alternative autonomous lane No.17
1999.6.20

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目 次





【議論と論考】

「法制化」と戦後国家の転換(岡村達雄)

戦争国家体制の成立とフレームアップ(深田卓)

「日の丸・君が代」強制と右翼テロ――アキヒト在位十年「奉祝」の動きの中で (天野恵一)

【無党派運動の思想】

「総括」の方法、そして「共感」と「反発」(国富建治)

【チョー右派言論を読む】

傍観か空爆か。少女の涙と大統領の周到な配慮――二者択一論と二元論の狭間に陥らないために (太田昌国)

「日の丸・君が代」は「学校」を救う(伊藤公雄)

【書評】

天野〈テンノ〉は天皇〈テンノウ〉ではないのだ!――天野恵一著 『無党派運動の思想[共産主義と暴力]再考』(池田浩士)

海外情報

イスラエル大統領選以後の中東(森田ケイ)
















「法制化」と戦後国家の転換

岡村達雄●関西大学教員

 三月初めからの「日の丸・君が代」の法制化問題は、五月末、今国会への提出断念が報道され、とりあえず決着は先送りとなった。しかしこの間の問題の推移と議論の内容、方向は、戦後日本国家が抱えてきた未済の問題を明らかにするものであった。その点に関して、なぜいま法制化なのか、いいかえれば戦後今日まで法制化されてこなかったのはなぜか、そのことが問題にされてよいと指摘してきた。その要点をあげれば、天皇統治の永続性を近代法治主義をこえて確保するうえで、「法制化なしの戦略」があえてとられてきたのではなかったかという点にあった。それは、戦前から戦後においても一貫していた。ただし、戦後におけるそれは、敗戦によって一度解体された「戦略」の復活を企図するという戦略として展開された。それは天皇大権下と異なる象徴天皇制の下でも基本的には変わらないと見なされたからである。このことに強くこだわってきたわけではない。しかし、こうしたいわば〈慣習〉による「戦略」を放棄し、「法制化」を決断するということは、国旗・国歌問題を越えた戦後国家支配の基本構図の転換を伴うことなしにすまない時点に至っていることを示すものだ。そうした認識を迫るものだといってよい。その認識の内実こそ問題にされねばならないだろう。
 たとえば、こうした点に関わり「国旗・国歌は国民の歴史的常識」であり、「日の丸・君が代しかない」という立場において、それらが慣習として確立しているものであれば、「法律を持ち出す必要はない」し、「ヒトの象徴」の天皇と「モノの象徴」である国旗・国歌を同列に論じてしまうことになるが、「付則」に定めて対処しうるとする憲法改正論(西部邁)、あるいは天皇という存在に仮託しないナショナル・アイデンティティの「再確立」を説き、法制化でなく慣習に依るとするダブル・スタンダード論(松本健一、いずれも『SAPIO』五月一二日号)などがあげられる。こうした見方は、天皇制をめぐる諸々の風土論、文化伝統主義、日本文化特性論の周辺ばかりでなく、国体論に発する「保守本流」なるものがあるとすれば、その政治論に連累してきたものだといってよい。
 こうしてみると《「日の丸・君が代」=慣習=天皇制》と《国旗・国歌=法制化=国家》という対抗図は、相互に二重化しつつ補完しあう新たな民衆支配の構造の形成に向かいつつあるというべきだろうか。この間の日米安保新ガイドライン法の成立、通信傍受・盗聴法案、住民基本台帳法案による国民総背番号化、さらに有事立法化をめざす自自公体制のもとで戦後国家は大きく転回しつつあるのも、そうした事態を表すものである。
 このような支配の構造において、「法制化」戦略を位置づけていくことが必要になっているのだと思う。この間の法制化反対の論議の中で、政府・文部省による「日の丸・君が代」強制の実態が指摘され続けてきた。強制は憲法や教育基本法に違背するものだという観点から、思想、良心の自由など精神的自由権が人権論において、公権力に対抗するものとして論じられてきた。しかしこうした論議において、いまあらためて考えていくべき問題があるのではないか、そうしたことを感じてきた。戦後日本において、今日にいたるまで国民教育を教育運動(日教組、全教など)の標語として掲げてきた現実があり、こうしたいわゆる国民教育論への批判を、憲法における象徴天皇規定、あるいは教育基本法における教育目的(第一条)の「国民の育成」を問題にすることを通して、人権論、権利論を相対化していくべきではないか、それに論及してきた経緯がある。こうしたことは、戦争責任、戦後責任、戦後補償、そして「慰安婦」問題をめぐり引き起こされてきた論争において、責任主体としての「日本国民」、「日本人」が問われてきたことと関係している。
 こうした文脈はまた、戦後国民国家における「脱植民地化」の課題を根本から問う視角から、人権や権利なるものの内実を検討せざるをえなくさせているものだ。そこでは国籍や民族に関わる日本国民や日本人の人権、権利という自明性はもはやそれ自体において語りえないであろう。「法制化」が私たちに迫ってきているのは、まさに盗聴国家、監視国家という事態の実質が来たるべき日々においてではなく、すでに「在日外国人」にとって既成事実であり続けてきたという自覚と同種のものなのではないか、と思う。(『反天皇制運動じゃ〜なる』No.23, 1999.6.8号)












