよりも、現在の日本国家による民衆統合の一機構としての天皇制の具体=特殊の契機への重視と、それへの運動的介入ということであった。
 だがたしかに、それならば「反天連は共和制の問題をバイパスして、むしろ現状から国家廃絶に直接に移る方針をえらぶ、という目標を、外部に対して十分可視的にしていなかった」のではないかと問うた柴谷さんの批判(同8号、九八年三月号)は残る。さらに今回付け加えられた、伊藤さんとテッサ・モーリス=鈴木さん(同37号、二〇〇〇年八月号)による、自分たちの生きる社会に対する「自己決定権」としての共和主義という問題提起も新たな検討課題である。
 私自身は今、ある種の思考訓練として共和主義(あるいは天皇制なき社会の像)を構想してみることは、意味のあることかもしれないと考え始めている。ただそれを、あるべき大文字の「国家像」として語ることについては、依然として懐疑的であるが。
 この点に関連して、一連の論議の中で池田浩士さんが紹介した、ヴァイマル共和国憲法の規定は興味深い。「社会の一員としての個人をランクづけするためのレッテル」としての貴族の「表示」と「称号」、さらにはあらゆる「勲章及び栄誉賞」を、ドイツ国家によるものとしてはもとより、外国政府からも受けてはならないとすることによって、それは「帝制を実質的に、根底から、否認したのである」(同3号、九七年一〇月号)。
 共和主義において結実した、栄誉の源泉としての権威を否定するための、具体的な手がかりのひとつがそこにあるのではなかろうか。

(『反天皇制運動PUNCH!』2号、2000.12.12)














【言葉の重力・無重力】(10)

ペルーと日本政府・民間レベルの関係の闇
アルベルト・フジモリ「新聞・テレビ各社別“独占”会見」を読む

太田昌国●ラテンアメリカ研究者

 「真相語らず、説得力欠く」との見出しを掲げるのは、11月26日付産経新聞朝刊である。
 ペルーのフジモリ前大統領が、辞表提出→ペルー議会による罷免後初の記者会見を曽野綾子が三浦半島に持つ別荘で行ない、取り沙汰されている不正蓄財はしていないし、日本国籍を保持していると語ったが、辞任した(しかも「外国」からファクスを送りつけるという形で)理由については「今は言えない」として口を噤んだことに対して、ロサンゼルス駐在の鳥海美朗記者が書いた解説記事の見出しである。この解説は全体的に、同日付の他紙に比較しても理を尽して書かれており、「産経新聞を読む悦び」を私は味わった。
 フジモリのこの「決断」がどこに由来するかを推測することは、とりわけ今年9月以降の事の次第を見つめてきた者には難しいことではない。フジモリ以上の権力者だと、ほかならぬペルー民衆が見なしていた、元国家情報局顧問モンテシノスによる野党議員買収工作ビデオが暴露された直後、フジモリは大統領退任を表明し、同時にモンテシノスの解任を宣言した。両者によってモンテシノスのパナマ亡命がお膳立てされたが、パナマ政府の翻意によってこれは失敗し、モンテシノスはペルーに舞い戻らざるを得なかった。フジモリはモンテシノスがいると想定される場所と自宅の捜索を国警部隊に命令し、押収した多数の書類を大統領官邸に運ばせた。法手続き的に言えば、検察当局をも差し置いた越権行為である。
 これら一連の事態の推移を見れば、モンテシノスの「醜聞」の公然化にうろたえたフジモリが一気に前者を切り捨てようとしたこと、ところがモンテシノスからすれば、ふたりが10年間一心同体であったからには、ひとりのみを切り捨てるなどということはありえず、ふたりだけが知る後ろ暗い材料をちらつかせて「脅した」のであろうことが、合理的に推定できる。フジモリは今なお「モンテシノスは業績も残した。テロ封じ込め、麻薬対策で見せた彼の手腕と成果は大変なものだった。米国もこの点はほめている」と産経紙との会見で語ったうえで、「ただ、彼には、見えない裏の顔もあった」と付け加えているが、産経紙が的確に指摘するように、ふたりの従来の関係を思えば「この弁明も通らない」としか客観的には判断できないと言えよう。
 フジモリはまた、次のようにも語っている。「私がとった手段と決定は孤立したものではなく、戦略というべき文脈の範囲のものである。腐敗に対する闘いのように、きわめて複雑な闘いは、今でこそ私は思うのだが、テロリズムに対する闘いよりもはるかに複雑であって、そこではしばしば一歩後退・二歩前進のようなことを求められるのである」(日本で発行されているスペイン語紙「インターナショナル・プレス」 12月9日号)。「腐敗」とは、フジモリからすれば、取り沙汰されているモンテシノスの不正蓄財や麻薬組織との癒着のことであり、「適切な諸条件が存在しないいま帰国することは、腐敗の前に敗北することを意味する」とすら言う。モンテシノスの「報復」をフジモリがいかに怖れているかを示す文言で、論理的に反駁する必要性もない程度の言い逃れだと思える。フジモリはこの10年間、ペルー共和国の最高権力者として、弱者切り捨ての新自由主義経済政策を推進し、「テロ」対策の名の下で軍警が行なう人権侵害を野放しにし、議会解散・憲法停止・司法府への干渉などの非民主的な政権運営を実施し、忘れもしない日本大使公邸占拠・人質事件の際には、平和解決の途を自ら閉ざして武力突入を強行し、17人の犠牲者を生んだ。こうして、まったきペルー人としてふるまってきた者が、形勢が不利になったからといって居心地よい日本に留まり、外交旅券が失効すると日本国籍を有しているから私人として住まうことに何ら問題はない、とする。フジモリの従来の諸政策に「無責任性」を観察してきた立場からすれば、彼の政策と人柄を称揚してきた佐々淳行や山内昌之や福田和也たちが、今回の事態をどう考えているかを知りたいと思うのは、皮肉な当てこすりではない。
 日本政府と日本社会全般の「フジモリ受容」の態度には、彼が日系人であるからとする同族・血族意識があったことは歴然としている。これが人種差別主義の一変種であることは自明なことだろう。フジモリ登場後に日本からの政府開発援助(ODA)額が急増したことは、その意味で、本質的には深刻な問題を孕んでいる。しかも民間レベルでも、問題は思いがけない広がりを見せている。曽野綾子はフジモリに宿を提供した理由を述べた文章で、彼女が会長職を務める日本財団が「(ペルーの)山間地に住むインディオたちを対象に、既に子供がたくさんおり、夫婦が完全に同意した場合にのみ、夫婦のどちらかに避妊手術を行う」家族計画のための保健所整備に援助してきたことを語っている(毎日新聞12月3日付)。これは、ボリビアのウカマウ集団が映画『コンドルの血』(1969年制作)で描いたことと通底するのではないか、と私は思った。米国の平和部隊が、来るべき人口爆発と食糧危機を未然に防ぐために、アンデス高地に住む女性たちに同意なしの不妊手術を施していたという実話に基づいた映画である。映画が暴露した事の重大さに、当時のボリビア政府は平和部隊を国外追放した。事の背後には、「後進国の人間は根絶やしにしてよい」とする「科学者」の人種差別イデオロギーがあったことがわかっている。古屋哲がインターネット上のオルタナティブ運動情報メーリング・リスト(aml)で報告したところによれば、1998年ペルーの司教会議は「政府が実施している不妊手術プログラムは、強制的ないしは詐欺的手段を用いていること」を告発しているという。
 こうして、フジモリ「居座り」のドサクサ劇の渦中で流された多数の情報を整理・追及していくならば、私たちは、フジモリ&日本政府・民間レベルの関係の「暗部」を暴露しうる地点に届きうるかもしれない。それは、ペルーの民衆が、フジモリ&モンテシノス関係の闇に迫る行為に呼応するものになるだろう。
(『派兵チェック』 第99号、2000年12月15日号)

















