2000.9.20  No.32

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目 次




【議論と論考】

私たちにとっての「防災」とは?――「馬鹿な左翼」だってか!(天野恵一)

【言葉の重力・無重力】(7)

「個」を脅しつける「体制」の論理――曽野綾子「日本人へ:教育改革国民会議第一分科会答申」を読む(太田昌国)

【書評】

天野恵一著『沖縄経験〈民衆の安全保障〉へ』(彦坂 諦)

柄谷行人著『倫理21』(栗原幸夫)













《議論と論考》

私たちにとっての「防災」とは?
―「馬鹿な左翼」だってか!―

天野恵一●反天皇制運動連絡会

私たちにとっての「防災」とは?
−−「馬鹿な左翼」だってか!

天野恵一

 9月1日、2日、3日は、石原東京都知事らが(もちろん政府の強力なバックアップに支えられて)強制する「ビッグレスキュー東京2000」、すなわち自衛隊7100人をくり出した「防災訓練」の名目での「軍事=治安出動演習」への抗議の連続行動。2日、3日は炎天下のデモで汗だくであった。ここ1ヶ月、この問題に直面し、いろんなところで討論しながら、私は1978年に成立した「大規模地震対策特別措置法」、そしてくりかえされだした大規模な自衛隊参加の「防災訓練」などへの抗議や監視活動をくりひろげた時代のことを思い出した。当時、私たちは民衆の動員訓練と「大地震法」の「有事立法」としての性格を、問題にし続けた。
 そして、私は、石原の排外主義的な「三国人」発言は、この訓練へ向けて発せられたという点にこそ注目してきた。5年前の阪神・淡路震災の時、政府・マスコミは、自衛隊の積極的活用の必要をしきりとキャンペーンし、これをステップに各地の自治体には「防災」のための自衛隊の協力という体制がさらにつくりだされてしまった。着実に、社会の軍事化が進展しており、9月3日の「演習」は、ここまで来てしまっているということを公然化する大デモンストレーションともいえた。
 もちろん、一方で三宅島の噴火は全島民の避難の必要という局面まで来ている状況下である。本当の防災にもっと金も精力も使えという声は少なくなく、軍事訓練にハシャいでいる石原の態度に怒りを感じていた人も決してすくなくはなかったはずだ。これは街頭デモへの反応でも少しは実感できた。新聞・テレビなどのマスコミの扱いにもまた、そういう批判のトーンはなくなってはいない。
 『かけはし』(9月11日)は都立木場公園(江東区)での、抗議の横断幕を石原の目の前につきだした行動のレポートには、こう書かれていた。
 「……横断幕を掲げ続けた。石原の目にも当然入っており、途中で機嫌が悪くなったように見えた。午後の講評での『馬鹿な左翼が反対したが……』との暴言の原因になったのかもしれない」。
 討論の中で、国家にとっての「防災」と私たちにとっての「防災」の違いをこそ考えるべき、ということがよく語られた。そして、自衛隊は阪神・淡路の震災の時も、倒壊家屋からの人間の救出という大切なところでは、あまり役に立っておらず近隣住民や肉親、消防レスキューの努力こそが、ギリギリの救出の主役であったことは、様々に語られ続けてきた。人名殺傷のための訓練にあけくれている軍隊が、「人命救助」の主役になりようはないのだ。今、自衛隊の内部に「災害救援」専門の部隊をつくる動きが始まっているが、これも、日常的に、殺傷訓練をやめて救援訓練をやる部隊というわけではないのだ(それをやめたら軍隊でなくなってしまう)。自衛隊も「災害救援」に使えますよという操作的アピールのための、部隊づくりであるにすぎない。こういう事は私たちに、よく理解できるようになっている。
 デモ中に、「軍隊は民衆を守らない!」というシュプレヒコールが、何度もくりかえされた。これは沖縄の反基地闘争の中で主張され続け、この間の「本土(ヤマト)」の反ガイドライン安保・反周辺事態法運動の中で、全国をかけめぐったシュプレヒコールであった。
 目取真俊は、「まさに『日本人』自身の問題である」(内海愛子・高橋哲哉・徐京植編『石原都知事「三国人」発言の何が問題なのか』〈影書房〉所収)で、以下のように語っている。
 「自衛隊は『国民』を無条件に守ってくれる、と考えるのは、革命や『国内戦』の経験がほとんどない日本人に広く見られる甘い考えであって、軍隊がいかに自国民に銃を向けるものであるかは、沖縄戦においても十分証明されている。石原発言はそういう意味で、一部の『外国人』にとってのみ危険なのではない。『日本人』対『外国人』という図式の中でこの問題をとらえるのではなく、石原知事をはじめとした国家主義者たちが、時の勢いを得て一気に有事(戦争)体制の確立を追求しようとしていることの危険性を、『日本人』『外国人』を問わず自分の問題として考えていくことこそ大切である」。
 国家(軍隊)を主役にした、あるいはそれの協力を前提にした「安全保障」ではなく、それと対峙する「民衆による安全保障」をどうつくり出していくのか、という論議は、国(軍隊)による「防災」ではない、私たちにとっての「防災」はどうあるべきであり、そのために何をすべきなのか、という問題に、必然的に連動していく。
 80年代・90年代と、軍隊の日本社会への浸透は、残念ながら、飛躍的に進んでしまった。しかし、これに正面から反撃していく行動と論理は、それなりに運動的に蓄積されてきているのだ。
 石原が私たちを、そして多くの抗議の声をあげた人々を、「馬鹿な左翼」と一括したことを忘れまい。
(『派兵チェック』 第96号、2000年9月15日)