戦争国家体制の成立とフレームアップ
深田卓●安田さんを支援する会

 安田好弘弁護士が逮捕されて半年たった。
 七回の法廷が開かれ、意外な事実が明らかになってきた。
 この四月五月の三回の法廷で主尋問・反対尋問が行われてきたのは、安田さんが相談を受けていたスンーズ社で昨年退職するまでひとりで十八年間経理をしていた女性、Oさんである。彼女は九四年から九八年にかけてS社長に分からぬよう二億一千万円をプールしていたというのである。そして昨年三月、同時に退職した四人でその金を勝手に退職金として分け合っていたのである。退職金は別に正式に出ていたにも関わらず。またその他に一七〇〇万円を隠匿し、そのうちの二〇〇万円を自宅近辺の銀行から引き出し、自分が使ったかも知れないと証言したのである。
 スン社の社長たちが逮捕されたとき、彼女がまっさきに考えたのは自分の横領が明らかになり、自分が逮捕されるのではないかということだった。だから、警察、検察の事情聴取に応じたとき、自分が退職金としてとるつもりで二億一千万円を隠匿していたというふうに告白する。ところが警察・検察は横領罪で彼女を告発するのではなく、彼らが元からターゲットにしていた安田さんをフレームアップし逮捕するために彼女を利用するのである。そのためOさんは一カ月、警察に通い、捜査に協力したのである。この協力の代償として、彼女の横領罪は立件されなかったにちがいない。これでは司法取引したと言われてもしかたないことだろう。
 安田弁護士が逮捕された容疑は、強制執行妨害罪、すなわちスン社の資産をエービーシーエンタープライズとワイド・トレージャーという二つの会社に分社化して賃料を隠し、強制執行を妨害したというもの。ところがこれまでの法廷での証言で、債権者であるリース会社は強制執行する気はなかったことを表明している。また今回の経理のOさんの証言で、スン社のS社長が安田弁護士に相談した上、合法的である分社化を行おうとしていたのを、Oさんは自分が横領しやすいように、三つの会社の経理をスン社のみの経理に一元化して行っていたことがあきらかになった。つまり分社化したならそれぞれの会社として経理を独立させない限り、トンネル会社といわれてもしかたない面が法律的に出てくる。しかし横領の都合のために、彼女が経理を分離しなかったことをついて安田弁護士をわざわざ逮捕した、というのがこの逮捕事件である。
 Oさんは返済で必死だったスン社の内部からこれだけの金を抜き取っている。横領は懲役一〇年以下の犯罪だという。一方強制執行妨害罪がもし成立しても最高二年の刑である。しかし、警察・検察は彼女の横領事件を立件せず、安田さんに焦点を絞っているのである。つまり、警察も検察も、安田さんが無実であることを熟知した上での逮捕・でっち上げであることが、裁判の過程で隠しようもなく明らかになってきたのである。
 ではなぜこの時期に、こういう大がかりなフレームアップをしてきたのか。
 安田弁護士はオウム事件麻原彰晃被告の国選弁護士であった。彼は東京第二弁護士会に推薦される形で麻原弁護団に入り、主任弁護人として、世論のオウムへの嫌悪感に依拠した検察の「全てのオウム事件は麻原被告の指示による」という虚構を一つずつ検証し、事件そのものの具体的な姿を明らかにすることに務めてきた。それは被告人の立場に立って、ひとつひとつ事実関係を明らかにしていくという弁護士の職業倫理に基づいた行為でもあった。こういう弁護士をもっとも警察・検察は嫌ったのである。また、いまオウム真理教は治安立法再編のための口実になっている。オウムだということで社会的ヒステリー状況を作り出し、死刑を執行し、規制するために破防法の改悪を言い始めている。