グローバリゼーションのなかの天皇制
伊藤公雄●大阪大学教員

 グローバリゼーション、あるいはグローバライゼーションと言う言葉が大流行だ。「今年の」というにはちょっと時間が経過し過ぎているが、少なくとも二〇世紀末の「国際的流行語大賞」をあげてもいいくらいだ。どの本を読んでも、雑誌を見てもグローバリゼーションの言葉が踊っている。すでに何を意味しているのかわからないようなマジック・ワードとして使用されているケースもよく見かけるほどだ。
 そもそも、このグローバリゼーションとはどういった事態を指す言葉なのだろうか。
 もともとの語義は、当然、グローバル化、すなわち「地球化」ということだろう。あらゆる要素が全地球化するというわけだ。と同時に、この地球化にともなって、地球上の多様な要素が相互依存・相互影響しあうという意味も、ここには含意されている。
 何よりも目立つのは、経済のグローバリゼーションだ。すでに、一九七〇年代、イタリアのアウトノミア運動が指摘していたような「資本のコントロールの全世界化・全社会化」の流れは、まさにグローバリゼーションという形で、現実にその姿を見せているといえるだろう。本格的な経済のグローバリゼーションのきっかけになったのは、やはり冷戦構造と「現存社会主義」体制の崩壊だった。このことに異議をはさむ人はいないだろう。じっくり観察すれば、資本のグローバリゼーションはすでに一九七〇年前後にはほぼ完成していたともいえる。しかし、それなりに存在していた経済体制の違いと経済のブロックの存在は、グローバリゼーションの障壁としてそれなりの役割を果たしていた。この障壁が一挙に崩れることで、資本のグローバリゼーションが全面開花したのだ。
 資本のグローバリゼーションの成立は、有償・無償を問わず(すなわち、工場やオフィスでの生産労働から家事・育児介護といったケア労働、ボランティア労働、優れた労働力形成を支えるための学校での学習労働、……といった)あらゆる人間的労働を、これまで以上に、その増殖のために搾取・活用し始めた。また、他方で、自然環境を含む地球資源を、生産性・効率性・利潤追求のなかで、搾取し尽くそうとしているかに見える。ここでは、資本の増殖という点で、ある意味で、「国境」を越えたコントロールが開始されようとしている。というより、むしろ「国境(ボーダー)」は、資本のコントロールの増殖にとって桎梏にさえなろうとしているといってもいいのかもしれない。
 他方で、現在のグローバリゼーションには別の側面も存在している。政治的・軍事的なレベルでのグローバリゼーションである。なかでも、冷戦後「ひとり勝ち」のアメリカ合州国の覇権は、現在のグローバリゼーションを特色づける重要な要素である。これが、グローバリゼーションがアメリカナイゼーションとして映し出されていく構図の背景にはある。これに対応する形で、コソボ紛争などであらわになったEUの安全保障の仕組みの見直し、中東情勢、ラテン・アメリカやアジア諸地域の政治的な状況が規定されている。ここでは、「国」「地域」「民族」という「利害集団」あるいは「帰属集団」が、逆に、ボーダーを強める作用を生み出しているようにみえる。
 さらに、グローバリゼーションにおける文化という課題がある。この領域は、経済領域、政治・軍事領域に影響を受けながら(あるいは与えながら)、相対的には独自の論理での展開が見られる。ここで見られる特徴は、ジョン・トムリンソンがいうところの「複合的結合性」である。つまり、文化におけるグローバリゼーションの展開は、さまざまな文化のズレ、対立、衝突の一方で、妥協と調停・結合のプロセスが生じ、その結果、ある種のハイブリッド化が迫られている、といいかえることができるだろう。たとえば、当初、一貫した論理でグローバリゼーションを展開するかにみえた「マクドナルド化」現象も、グローバリゼーションの深まりのなかで変化が見え始めている。日本における「照り焼きバーガー」の登場などはその一例だろう。逆に、「照り焼きバーガー」というハイブリッド・バーガーが、今度は、グローバル化していくかもしれないのだ(もちろん、このプロセスは、経済のグローバリゼーションや政治・軍事のグローバリゼーションと重なりあって発展する部分もある)。
 他方で、文化的グローバリゼーションの深まりは、個々人の基盤を根本から揺り動かすような変化をともなっているがゆえに、これへの強い抵抗も生み出す。個々人の存在の基盤をささえる文化(ものの考え方、言い方、振る舞い方を含む日常実践のすべてを含むパターン化された様式)にゆらぎが生じるのだ。その不安定さは、個々の帰属意識をめぐるアイデンティティ・ポリティックスを一層強調させることにつながる。それゆえに、文化のグローバリゼーションは、その一方で、ある種の「反動」をともなわざるをえない。
 それなら、「こうしたグローバリゼーションの展開は、天皇制の現在・未来にいかなる影響を与えようとしているのか」というのが、ここでぼくに与えられたテーマだ。少なくとも経済的に見たとき、天皇制はある意味で、日本の資本のグローバリゼーションにとって桎梏になっている。経済のグローバリゼーションが、国籍を越えた展開を迫られているとき、天皇制(戦争・戦後責任)という形で「国籍」を捨て切れない日本の資本は、それだけで重荷を背負っているともいえるからだ。日本の資本のアジアへの展開を考えたとき、特に、アジア地域での(文化のグローバリゼーションの深まりに対応した)文化的な帰属性の強調が渦巻く状況のなかで、「過去・現在の戦争・戦後責任」を果たし切れていない日本の資本は、それだけで、問題をかかえこまざるをえない。
 他方で、グローバリゼーションの展開は、すでに述べたように、アイデンティティ・ポリティックスをめぐる文化的反動をもたらす。天皇制は、こうしたアイデンティティ・ポリティックスのひとつの軸にならざるをえない。
 とはいっても、現在、天皇制だけが、日本人のナショナリティを担保する唯一の核かといえばそうでもない。逆に、「反動」の流れのなかで天皇を持ち出すことで生じる「アナクロ・イメージ」への忌避もまた存在しているほどだ。というのも、若い世代に「天皇」が必ずしも効かないのではという思いを、若い「保守派」新しい「保守派」の論者が抱いている(た)からだ。また、経済的なグローバリゼーション(少なくとも経済的な「国益」レベルでの判断)にとって、「天皇」が桎梏だという判断もその背景にはあっただろう。その結果、「国家」や「家族秩序」「公」を強調することで、「天皇」を表に出さない形(「天皇抜き」)で、文化的アイデンティティ・ポリティックスを進めようという動きが登場する(した)ことになる。
 しかし、最近、この「天皇抜き」の動きにストップがかかり始めている印象もある(天皇制を無視してきた新保守の論者の天皇への賛美が増加している)。もっとも、こうした事態が起こることは、予想されていたことでもある。というのも、戦後日本の保守勢力にとって、天皇はまだまだ最重要の結束軸であるからだ。特に、政治権力を握る保守勢力、経済力を握る保守勢力、さらにこれらの保守勢力と力と権益との分け前を保持してきた非合法の暴力装置とをひとつにたばねるものは、天皇制以外にないといっていい。相互依存のなかで(旧悪の秘密を保持するためにも、これらの「闇のネットワーク」の結束に「破綻」が生じることは恐ろしいことだろう)権力と経済力と権益とを保持するためには、どうしても「天皇」が必要だ。新保守勢力が、こうした保守政治に接近するにつれて、これらのおこぼれにあずかるためには、若い世代の反発よりも、むしろ「天皇」をかがけておいた方がいいという判断が生まれたのだろう。
 グローバリゼーションは、(経済レベルのみならず、ハイブリッドな帰属意識の登場という点でも)天皇制の「桎梏」としての位置を浮き彫りにしつつある。他方で、グローバリゼーションは、文化的反動、内向きの統合政治をねらう勢力にとって、天皇制を新たな凝集の核として位置付けさせようという動きを強めさせてもいる。
 この亀裂にクサビを打ち込むためにも、「天皇制はいらない」という声を、大胆に、かつ明るく、また、フレキシブルに、表現する回路をもっともっと作り出す必要があるだろう。
(『反天皇制運動PUNCH!』2号、2000.12.12)
