《言葉の重力・無重力》(7)

「個」を脅しつける「体制」の論理
曽野綾子「日本人へ:教育改革国民会議第一分科会答申」を読む

太田昌国●ラテンアメリカ研究家

 前首相・小渕の発案で首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」(座長・江崎玲於奈)が設置され第一回会合が開かれたのは、2000年3月のことだった。小渕の死後、それは現首相の諮問機関として引き継がれ、去る7月には早くも分科会報告がまとめられた。そこで「小・中学生には二週間、高校生には一ヵ月の奉仕活動を求め、将来的には、満18歳の全国民に一年間の奉仕活動などを義務づけること」を提言したことは、すでに報道されている。前国会における首相・森の所信表明演説でも「学校教育に奉仕活動を導入する」ことの大切さが強調されていた。
 この諮問機関の中間報告原案が公表されるのは、来る9月22日だが、それに先立って、いくつもの観測気球が上げられ始めた。8月末ギリギリに発売された『諸君!』 10月号には、曽野綾子の「日本人へ――教育改革国民会議第一分科会答申全文」なる文章が載った。「日教組的教育がおかしい」と感じていた曽野は、それでも「日本人の賢さと小器用さが、何とかその毒素を受けるのを防いでいるのだろう」と期待して委員を引き受け、答申案下書きの起草を担当したものらしい。続いて、9月5日に記者会見した文相・大島理森は、国民会議が答申するであろう「奉仕活動を充実させる」という考え方は「文部省の方針にものっとるものだ。首相からも来年の通常国会に照準を合わせて準備をしていくべきだと話があった」と語った。これら一連の動きをまとめた朝日新聞は、同月6日付の紙面で、「政府・与党は、小・中・高校生にボランティア活動を義務づけるための関連法案を、来年の通常国会に提出する方針を固めた」と報じた。この記事は「どのような奉仕活動を義務づけるのか」をめぐる議論は今後の詰めの問題としながらも、この「規定方針」の路線を走り始めた与党幹部のあけすけな発言をいくつか紹介している。曰く、奉仕活動の分野は「消防団でも、予備自衛官でも、介護でもよい」。曰く、奉仕活動の義務化に「世間の親は反対しないだろう」。曰く、「ボランティアをやらないと大学も入れない。就職も認めない」
 先に「観測気球」とは言ったが、打ち上げている側は、十分に昨今の情勢を読み込んで(=観測して)かなりの自信をもってこれらを行なっているように思える。凶悪な少年犯罪の多発、学校教育現場の荒廃といった、誰の目にもわかりやすい現実は、これに「対応する」(かに見える)政策を政府が採用することを容易にしている。同じ6日の紙面で報道されている「少年法改正問題で、与党三党は、刑事罰適用年齢を現行の『16歳以上』から『14歳以上』に引き下げることで基本的に合意した」との方針も、「世間の親」は一般的に「重い罰則規定が、犯罪抑止効果をもつ」と考えやすいことを利用している動きだといえるだろう。