 公安調査庁は破防法の適用条件から「政治目的」をはずし、規制団体の幅を広げる、破壊活動を行う恐れがある団体への立ち入り権を国に認める、対象団体の弁明期間など適用までの期間の短縮、などを検討しているというが、オウムを規制するためという口実は、口あたりがいいらしい。
 このように社会の安全弁として、絶対的な悪=オウム真理教を日本国家は必要としており、麻原裁判の展開はそれを阻むものと映ったのである。
 もう一つ忘れてはならないのは九七年一二月、安田さんを中心とするメンバーが、法務大臣が死刑執行起案書に署名したにも関わらず、人身保護請求で死刑の執行を阻止するという前代未聞のことを行ったことだ。法務省はこれに対して非常に憤っていたという。残念ながらこのとき人身保護請求した六人の死刑囚は、九八年の六月と一一月に分けて、全員処刑されてしまった。こういうことをやる弁護士を許すなという報復感情もあったことだろう。
 この二点で安田さんが警察検察のターゲットになり、組織的犯罪対策法の国会上程をにらんでの逮捕だったことは間違いない。
 安田さんが逮捕された直後に告発したのは住管機構、不良債権回収のための国策会社である。ここの社長が中坊公平元日弁連会長。彼はマスメディアで人権派弁護士として名がたかい。組対法・マネーロンダリング法の先取りともいえる安田さんの逮捕事件であるにも関わらず、どこの弁護士会も抗議声明一つ出せないのはこのためだ。弁護士業務そのものを危うくするような今回の作り上げられた事件に対して、また弁護士会を右から再編しようとするこの攻撃に対して、一人一人の弁護士が考え、跳ね返していくために、安田弁護団は全弁護士一七〇〇〇人に安田さんの弁護人選任を受けて欲しいと二度にわたって呼びかけた。それに応えて、現在一二〇〇人を越える弁護士が安田弁護団に名を連ねている。
 もう一つ、スン社が狙われたのは、中国系シンガポール国籍のSさんが経営している会社だったためだ。宮崎学『地獄への道はアホな正義で埋まっとる』の出版記念会への安田さんのメッセージに以下のようにある。
 「私はスン社の顧問であったことに誇りを持っています。心から良い仕事が出来たと思っています。私は、バブル経済華やかなりし頃のスン社を知りません。しかし、バブルが崩壊した後の旧財閥系をはじめとする金融機関の取立は、露骨な差別という他なく、また、香港、シンガポールに対する体のいい収奪そのものでした。そして、そのもう一つ上を行ったのが旧住管であり、警察であり、検察でした。もし、スン社が日本人オーナー企業であったならば、これほどまでに連続して不当なことがなされることはなかっただろうと思います。私には、排外主義の靴音が聞こえてきます。私は、不当に身柄を拘束され、実に悔しい思いをしています。しかし、ここにいらっしゃる皆さんに、是非とも先程の靴音を聞いてていただきたいと思います。」
 このように安田さん逮捕事件には現代日本の様々な問題が凝縮されているのである。
 五月、ガイドライン関連法案が通り、そして六月盗聴法が衆議院を通過した。そして破防法の改悪、住民基本台帳法など、戦争できる体制を支えるための国内への監視と管理のための法再編が急ピッチで進められている。安田さんの逮捕事件にはそうした流れの中で権力の仕掛けたフレームアップである。
 なんとしても安田さんを完全無罪で取り戻すこと、一刻も早く保釈を勝ち取ることにむけて私たちは七月二四日午後にシンポジウムを行う。パネラーは弁護士の海渡雄一さんを中心に、佐高信、宮崎学、辛淑玉の各氏。ぜひ、参加を。(『反天皇制運動じゃ〜なる』No.23, 1999.6.8号)