具体的な非協力・抵抗に注目しよう
小樽の随伴艦の寄港拒否をめぐって

天野恵一●反天皇制運動連絡会

 船舶検査(臨検)法案が、信じられないスピードで(ほとんどまともな国会論議もないまま)成立してしまった(11月30日)。この、自衛隊の新たな軍事活動を合法化する法律について、名古屋の運動体のニュースである『不戦へのネットワーク・ニュース』(12月8日〈26〉号)に、こう書かれている。
 「目的の第一条。/周辺事態の発動に対応するだけでなく、『あいまって、日米安保条約に効果的に寄与することを目的とする。』とある。周辺事態時と関係なく現行の日米安保条約下でも発動できる、と読める。全く新しい法律が日米安保に加わると同じ効果を持つことになる」(金安弘「『船舶検査法』成立への感想」)。
 この法律の「新たな危険性と攻撃性」に気づかずに、学習会一つ持たず成立させてしまったことの反省が、この文章を書かせていると、そこで書かれている。
 私たち(派兵チェックも参加している「新しい反安保実V」)も、二度「議員面会所」での抗議行動を行ったが、事前に、その法案の内容への批判的検討の時間は、まったく持てなかった。
 この新しい「有事立法」の内容についての具体的検討は、成立してしまっても、いや、だからこそ必要だと、私たちも考えている。
 こんなふうに、個別的にバラバラと、そしてスピーディに(サァ!「有事立法」を一括という、見えやすいスタイルでなく)成立に向かう「有事立法」と、どう闘うか、国会の動きに対して、東京が呼びかけるにしても、共同した行動をどのようにつくりだせるのか、こういう問題を、私(たち)は11月25日、26日に佐世保市で開かれた第2回「戦争協力への道を阻止するための合宿討論会」で提起した。
 全国から70人が参加して持たれたこの合宿では、法案待ちの姿勢ではなく、運動側が積極的にしかけていくスタイルでの連携がどうつくれるのかという方向へ討論が進んだ(当面のターゲットは大軍事演習〈日米・米韓〉への全国各地をつないだ抗議行動づくり、である)。
 抽象的な危機アジリではなくて、具体的な抗議の動きをつなぐ行動をと考えていた私たちに向けて、こういう声が寄せられた。
 「『派兵チェック』98号は巻頭で『キティホークが巡洋艦ビンセンスを随伴して小樽に寄港』と書く。しかし、小樽市がビンセンスを止めたことの重要性は意識されていない」。
 非核市民宣言運動・ヨコスカの新倉裕史の、私(たち)の編集している「戦争協力を拒否し、有事立法に反対する全国Fax通信」(12月3日〈3〉号)の「定点観測」での文章だ。
 私も責任を共有している派兵チェック編集委員会の名で書かれている文章である。この重要性を知らせるために、新しいパンフレットをつくったと新倉は、そこで書いている。
 私たちはその『港湾問題パンフB』をすぐ送ってもらい、読みだしている。少し紹介しよう。
 「今回小樽市は、空母キティホークの寄港は認めたが、随伴艦のミサイル巡洋艦ビンセンスの入港は『接岸バースがない』ことを理由に拒否した。97年、インディペンデンスが随伴艦モービルベイと護衛艦しらねを引き連れて小樽港に入港したことと、明らかな違いがここにある。/小樽市はビンセンスの着岸を拒否しただけではなく、港内の錨泊も認めなかった。/『港湾管理者の小樽市から寄港を事実上拒否された随伴艦ビンセンスも同日早朝、小樽市の北東約1.8キロの沖合に到着、そのまま同港湾区域外に停泊した』(10・13、北海道新聞)。/港内の錨泊を認めなかった理由について小樽市は、『11日17時になっても、米側の反応がなく、核兵器の有無などの外国艦船の寄港を判断する三原則の照会などの手配が整わない』(10・12、朝日新聞北海道版)からだと説明する。/着岸だけではなく、入港も認めなかったという点に、注目しよう」。
 もう一つ、新倉の論文を紹介しよう。
 『ピープルズ・プラン研究』(vol.3の5〈11月10日〉号)の「『周辺事態法』――非協力の動き」で彼は、こう主張している。
 「しかし『周辺事態法九条』の強さを強調して、だから自治体が断るのは実質的に困難と解説するだけでは、喜ぶのは政府だ。/いま、民間港や民間空港の軍事使用をめぐって、自治体と政府間の綱引きが各地で現われてきている。私たちに求められていることは、『周辺事態法九条』の弱点を徹底的にあばき、すこしでも抵抗しようとする自治体を励ますことではないだろうか」。
 この、自治体の具体的抵抗について、いくつも紹介した文章の「〈追記〉」に、こうある。
 「小樽市は空母キティホークの寄港は容認したが、随伴艦ビンセンスの寄港は拒否。空母の一般公開も中止するよう、札幌の米国領事館に要請した。寄港拒否を求める市長宛の要請は前回の七五〇件から二〇〇〇件に増え、見学者は三五万人から七万人に激減した。小樽はがんばった」。
 新ガイドライン安保・「周辺事態法」の戦争への民間動員法的性格は明らかであるが、抽象的に危険のみを訴えるスタイルでなく、こうした具体的抵抗をこそつないでいこうという姿勢に、私たちも学んでいきたい。
(『派兵チェック』 第99号、2000年12月15日号)