 朝日新聞政治部・阿部記者は「強制力をちらつかせ、義務だといってやらせる」奉仕活動のあり方に、当然の危惧を表明した(6日付解説記事)。吉本隆明は、自分の体験でも「義務づけられた勤労奉仕は工科大学生として徴用動員をされた時だけで、後は農村動員、雑作業の奉仕も学校単位の決定にゆだねられていた」として、「神聖天皇制下の軍国主義の戦争期に勝るとも劣らぬファッショ的な統制を、いやしくも江崎ダイオードの発明と開拓を推進した江崎氏のような科学者をチーフとする人々が決議」することは許されるべきことではないと論じた(朝日新聞9月10日付)。吉本特有の「科学者に備わっているはずの科学性」に対する相も変らぬ信仰告白と、このような方針が提起されようとしているのは「労働力不足」によるものだと吉本が判断して批判しているのは、見当違いもはなはだしい思うが、「青少年の非行防止のつもりなら、とんだ見当違いで、まず自分たち大人の非行、暴挙を即座に撤回すべきだ」とする結論に、異論はない。
 公式発表に先んじて『諸君!』10月号に曽野綾子が寄稿した答申案を読んでみる。官僚指揮下の政府審議会では、自分のような小説家の文章の出番はないが、今回は「ことが人間性の問題なので」自分の文章でもいいだろうと考えた、と曽野は言う。曽野に「人間性」など教わりたくないと考えている私には、「日本人へ」という、答申案の堂々たるよびかけも含めて、傍迷惑な「自信」である。だが、たしかに、政府審議会答申案にはめずらしい文体の文章ではある。部分的には、いくぶん情緒的でもある。青少年の現状に対する怖さ、教育の現状に対する不満を抱えている「世間」には、それなりに受け入れやすい「雰囲気」はもっているので、それが果たしうる意味を軽視しないほうがよいと思う。
 答申案は、社会性と世界性の欠如を特徴としている。大人が作り上げた社会への反省めいた言葉はある。物質的な豊かさで失われた人間性への言及という、見慣れた風景もある。「地球上の多くで、子どもも大人も生きるために働いている」という、世界を見つめた文言もある。それらが、有機的な構成の中で論理的に分析されることはない。垂れ流しのような文章として続くだけである。その挙句末尾には「誰があなた達に、炊き立てのご飯を食べられるようにしてくれたか。誰があなた達に冷えたビールを飲める体制を作ってくれたか」という表現がくる。私的領域の問題に、「体制」が、つまりは国家が顔を出し、「個」を脅しつける構造が透けて見える。抽象的に感慨に耽る文章の中で、突然のように現れるのが「奉仕活動義務化」の方針なのだが、唯一具体的な「指針」がこれだけだという点に、「科学者」江崎や小説家・曽野らが、「体制」の意をうけてまもなく発表する「答申」の本質があると言える。
(『派兵チェック』 第96号、2000年9月15日)