「日の丸・君が代」強制と右翼テロ
アキヒト在位十年「奉祝」の動きの中で

天野恵一●反天皇制運動連絡会

 「日の丸・君が代」法制化という政府の動きは、ついに右翼のテロを、引き出した。
 「五日午前八時ごろ、大阪府豊中市新千里東丁三丁目、同市立第八中学校(生徒数五百四十七人)の校長室に男が押し入り、津田直之校長(五七=兵庫県芦屋市楠町)を持っていた果物ナイフで刺した。津田校長は胸や背中などを三カ所刺されて重傷。豊中署は、校長室にいた男を殺人未遂の疑いで現行犯逮捕した。調べに対し、男は『日の丸掲揚や君が代斉唱を全国に広めてほしい。校長を殺せば(マスコミ)に大きく取り上げてもらえる、と思った』などと話しているという」。
 「府警によると岩元容疑者は『私は右翼だ。(日の丸掲揚などを)出身校から広めないといけない』などと供述しているが、これまで右翼団体などに所属していた形跡はないという」(『朝日新聞』六月五日〈夕刊〉)。
 単独犯で背後関係はないような報道であったが、やはりそうではなかった。翌日六日の『朝日新聞』には校長を刺す二日前に、日の丸・君が代については目だった活動をしていない構成員約十名の右翼団体に入っていた事実を伝えている。
 「岩元容疑者は五月末、大阪府内のコンピューター部品製造会社を退職。今月二日に右翼団体の事務所を訪ね、入会を申し入れて断られたが、翌三日には入会を認められたという」。
 なにか奇妙な話である。『赤旗』(六月六日)は右翼団体の名称を示している。一九九一年四月に政治結社として届けられている「太政官(だじょうかん)」というグループで、「九四年六月二十五日に、大阪市・中之島の朝日新聞大阪本社に、バスを改造した街宣車を突っこませ、メンバーのひとりが『器物損壊罪』で現行犯逮捕された右翼団体として、知られています」ということだ。
 君が代を「斉唱」していない学校の校長への右翼テロ。『産経新聞』(六月五日〈夕刊〉)には浅利敬一郎大阪府教委義務教育課長の以下のコメントがある。
 「暴力で意思を通すなんてことはあってはならないし、考えられないこと。国旗・国歌に反対する教師らが強引に国旗を引きずりおろすことが以前にはあったが、今は力づくはよくないという共通認識ができている。教育委員会としてもこれまで教師と議論しながら理解を求め、全般的に掲揚率も斉唱率も上昇してきていただけに、こんな事件が起きて残念でならない」(傍点引用者)。
 拒否する教師たちを、処分するのは「力づく」ではないのか。右翼の刺殺を目指したテロと、処分覚悟の抵抗としての教師の「引きずりおろし」を、同じレベルで「暴力」で一括りする主張は操作的である。力づくで「上昇」させてきた政府・教育委員会の姿勢の延長線上に、右翼のテロ(暴力)が浮上してきたのではないのか。
 『神社新報』(四月二六日号)によれば、「日本会議」の総会が四月一七日にあり、そこにこうある。
 「十一年度の事業計画は「天皇陛下御即位十年奉祝運動と国旗国歌法制化問題が二本柱。五月下旬には天皇陛下御即位奉祝委員会(会長・稲葉興作日本商工会議所会頭=内定)が発足し、十一月十二日に『国民祝賀式典』を政府後援行事として実施する予定」。
 かつて、ヒロヒト天皇在位六〇年「奉祝」キャンペーンの動きの中で、寄せ場(山谷)の労働者からのピンハネ組織をつくろうとした右翼ヤクザが「日の丸」を掲げて登場し、これに抗した佐藤満夫が(一九八四年年末)、そして山岡強一(一九八六年正月)が、彼らによって殺された。
 また、ヒロヒト天皇Xデーからアキヒト天皇即位の時期にも右翼のテロは突出した。今度は政府と右翼のアキヒト天皇在位一〇年「奉祝」と「日の丸・君が代」法制化運動キャンペーンが、「日の丸・君が代」強制右翼テロを浮上させたのである。
 政府の法制化を、こうした右翼がつきあげ、自民党や自由党がとにかく法制化に向かって動き出そうとすることで、右翼がさらにハシャぐ。こういう循環の中であらためて暴力(テロ)が突出したのだ。
 この右翼テロこそが、「君が代・日の丸・天皇制」というものの本質をよくしめしているのである。天皇(皇室)も政府も教育委員会もマスコミも、右翼テロを非難してみせる。しかし、特別に神聖化された天皇という存在が、その天皇と結びついた「日の丸・君が代」が、それを尊重させようとする政府と教育委員会とマスコミの姿勢が、右翼テロを誘発させるのである。
 「日の丸・君が代・天皇制」が、本当のところどういうものであるのかは、天皇主義右翼のテロや脅迫を常に伴うかたちでしか、それらは歴史的に存在してこなかったし、存在していないということに、端的に示されているのだ。
 行政の「議論」は、国家の「力づく」で支えられており、おまけに右翼のテロ(暴力)によっても激励されているのである。
 私(たち)が「日の丸・君が代」の法制化に反対するのは、あたりまえのことなのだ。(『反天皇制運動じゃ〜なる』No.23, 1999.6.8号)