現今の「教育改革」論議への私のスタンス
池田祥子●短大教員

はじめに……ルソー以来の「教育」観を問う
 社会的な生きものとしての人間にとって、「教育」という営みは不可欠である。意図的であろうとなかろうと、どの時代にもそれぞれの形の教育の内実を見出だすことができる。
 ただ、私たちがいま目の前にしている「学校」を中心とする教育は、やはりルソー以来の「近代教育」であり、その理念に基づいてそれぞれの国で具体的に制度化された国民国家の基幹装置としての「近代公教育」である。そのため、現在盛んに議論されている教育改革の課題は、突き詰めれば、この近代の教育理念と近代公教育のあり様を根底から問い直すことに連なるはずである。
 ルソーが『社会契約論』を著した後に、教育の実践例としての『エミール』を書き継いだことは有名である。絶対君主制に代わる、あるべき民主的な社会の構想を具体的に支える、これまた理想的な人間の育成が不可欠だったからであろう。ところで、このルソーの理想的社会観、人間観を貫くものは社会・人間の「均質性」であった。「一般意志(ボロンテジェネラール)」(国家権力論)を強引に設定しえたのも、均質な社会構成員を前提としていたがゆえのことである(異質な、女性、人種、マイノリティ、階級、は初めから排除されていたという歴史的限界性をもっていた、ともいえる)。したがって、エミールは「期待される人間」のモデルであり、すべての人間がエミールのような人間になることが目標とされ、それをもってまた理想的な社会の到来が期待されたのである。
 このルソーに端を発する「理想的社会=理想的人間像」を当然とする画一的均質な社会論、教育論は、その後の国民国家(既存の社会主義国家も含む)による近代公教育の中にも、また、マルクス主義教育運動や実践の中にも強力に継承されてきた。
 いま私たちが前提とすべきは、一人ひとり意志と感情を持つ、それぞれに異質な人間が社会を構成しているということ、また、教育の意図は決してそのまま一人ひとりの子どもに、あたかも写し絵のように浸透するものではない、ということである。言い換えれば、異質で多様な人間たちによる社会の構成を考えることであり、一人ひとり自ら個性ある人間に育っていく子どもたちに、いかに共通な学びの場を保障するか、ということであろう。その意味では、「主体的な人間」「自立した人間」「他人を思いやる人間」、ひいては「国を愛する国民」「伝統を重んじる日本人」等々、国家(行政)レベルでのさまざまな期待される人間像の勝手な言挙げは、これまでの近代公教育の悪弊を無頓着に、ますます深めていく以外の何者でもない。    

国家と公教育……「近代公教育」を問いながら
 森喜朗首相を初めとする政府与党は、単なる私的諮問機関としての「教育改革国民会議」をも巧妙に利用(?)して、国旗・国歌法の後を受けての教育基本法の改定を目論んでいる。改憲論と同じく、「日本国家の主体性が欠如している」や、「日本文化の伝統尊重の精神が希薄である」などがもっともらしい「理由」として挙げられている。根拠薄弱で「まさか!」と思われることでも、最近はアレヨアレヨと法制化されるご時世、決して油断はならないだろうし、とりあえずの対抗軸として、教育基本法の「さらなる改悪反対」の立場は譲れないと思っている。しかし、誰もほとんど指摘しないけれど、教育基本法は、その第一条からして、近代公教育の枠内のものであることを忘れないでおきたい。

 第一条……教育は人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
 もちろん抽象度の高い一つひとつの言葉に異論があるわけではないが、「真理」「正義」「個人の価値」「責任」「自主的」「健康」等々は、いずれも具体的な中身をめぐって極めて争論的なものである。しかも、限定なしの「教育」が「人格の完成をめざす」と言い切っていることから、学校教育(公教育)が一人ひとりの人格にまで踏み込むことを許してしまっている。そして、その延長線上に「国民の育成を期して」と目的化されていることは、信条・心情含めた「国民づくり」が前提とされる根拠となっている。国旗・国歌法の後、当然のように学校儀式での国旗(日の丸)掲揚、国歌(君が代)斉唱を強要する文部官僚の(官製教育常識の?)、この法的根拠はやはり明確に断ち切られる必要があるだろう。
 対立的な利害関係を孕み、さまざまな価値観、文化を担う異質な人間たちによるこれからの国家の枠組みづくりは、当然、これまでの“国家壊し”(地方自治の現実化)と並行しつつ、緩やかなものにならざるをえないだろう。そして、国家(政府)のなすべきことは、単に「大きな国家/小さな国家」という論争次元を超えて、そこを生活基盤とするすべての人間にとっての最低保障(生存・生活権保障)に集中されなければならない。
 その意味では、地域のすべての人間(子どもにも、必要とする大人にも)に開かれた義務教育(とりわけ初等の)学校は、そこで学びかつ遊び、生活する子どもら(大人たち)が、生活に必要な「言葉」「数量」「表現」「人間関係」を何度でも繰り返し身につけられる場でなければならない。     
 国家の決めた教育方針と教育内容を、上から全国一律に下ろして伝授するいわゆる「近代公教育」は、いまや徹底的につくり代えられなければならない。「学校崩壊」「学級崩壊」とは教師と子どもたちの悲鳴であり親たちの不安なのだから。まさに、教師たちは自由を奪われ、子どもたちは生気を殺がれている。
 そのためにも、国家の官僚であった「教官」の伝統を断ち切れないままに戦後に継承された教育公務員制度も、早急に見直されるべきだろう。教師の待遇保障に裏打ちされた自由の保障は、「公務員」という形ではなく構想される必要があるからである。教師の自由は、子どもたちの学びの楽しさを保障する要の一つでもある。それには「教育労働者組合」のあり方と再組織化の可能性を探ることも欠かせない大きな課題の一つである。