《書評》

反戦・平和運動の根拠としての〈沖縄経験〉

天野恵一著『沖縄経験〈民衆の安全保障〉へ』〔社会評論社/2000年、2,000円+税〕

彦坂 諦●作家

 軍隊は私たちを守ってくれはしない、どころか、軍隊が私たちの生きる場にいるだけで、私たちは危険にさらされる。この単純平明な真理を、天野は、この本に集められたいくつもの文章のなかで、あらゆる角度から、単純平明に語っている。
 95年に沖縄で「少女暴行事件」が起ったとき、沖縄の「行動する女たちの会」は単純率直に声をあげた。軍隊が私たちの安全を保障するというのなら、「米軍がいると生きづらいのはなぜか」? 現実には、米軍がいるところこそ「いちばん危険」ではないか。そもそも「軍隊はいらないんじゃないか。軍隊自体が、ふつうに生きていくことを抑圧するんじゃないか」?
 この「論理」が「日常言語」で「ひじょうに力強く、生の声で、歴史的な基地被害の体験をふまえながら押し出されてきた」ことに感銘を受け、天野のうちで「非武装・非軍事社会というイメージが、具体的な運動のイメージとつながった」。そして、「ふつうの人が生きていく上で必要な安全保障」と「国家が軍隊を主体にして考えている安全保障」とはちがうのだ、したがってこの両者を「どのように区別するかを、具体的に明らかにすることを運動の課題として考え続けて」いかなければならないのだ、ということがあらためて確認された。(本書pp. 38--39より。以下本書からの引用については頁のみ)
 一方では、しかし、「最小限」であれ「防衛」のための武装力は必要だと言いはってその理由を複雑難解に述べたてる者が後を絶たない。どころか、ますます増えてきそうなけはいだ。この種のひとびとは歴史からなにひとつ学んでいない。まさにこの国が70年ほど前にあの大戦争をおっぱじめ、「三百万人の自国民が死に、二千万人もの他国の人を殺した」(p. 69)というのに。いや、学んでいないどころか、この国のこの民族は、あの大戦争を「経験」することさえしなかったのではないか?
 「日本人はあの戦争と敗北の犠牲の中をただ通り過ぎただけで、決して体験することはなかったのだ」と、吉田満は『散華の世代から』(講談社 p. 54)のなかで嘆いている。体験されることさえなかったものが、どうして経験化されえよう。
 このていたらくに根底から異議をつきつけるのが、天野の言う「沖縄経験」だ。これが、いま、私たちにとってどういう意味を持つか?

 抽象的な「平和・安全」という理念(言葉)は、常に国家の支配者たちによって語られ続けてきたが、その理念は戦争にかぶせられる欺瞞的ベール以外ではなかった。
 沖縄戦の、そして戦後の「基地のなかに沖縄がある」状況の、沖縄の歴史・社会的体験、それをベースにはぐくまれた〈沖縄経験〉は、この権力者のベールをはぎとる具体的な体験の集約である。
 その〈沖縄の経験〉をどう私たちなりの位置で共有するのか、それと、どのように連帯するのか、ということが私のこの間の運動(思想)テーマなのである。(p.8)

 この地点から逆にふりかえって、天野は、これまでの反戦・平和運動に貼りついていたさまざまな欺瞞のヴェールを剥がしていき、「外のどこかの正義の実力に加担する運動ではなくて、自分たち自身の運動の根拠に〈非武装国家化=非軍事社会化〉をキチンと据えることこそが大切なのだ」(p. 35)と結論する。
 この思想に到達するのは、しかし、天野にとってすら、そうかんたんなことではなかったはずだ。「自覚的に訣別」しなければならなかったものもある。たとえば、「自分たち民衆の武装」への「ロマン」。(p. 34、p. 36)
 「ロマン」は、私にはなかった。「武装闘争」の「古典的」時代から一貫して非暴力的抵抗(不服従/ノン・アクセプタンス)のありようをこそ私は考えてきた。だがその私に執拗につきまとっていたのは、ある具体的な状況のもとでそれ以外に道はないと思いさだめた民衆が武器をとって立ちあがるのをどうして私は非難できようか、という思いだった。
 この思いを最終的に乗りこえたとは言うまい。しかしいま私は知っている──人民を守るために戦っている兵士たちでも、軍隊として戦わなければならないばあいには、人民を置きざりにすることもありうる、それが軍隊であるかぎり、軍隊の本質的諸属性から完全に解放されることはありえない、といったことを。たとえ解放のための戦いであろうとも、癒しえぬ傷をそこで心身に負ってしまうのは、解放戦士とて同様であることも。現実の個々の戦いが、いかに、救いがたい憎悪の連鎖反応を生みだすものであるか、をも。
 「軍隊・軍備をまるごと拒否する思想(抵抗の暴力の一切を否定するわけではないが)に根拠を据えて反戦・平和運動へ」(p. 36)という天野のメッセージを、私たちは、真摯に受けとめなければならないだろう。
(『派兵チェック』 第96号、2000年9月15日)










柄谷行人著『倫理21』を読む
(1600円、平凡社刊)