《無党派運動の思想》

「総括」の方法、そして「共感」と「反発」

国富建治
●新時代社

 天野恵一の『無党派運動の思想――[共産主義と暴力]再考』は、『全共闘経験の現在』、『「無党派」という党派性』(いずれもインパクト出版会刊)に次ぐものであるが、前号で吉川勇一さんが賛辞を贈っているように天野の「しつこさ」は、貴重なものである。運動体験の「反芻」とその絶えざる「思想化」のための努力は、ともすれば過去をもっばら現在の正当化のために清算したり弁明したりすることとは決定的に違っている。私自身も同時代を生きた者として、天野とは別の立場と回路から私たちの運動と組織の体験を今日の運動の中に、どう「経験」として継承していくかという課題を自らに課していこうと思う。
 私は、かなりな長い間、「総括とは新たな運動の目標のために提出されるものだ」という考え方をとっていたし、そのように発言したこともある。つまりこういうことだ。一つの運動の総括とは、実に多くの視点と切り口がありうるし、その中でどれを選択するかということは、自分たちが現実の運動の必要性の中から一種の「直感」で捉えた新しい方針に向けた意思を共同で形成するために、その目的に応じて決められることであって、方針から切り離された「総括」はまったく袋小路におちいらざるをえない。そういう「総括のための総括は時間のムダである」と。
 その後、私は組織の会議のメモと発言の中で、こうした考え方を転換し、撤回した。「方針に合わせた総括」という考え方は、「方針」を正当化するための「総括」自身の限りなきご都合主義をもたらしてしまうものであって、私たちのマイナスの体験を思想的に克服する作業をないがしろにしてしまうことになってしまう、「総括」自体を独自に詰めていく方法を私たちはさぐっていかなければならない、と。
 この方法自身を私たちは経験主義的にさぐっていく過程にあるのだが、いずれにせよ個人的・集団的体験のプロセスに即しながら、体験を規定した思想、客観的情勢、運動の主体的あり方等々についてのていねいな共有化の作業が必要になっていることは間違いない。「方針のための総括」という考え方は、党派の場合においてその自己防衛的立場からもっとも端的な形であらわれていくのだが(もっとも「総括」そのものがまったく不在のまま、なしくずし的に転換する例の方が多いといえる)、それは「党派」「無党派」を問わず、あらゆる運動体に多かれ少なかれ生じてくるものだろう。そこでは運動の背後にあった思想そのものを検証する回路が閉ざされていくことになっていくことを、私たちは自戒すべきである。
 ところで、政治的文脈の中で日本語の「総括」にあたる英語を探せば、おそらくバランスシート(貸借対照表、損益勘定書)だろう。この「損益勘定書」という考え方は、あらゆる運動の政治総括の上で不可欠のものであるが、もちろん経理のように厳しい数字の形で客観的に「損益」が示されるものではないところに、「総括」の上での甘えが入り込む余地が大きいことに留意しなければならない。
 天野の今回の著書に収録された文章のほとんどは、雑誌やパンフレット、ニュースに発表された段階で眼を通したものではあるが、ある意味では当然のことながら、納得と共感の背後に「そんなことはない」という反発が生じてくることが多かったのも事実だった。たとえば廣松渉批判の文章の中での、ロシア革命において「スターリン主義」とは違う「真のマルクス主義」であればあんなことは起こらなかったという考え方の問題点を指摘し、「権力を獲得した主体自身の思想にすでにあの恐ろしい党官僚独裁へといきつくしかないものがあったのではないか」という批判を、私は当然のものとして納得する。しかし同時に、私は「官僚独裁」化へのある種の必然論的理解が、ロシア革命に内包されていたさまざまな可能性が奪われていく具体的歴史過程をさぐっていく作業をあらかじめ排除してしまっているのではないか、と考えざるをえない。
 また「反軍隊・反基地の思想は〈革命戦争〉論はもとより、武装革命の思想(文化)を根っこのところで拒否するラディカルな思想である」とし「共産主義(コミュニズム)革命の思想に軍隊の論理は常に内包されている。この軍事の論理(文化)と行動と内部粛清やリンチが連動している」という主張に対しても、革命運動がおちいりがちな軍事フェティシズムへの批判として理解できる。しかし逆に、「絶対平和主義」は革命運動(あるいは抵抗運動といってもよい)が一定の条件の下で直面せざるを得ない(と私は考える)、「非平和的方法」あるいは「強制」の問題を回避しているのではないか、という疑問を私は持っている。
 私としては「納得」と裏腹に存在する「反発」を、よりはっきりしたものにさせていくための討論を積極的に行いたい。いまそのための文章の準備を行っているところだ。(『反天皇制運動じゃ〜なる』No.23, 1999.6.8号)