経済と公教育……あるいは「働くこと」と公教育
 「公」教育は、その「公」のあり様、すなわち国家と(市民)社会のあり様(=政治)と密接不可分であることと同様、人材養成という形での経済からの要求とも密接に関連したものである。私(たち)がマルクス主義教育学の論陣を張っていた頃、近代公教育の「本質」を、ナショナリズムのイデオロギー支配と資本主義の「労働力の再生産」に見出だして、激しく批判してきたが、その対象としての基本構図は現在も変わってはいない(批判のスタンスや、その拠り所としての思想、方法論は変わるべきだと考えているが)。
 その意味では、公教育に市場原理を持ち込み、新しい自由主義の装いによる「学校選択の自由化」論は、どちらかといえば効率的なエリート人材の養成を主要に目論むものだろう。
 ただし、かつても、公教育の経済的な主なるねらいは、高等教育によって輩出されるエリート層の確保であって、その中途で切り捨てられる人々の労働や仕事のための教育は、大学に行くための「普通教育」に対する「職業教育」として、明らかに軽視され差別され続けてきた。
 この労働、仕事のための公教育を組織しなおすためには、まずは労働市場での雇用保障、最低賃金保障の経済政策が不可欠である。中等・高等教育での学びの現実性と真の自由を支えるものは、この公教育の基盤でもある経済の構造変革を欠かしては具体化しえないからである。子どもたちの「学びの自由」もまた、それを支える生活・雇用の保障の上で初めて自由になりうるだろう。

(『反天皇制運動PUNCH!』2号、2000.12.12)















【反天運動月報】(2)
明文改憲と天皇制批判―運動の方向をめぐって(2)
天野恵一●反天皇制運動連絡会

一一月二五日・二六日の佐世保市での「戦争協力への道を阻止するための合宿討論会」に参加。私は派兵チェックのメンバーとして、もっぱらこの間の反戦・反安保の運動をめぐる討論と報告を目的に参加したのである。しかし、二五日の「有事立法と改憲」をテーマにした分科会では、反天皇制運動と政府の改憲に反対するという運動との、ある意味で矛盾しているといいうる関係を、どのように考えるかという問題について、集中的に発言することになってしまった。
 そこでは、「護憲」という立場から、あまり象徴天皇制批判はしない方が戦術的にはよい、というような主張を展開する人はいなかった。反対に憲法九条(平和主義)の積極的な意味を認め、これを改悪しようという政府の改憲に反対するという前提は共有しつつも、一章(天皇条項)はなくすべきだというのも改憲の主張であるわけだから、護憲という立場でないのはもちろん、改憲反対という論理も、どうもスッキリしないという意見が少なくなかった(そこには私同様、長く反天皇制運動を持続している参加者がいたので、それは当然といえば当然の話であったが)。
 私は、徹底的に象徴天皇制批判にこだわり、そうであるにもかかわらず、ではなくして、そうであるからこそ政府の明文改憲に反対するという思想と行動がつくられるべきではないか、と主張した。この表面的な矛盾は、そういう方向へこそ突破すべきであると、私はこの間、強く思いだしている。もちろん政府の明文改憲の構想には象徴天皇制の強化(「皇室外交」など、すでに展開している違憲の行為のハッキリとした合憲化というレベルのものであり、戦前型の天皇制の「復活」ではないが)は含まれるであろう。その強化に反対なのはあたりまえだが、本来の象徴天皇(純粋の儀礼的存在)にとどめるべきだという「護憲」的立場に私たちは立たずにきた。そういう主張の人々との運動的協力は様々につくりだしてきたが、「護憲」という立場を超えて、象徴天皇制の存在それ自身と具体的に対決する運動をこそ、私たちは歴史的に蓄積してきたのである。この立場を戦術的に崩して、とにかく政府の改憲への反対運動の足なみを乱さないようにすべきだという、一部に存在する主張に、私は反対である。
 しかし、天皇条項の存在への批判はあたりまえであるが、私たちの反天皇制運動は「改憲派」であると、ことさら主張してみせることにも積極的な意味を見いだせないのだ。