栗原幸夫●文学史を読みかえる研究会

 著者はまず、「数年前から私は戦争責任という問題について考えていましたが、それについて本質的なことをいうためには、責任とは何か、倫理とは何かということについて、根本的に考えなければならないと感じていました。その時、私はカントの『批判』が今もって最も根本的だということに気づきました」と語り始めている。
 マルクスがある社会の生成・発展・没落の過程を「一つの自然史的過程」と呼んだことはよく知られている。それでは人間個人はその客観的な過程にどのようにかかわるのかという問題は、さまざまな局面でさまざまな角度からくりかえし問われてきた。その根本にあるのは、客観的な法則性(必然性)の認識と、そのなかにおける個人の実践(倫理)との関係如何という問題である。
 プロレタリアートの解放に役立つものはすべて「善」である、というレーニンの功利主義的倫理に危うさを見たマルクス主義者のおおくが、カントによってこの問題を解こうとした。二〇世紀初期のマックス・アドラーやカール・フォルレンダーらいわゆる「新カント派マルクス主義」にはじまり、戦後のフランクフルト学派にいたる歴史がそれを示している。
 近年の柄谷行人が『トランスクリティーク――カントとマルクス』や『可能なるコミュニズム』でつづけている、カントによってマルクスを読みかえ、マルクスによってカントを読みかえるという作業も、このような文脈におけば新しいカント派マルクス主義の試みといえなくもない。しかしこれらで問題になっているのはそのような思想史的回顧でないことはいうまでもない。ここには一種の実践的なプログラムが、原理論から「生産―消費協同組合のグローバルなアソシエーション」による資本と国家にたいする対抗運動の展望まで含めて展開されているのである。そして本書『倫理 21』はこのような展望がどうして可能なのかを、そのもっとも根底にまでさかのぼって明らかにしようとしている。
 ではそれがどのような文脈で語られているのかを紹介するには、十二章におよぶ目次の項目を書き写すのが簡便である。そこで語られているのは、――親の責任を問う日本の特殊性、人間の攻撃性を認識すること、自由はけっして「自然」からは出てこない、自然的・社会的因果性を括弧に入れる、世界市民的に考えることこそが「パブリック」である、宗教は倫理的である限りにおいて肯定される、幸福主義(功利主義)には「自由」がない、責任の四つの区別と根本的形而上性、戦争における天皇の刑事的責任、非転向共産党員の「政治的責任」、死せる他者とわれわれの関係、生まれざる他者への倫理的義務、――である。
 この本はわたしたちに自由と必然について考えさせる。われわれは必然のなかにおかれているということと、われわれは、サルトル流にいえば「自由という刑に処せられている」ということとの二律背反のなかで、われわれははじめて倫理あるいは責任という問題にぶつかる。つまり責任とは自分が自由である、自分が原因であると想定した場合にのみ存在する。だから天皇制という自由を吸い込んでしまう装置(たとえば「軍人勅諭」の「上官の命を承ること実は朕が命を承る義なりと心得よ」)のもとでは、責任の意識は生まれない。ただこのような装置を相対化し、その構造を認識した場合にのみ人はそこから自立して自己の責任を引き受けることができるのである。
 「では、どのように責任をとるのか。それは、謝罪や服役、自殺というようなことだけではないと思います」と著者は言い、次のようにつづける。「望ましい責任の取り方は、この間の過程を残らず考察することです。いかにしてそうなったのかを、徹底的に検証し認識すること、それは自己弁護とは別のものです。」この著者の主張に私は全面的に賛成だ。そのうえでさらに、その「過程」を生み出した原因の実践的な解消、つまり誤りを繰り返さないための保証という要求をつけくわえたい。
 著者は結論の部分でつぎのように述べる。――「賃労働の廃棄ということは、『他者を手段としてのみならず、同時に目的として扱う』ということの現実的な形態にほかなりません。マルクスにとっては、それは『至上命令』でした。このことは、けっして自然史的必然ではありません。むしろ、自然史的に見れば、資本主義的経済は永続するでしょう。それを廃棄するのは、倫理的な介入です。つまり、『自由』の次元からのみ、それは来るのです。」
 マルクス主義からの距離によって、この結論には賛否がわかれるだろう。しかし刺激的な問題提起であることにかわりはない。