チョー右派言論を読む

傍観か空爆か。少女の涙と大統領の周到な配慮

 二者択一論と二元論の狭間に陥らないために

太田昌国●ラテン・アメリカ研究家

 ユーゴスラビア・コソボ紛争解決のための欧州連合(EU)特使=フィンランド大統領が、ユーゴ政府は米国・EU・ロシアの三国同意による和平案を受諾したと語り、明日にも空爆停止かとか政治解決の可能性が生じたとの報道がなされたのは6月3日から5日にかけてのことだった。それから数日後、ユーゴとNATOの協議は、ユーゴ連邦軍のコソボ撤退とNATO主体の平和維持部隊派遣をめぐって不調に終わり、7日には協議中断、8日には空爆強化の大見出しが新聞には載った。その8日の朝刊二紙に、きわめて対照的な記事があった。
 毎日新聞の北米総局長・中井良則は「米国民には人ごとの空爆」と題する報告を寄せた。一部すでに報道された事実もあるが、この重要な時期のまとめ的な記事としてはすぐれたものだった。レーダー探知回避装置搭載のスチルス戦闘機(私の記憶では、これは1989年12月の米軍のパナマ侵略の時に初めて実戦投入されたはずだが、中井は今回が史上初めてだという。事実を確かめたい)に乗った米空軍兵士は、ミズーリ州の基地から往復30時間でユーゴとの間を行き来した。最初の任務の日が誕生日に当たったパイロットは弁当にバースデーケーキを詰めてもらい、爆弾を落として翌日帰宅すると、子どものサッカー試合の応援に出かけたことすらあった。空爆で「救われるはずの」アルバニア人難民の窮状と比しても、米国人にとってこの戦争の「現実感のなさ」は、これほどまでに奇妙だ。5000対ゼロという数字の対比も冷酷だ。前者はユーゴ連邦軍・治安部隊の推定死者数。「誤爆」による民間人の死傷者の数は別のものだ。ゼロとは、NATO側の戦死者。
 驚くべき恥知らずな議論なので、中井の記事とは関係ないが何度でも引用することになるが、湾岸戦争の後で「世界ではいま、兵士の戦争生存率の極大化と、戦死のない作戦の指揮能力が問われている。それは冷戦後の、新しい平和主義の萌芽である」と述べた猪口邦子の議論(毎日新聞94年5月21日付け)を、地でいったような結果である。猪口はいみじくも「世界ではいま……問われている」と書いて、彼女が言う「世界」には「攻撃をうける側」は存在していないことを告白した。ベトナム戦争における米兵の死者4万7355人、湾岸戦争時148人、ソマリア派兵時29人……という数字と比べて、猪口のように表現すると、たしかに「世界」は、戦死者ゼロによって、「問われたこと」を果たした。<死者は、所詮、よその土地でしか生まれないのだ>。めざましい形で「反戦運動が起こらなかった」根拠はここにあったのだろう。中井は結論づける。新戦略は「残酷な殺人と破壊という戦争の現実から目をそらせ、想像力の欠如を招いたのかもしれない」。中井は、今回の奇妙な戦争をふりかえるうえで、忘れてはならない基本的な論点を冷静に提出している。
 他方、毎日新聞よりはるかに読者数の多い朝日新聞の、しかも社会面には、「『かわいそう』祈る2歳」と題するひたすらに情緒的な記事が、写真入りで載っている。テレビでユーゴ空爆や彷徨うコソボ難民の姿を見て、その風景をクレヨン画に描いていた都内の2歳の少女が、泣く難民の子どもとお年寄りを見て自分も泣きだした。そして「かわいそう」とつぶやいて手を合わせて祈った。両親が「純粋な子どもの気持ち」を米国大統領に手紙で書き送ったところ、クリントンから「もし、みんなが一緒になれば世界を変えることができます。国と国との間の理解を深めることができます」との手紙と大統領の写真が届いた。2歳の子は写真とテレビを見ては「クリントンがんばって」と言う日々だ、と伝える無署名の記事である。
 テーマは何であれ、時に社会面に載るお涙頂戴的な記事には、取材対象の人物と記者の奇妙な人間関係が想像されるだけで、記事としての「社会的な」必然性が稀薄な場合が多い。この記事もその典型で、幼い少女の気持ちをひたすら情緒的な側面で「利用」した三者三様の大人たち……両親、クリントン、記者……のふるまい方が、あまりにあざとい。とりわけ、和平なるか否かの重大な局面で、こんな水準の記事を書いた記者と、掲載に値すると判断したデスクの現実感覚の欠如には、いまさらとはいえ、現在のジャーナリズムのありようはかくまでかと思わせて、哀しい。日頃この欄で取り上げる右派言論に感じるのとは別な種類の気持ちの悪さを、この手の記事には感じる。事態を内省的に捉え返す冷静な方法をもつことを妨げ、心情的な反応を引き出そうとする意味で、読者(私たち)を舐めきっているな、と思わせるところがある。こんな馬鹿馬鹿しい記事を書く記者の名前は明示してほしいものだ。
 今回の事態の深刻さのひとつが以下の点にあることは、自明のことのように思える。すなわち、空爆の先頭に立つのが、いわゆる「六八年世代」、つまり関わり方に個人差はあれベトナム反戦運動の経験をもち、現在は社会民主主義派を代表する人物だという点である。NATO事務局長で、最近EU共通外交上級代表に内定したハビエル・ソラナはスペイン社会労働党員だが、「理想的な価値を厳しい現実に適用することの難しさ」を語って、自らが指揮した空爆を正当化する言動を繰り返している。首相時に「理想的な価値」を放棄し自衛隊合憲論と日米安保容認論という「現実論」を展開して、今回の周辺事態法成立の道を掃き清めた村山富市が聞いたら、「友あり、遠方より来る」と随喜の涙を流すだろう。
 ソラナらが落ち込んだのは、「ファシズムを傍観するのか」それとも「人権を守るために空爆するのか」という二者択一論だった。他の道はないのか……NATOのなかでそれは真っ当な論議の対象とはならず、空爆の批判者には「ミロシェビッチを容認するのか」とのヒステリックで情緒的な反応が浴びせられた。
 傍観か空爆か。少女の涙と大統領の周到な配慮。他の選択を許さぬ二者択一論や、根拠なき二元論の狭間に、私たちは自らを追い込んではならぬ。(『派兵チェック』 No.81、 1999.6.15号)