 「護憲的」立場への後退などという政治配慮にふりまわされることも、政府の戦争国家化に向けた明文改憲が具体的なスケジュールになりつつある政治状況を無視して、ひたすら反天皇制「改憲」を主張することにも私は、賛成できない。
 反象徴天皇制という思想と行動のパワーが、そのまま政府の改憲に反対する思想と行動であるという通路こそが、自覚的につくりだされなければならない。この合宿(分科会)で、こういう立場から、私は、あれこれ発言した。
 佐世保から帰って、すぐ私は、改憲派のイデオローグの一人、西修の「『護憲ごっこ』はもう沢山だ」(『諸君!』二〇〇一年一月号)を読んだ。
 西は、日本国憲法の成立のプロセスで、共産党が日本人民共和国憲法草案を提示し「天皇制の廃止」を主張した事実をまず示し、かつて解釈改憲を批判する非武装中立論者であった土井たか子については以下のように論じている。
 「前任者の村山富市委員長が『自衛隊は合憲であり、日米安保条約を堅持する』と発言し、社会党大会でこの発言を承認したのは、一九九四年(平成六年)九月のことである。これこそまさに解釈改憲そのものである。党名こそ変更したが、村山委員長の後継者として、党首の座についた土井たか子氏は、自らの党の解釈改憲について、なんの釈明もしていない。元憲法学者として、そして公党の党首として、自らの非武装平和主義と自衛隊合憲、日米安保堅持との関係を国民にわかりやすく説明する義務がある」。
 まあ、根拠のある批判だ。土井が党首の社民党は自衛隊は「かぎりなく違憲に近い」という方針にまた変わりつつあるようだと一二月五日の『朝日新聞』は報道している。こんどはまともな説明はあるのだろうか。
 西は、さらに、このように続けている。
 「前述の朝日のアンケート調査において、ただ一人『改憲』と回答した社民党議員がいた。その理由は『天皇条項を削除する』というものであった。まことに明快である。考えるまでもなく、どんな形をとるにせよ、天皇制と社会主義とは両立しない。社会主義に忠実であれば、天皇条項の削除は、当然に導かれる帰結である。/宮本顕治氏は、『天皇制批判について』と題する論稿でこう断言している。/『天皇制打倒の任務は、わが党の戦略的任務であり、決して単なる戦術的問題ではない。戦略的任務を率直かつ公然と掲げないならば、当面する変革の根本的任務を、大衆に普及することはできない。また戦略的任務を隠蔽するといふことは、党の基本的任務の放棄であり、大衆に対する欺瞞であり、同時に解党主義的な日和見主義である』(「民主革命の諸問題」一九四八年)/共産党、社民党の全国会議員中、『大衆に対する欺瞞』を避け、堂々と非日和見主義宣言した議員がわずか一人というのは、まことに情けない現象ではないのだろうか」。
 「護憲」政党への、それなりに根拠のある批判(カラカイ)を書いている西は、この後にプライバシー権、環境問題などに対応できる新しい憲法の必要を力説してみせる。西は、天皇制大肯定論者であり、九条改憲でスッキリと派兵国家化という立場の憲法学者である。九条(非武装国家理念)の改悪という大目標へ向けて、「護憲」は欺瞞的で、新しい時代に対応する「改憲」があたりまえというムードを、彼はふりまいてみせているのだ。政府のイデオローグの、中心のねらいは、武装国家の合憲化のための改憲である。本当のねらいを、ソッと改憲のプログラムの一つにまぎれこませるというのが西の政治的めくらましの論法である。
 戦後革新政党の「護憲」が欺瞞だろうが、戦後憲法に欠陥や不足の部分があろうが、九条改悪を含む改憲構想を私たちは決して認めるわけにはいかない。憲法一章(天皇条項)は、侵略戦争(植民地支配)への無責任を宣言しているものである。反対に九条には、人々の天皇の軍隊の蛮行への歴史的反省の思いが、戦後の時間の中でつめこまれてきた。そしてそれは戦争国家・軍事社会化のブレーキとして存在し続けてきたのだ。天皇制を批判し続けることは、私たちが九条の理念を生きるということである。そういう意味で改憲反対と天皇制批判は決して矛盾しない。
(『反天皇制運動PUNCH!』2号、2000.12.12)

