「日の丸・君が代」は「学校」を救う

伊藤公雄●男性学

 先月の末、例の愛読している「産経新聞」を読んでいたら、こんな見出しが目に付いた。「『偏向』教育と問題行動に相関/国旗・国家の実施率の低い都道府県/いじめ、暴力多い」。産経新聞と雑誌『正論』の独自調査によれば、学校行事での「日の丸・君が代」の実施率の低い都道府県と「いじめ、暴力行動、不登校などの問題行動」の発生割合との間に、「ある程度高い相関関係」が見いだせるのだという。また、「日教組」あるいは/そして「全教」の組合員比率が高い都道府県では、「日の丸・君が代」の実施率が低く、同時に、子どもの「問題行動」についても、「それほど顕著ではないが、組合加入率との相関関係があった」のだそうだ。
 なるほど、数字を読むと、「昨秋の入学式の国歌斉唱率が小学校57.4%(下から4番目)……と低い三重県は、1万人当たりいじめ発生率が24.2(ワースト2)、暴力行為が66.3(同)と高かった」などと書かれている。ちなみに、この三重県は、日教組の加盟率8割以上と日本一なのだという。
 詳しい内容は、今月の『正論』にも掲載されている(「全国高校教育偏向度マップ」)。これには、八木秀次高崎経済大学助教授と石川水穂産経新聞論説委員の「総括対談」「公教育への『監視』が必要な時代」も付いているという次第。「学校の荒廃は偏向教育の度合いに関係」というのが、この対談の冒頭のリードの文句だ。それにしても呆れるほど、右寄りに「偏向」した教育談義だ。
 これからきっと、「日の丸・君が代を実施しないところは学校崩壊の傾向が強く、非行も多い」といった言説が、「科学的で実証的なデータ」の裏付けをもっている(かのように)語られていくのだろうと思うと、ほんとうんざりする。
 でも、ほんとにそんな「相関」があるんだろうか。こんなことをいうのも、データというのは読み方によっては、かなり勝手な読み込みもできるからだ。実際、『正論』のデータでみても、暴力行為発生率トップの岡山県も、いじめ発生率トップの富山県も、さらに不登校ワーストワンの和歌山県も、「日の丸・君が代」実施率は、ほぼ 100%だもんね。
 ところで、1997年度、小学校で日の丸が100%実施でないのは、北海道、東京都、神奈川県、三重県、大阪府、奈良県、兵庫県、広島県の8都道府県。逆に言えば、小学校では、残る39府県が完全実施ということになる。「そうか、日の丸・君が代が、最近の少年犯罪の凶悪化を生んだ原因だったのか」、などと言ってみたくもなる。ちなみに、これらの地域は、日の丸よりも君が代の方が、また、中学・高校と学年をおって、さらに実施率は下がる。もっとも、100%でないといっても、「日の丸」については、最低が広島県の92%だから、ほとんど実施しているってことだ。
 また、暴力行為の発生率の高い都道府県を見ると、確かに実施する傾向の低い4府県が上位23位以内(実際は14位以内)に入っているが、実施率の低い残りの4都道県は、24位以下のグループに入っている。いじめについても、不登校についても同じような傾向だ。「東大・京大入学ランキング」(広島県が45位だというために載せているようだが)で見ると、実施率の低い6都道府県(実施率の低い8都道府県中の75%)が、上位15位以内で、むしろ実施率の低い都道府県の方が、「入試成績がいい」(東大・京大の入学者でそれがはかれるのかどうか知らないが)ということになる。「良い大学に行きたかったら、日の丸・君が代の実施率の低い都道府県の方がいいよ」ということか。
 しかも、このデータは、各都道府県の教育委員会による文部省の報告を元にしている。ちょっと考えれば、文部省の顔色をうかがう傾向の強い教育委員会や学校(日の丸・君が代実施校は当然そうした傾向が強いはずだ)ほど、「事なかれ主義」で事件が発生しても握り潰す傾向が強いと思われるから、結果的に、そうした教育委員会や学校が多い都道府県では、事件発生率が下がる、という分析だって可能だろう。
 どうも、右派勢力は、教科書問題とともに、この日の丸・君が代問題を、新たな(右よりの)「偏向」教育のためのテーマにするつもりようだ。特に、地方議員や国会議員、さらにPTAなども巻き込んだ、「運動」にしていく動きが見え始めている。大阪では「大阪の教育を正す府民の会」なる団体が、卒業式での日の丸・君が代について、現地調査をおこない、それをまとめる形で発表している。チェック表に基づいて、日の丸をどのように掲揚しているか(一番おぼえが「いい」のは、会場のご真ん中に広げて飾るというやつ)、君が代をきちんと斉唱したか、など、細かい調査をしている。この動きは、当然、先にあげた8都道府県を中心に、さらに広がりをみせていくのではないか。
 それにしても、ミギの皆さん、ちょっと悪乗りしすぎじゃないですか、という気がしてならない。その一方で、ガイドライン関連法、盗聴法、国民総背番号制、入管法における旧悪の維持、さらに破防法の改正など、「世紀末の逆コース」とでもいうか、政治のショー化のなかで急激な右傾化が進んでいるのだから、まあ、調子づくのももっともか。
 ちなみに、『正論』の今月号には、「国防学校の創設で高校教育にカツ」とか、少子化が進むと、若い男が減り、「自衛と治安維持能力の低下」につながる、などと、もう言いたい放題なのだ。
 さて、超保守派のこうした新たな逆コースの言説に対して、ラディカルなデモクラシー派の運動と表現活動は、どう備えればいいんだろうか。(『派兵チェック』 No.81、 1999.6.15号)