【書評】

大日本帝国憲法=教育勅語体制と日本国憲法=教育基本法体制
津田道夫著『君は教育勅語を知っているか――「神の国」の記憶』(社会評論社)

高橋寿臣●反天皇制運動連絡会

 二〇〇〇年五月、森首相は「日本は天皇を中心とする神の国」なる発言を行ない、又、それを前後した時期(そして多分、今も)「教育勅語は、まじめな一つの真理はあった……」云々の見解を繰り返した。教育の問題にかぎっていえばその見解は教育基本法の改悪の意図と結びついている。本書は直接的にはそれらの発言に触発されて書かれたものであるが、もちろん、それと軌を一にし登場してきている「右」=反動の様々な動きを連関させてとりあげているのである。
 本書の内容構成は、第一に「教育勅語」そのものについての部分=明治末期〜戦前・戦中までの教育に関わる事柄であり、第二に、日本国憲法と教育基本法及びそれへの「反動」の状況を論じた部分となっている。
 本書のそもそもの眼目である「教育勅語」については「今でも暗誦できる」著者が、その発布への経過、内容、歴史的な位置づけ等について的確な解説を行っている。そもそもこの世代の人々には左翼であっても「教育勅語」を諳んじている人が多く、右翼とのやりとりの中で「教育勅語も知らないくせに……」と罵倒することもよくあったようである。著者の場合、自身の被教育体験(それは学校に関していえば御真影と儀式に代表され、地域・子供社会のありよう、文部省唱歌とも結びついている)に基づいて、その「勅語イデオロギー」にどのように人々がからめとられていったのか=統合されていったのかが記されていて説得性がある。私自身に即していえば、北村小夜さんからもしばしば指摘されている「唱歌」の持つ統合作用について、あらためて議論を深めたい、という意欲をかきたてるものであった。
 総論として著者は、この国民統合装置としての教育体制を大日本帝国憲法=教育勅語体制として総括するものであるが、それと対比して高く評価されているのが日本国憲法=教育基本法体制である。これは今日の状況において憲法改悪への動きが強まってきているという著者の危機感があり、憲法擁護=護憲の意義を力説したい、という意欲のあらわれと了解できるが、私(たち)にとっては多くの疑問符がつくところである。
 端的にいってそれは、現憲法第一章「象徴天皇制」をどう理解しているのか、という点につきる。ダグラス・ラミスの論を援用しながら「日本国憲法は、天皇大権を奪権し、人民の権利を宣明する内容」と述べているのであるが、それはそうチョー楽観的に「断定」できるものであろうか。今の私は、確かに三十年前の「しょせんブルジョワ憲法にすぎない」などと無内容に断言していた私とは違っている。憲法に記されている様々な人権条項・民主主義的諸規定が、具体的なあれこれの闘いに活用できることも承知している。確かに現憲法とその天皇条項は大日本帝国憲法とは「断絶」しているのだ。しかし、私たちが反天皇制運動の中で問題としてきたのは、「断絶」の面ではなくその「継承」の面ではなかったのか。「元首」でなくても「象徴」がもつ政治性=統合作用や非政治的とみえる様々な(天皇)儀礼が持つ統合の回路ではなかったのか。
 それらを考えて私が感じる本書の最大の問題点は、今日進行している様々な事態が「反動・回帰」として認識・整理されている点であろう。
 それに対応しているのが「民主主義的人民闘争」という対抗価値観であり、それはたんに「古臭い」という問題ではなく、今日の状況に対して闘っていこうとする主体の中身をどう考えるのか、という問題なのである。少なくとも私には、これでは、戦後の左翼(運動)がそれに同伴した民主主義(運動)への、今日の右派による激しい非難・罵倒に的確な反撃ができないと思う。そういった運動の洗い直しが同時に求められているのではないのか。
 無論、著者と私(たち)では、運動の場や体験に違いがあったのであるから、当面、やむをえないことではあると思う。著者の善意と情熱は感銘を受けるものであり、多くの若い人たちには、指摘した問題点を自覚しながら学習・討論してもらいたい一冊である。(二〇〇〇年一二月八日〈開戦記念日〉)
(『反天皇制運動PUNCH!』2号、2000.12.12)
















闇の中の新ガイドライン安保

藤井治夫著『密約――日米安保大改悪の陰謀』〔創史社、2000年6月、1700円+税〕

山本英夫●『派兵チェック』編集部

 本書は新ガイドライン安保を巡る軍事分析を通して日米安保の大改悪ぶりを暴露しようとしている。以下簡単に紹介しよう。
 第2章で日本の50年戦争(1894年に始まる日清戦争以来の)から戦後日本国憲法の制定と改憲策動、再軍備・安保条約の批准、冷戦後の数年間で日米両政府が秘密裏に交渉を進めて交わされた安保再定義(96年4月)等を整理。 
 第3章で「新ガイドラインのからくり」を解明しようと、新ガイドラインに先立つ 78年ガイドラインの中で、日米共同作戦計画が立てられ始めたばかりではなく、合同計画委員会(JPC)が全く秘密裏に設立され日米両軍首脳による合同会議が定例的に開催されてきたことを明らかに。それが今度の新ガイドラインで表面化し、BPC(バイラテラル・プランニング・コミティ=双務計画委員会)に再編され公然化してきた。
第4章は水面下で進められてきた実務者協議を紹介し、制服組主導で事が進められてきたその実態を浮き彫りにしている。日米両軍は集団的自衛権の行使に向けて憲法解釈の枠の中でギリギリまで推し進めるとして、一先ず自衛隊による対米支援に絞ったとしている。そして60年安保改訂時に両国で密約が交わされていたが、今回の新ガイドラインでも密約が交わされたと推測している。
 第5章は戦争作戦計画を軍事的な論点に即して整理し、第6章は「脅威の実像」と題して、中国等をも仮想敵とした幾つかのシナリオ(戦争作戦計画)を紹介。第7章「周辺事態から日本有事へ」は自衛隊の組織的再編、集団的自衛権の行使を不可避とする新ガイドラインの危険性を指摘し、第8章で、「戦える国」を目指す有事立法等の動向を予測。
 私達は“密約”を白日の下に明らかにする努力が不可欠だが、本書はそのための手引き書として参考になり、一読をすすめたい。
(『派兵チェック』 第99号、2000年12月15日号)














米軍の希望を実現するSACO合意

真喜志好一ほか著『沖縄はもうだまされない――基地新設=SACO合意のからくりを撃つ』〔高文研、2000年10月、1500円+税〕

梶野宏●『派兵チェック』編集部

 本書は、「米世界戦略の中の基地・沖縄」(崎浜秀光)、「SACO合意のからくりを暴く」(真喜志好一)、「ジュゴンの海を守る」(東恩納琢磨・述/浦島悦子・録)と高里鈴代、真志喜トミ、国政美恵の三氏による座談会「心に届け! 沖縄の女たちは訴える」の4つのパートから構成されている。
 それぞれに読み応えがあり沖縄の最近の状況を知る上で貴重な発言だが、なかでも分量的にも半分近くを占める真喜志好一の「SACO合意のからくりを暴く」は圧巻である。文字通り「からくり」が「暴」かれていく、その過程が推理小説の解決編を読むように鮮やかに記述されている。
 暴かれている中身はもちろん1996年4月に大新聞にでかでかと報道された「普天間全面返還」を中心とする沖縄の米軍基地返還を「進める」SACO合意の欺瞞性である。すなわち、普天間空港の返還などは、橋本首相(当時)が、交渉によって米政府から勝ち取った成果なのでは全くなく、実は沖縄の施政権返還以前より米軍によって検討されてきた基地の「統合・強化・新鋭化」の実現にほかならないこと。
 しかも「沖縄県の希望を入れて日本政府が米国に申し入れる」形をとることで、米軍の長年の希望であるその実現を、費用一切を日本側が負担することになること。
 まったく日本政府のアメリカに対する「お人好し」ぶりにあきれるほかないが、沖縄に対しては(いや日本「国民」全体に対しても)、徹底した「だまし」ぶりである。
 情報公開法やインターネットの米軍関連ホーム・ページを駆使した真喜志ら「SACO 合意を究明する県民会議」の活動は、沖縄の「もうだまされない」という強い意志を示して余りある。さて、日米安保の「密約」がほとんど公然化している「本土」の側はどうか? まだまだだまされたいのか?
(『派兵チェック』 第99号、2000年12月15日号)