書評

天野〈テンノ〉は天皇〈テンノウ〉ではないのだ!

天野恵一著 『無党派運動の思想[共産主義と暴力]再考』

池田浩士●京都大学教員

 右がぐんぐんと増えていき、左が目にみえて少なくなるにつれて、この本の密度、あるいは切迫度はますます高まっていく。講壇マルクス主義、という古語を戯画にしたような哲学者、いや哲学学者の事蹟を発掘して、偽造されたボロ銭を発見する徒労にウンザリするところから読み始め、いかさま「講壇」という語は大学という安全圏−−そのかわり何ひとつ現実を見なくてすむし、見えもしない場所−−からマルクス主義を説教するおじさんたちのために発明されたのだった、と19世紀の歴史を回顧する空しさを噛みしめながら、おれはしかしマルクス者ではあるがマルクス主義者などではないのだ、と自分を慰め励ましつつページを繰っていくうちに、いつか身も心も著者の長征に同行してしまっている自分に気づく。左の残りがどんどん少なくなり、もっぱら右が厚くなっていくのを残念に思いながら、それでもページをめくらねばならない。
 天野恵一がこれまでに費してきた紙の量は、いったいどれほどに上るだろうか。大出版資本のベストセラーなるものに比べれば九牛の一毛にも足りぬだろうし、人殺しを革命の実践であるという政治党派などの機関紙ビラ類の排出量と比較しても、わずかなものだ。それでも、運動の通信冊子や雑誌に延べ三日に一回以上も書かれている天野恵一の文章が、年に二冊を超える単行本も合わせて消費している紙となると、少ないとは決して言えない。さて、この膨大な自然資源の消耗によって、現実がどれだけ変わり、どれだけ良くなったか。もしもわたしがエコロジストなら、天野恵一は現実を変えるために、天皇制に反対し沖縄と共に生きるために、人間らしい人間として生きようとするために、自然を殺してもよいと考えている、と批判せざるをえない。人間が人間を殺す、けっこうじゃないか。内ゲバであろうが戦争であろうが死刑制度であろうが、一日も一刻も早く全人間が殺し合いで滅びればよい。でなければ、自然が、地球が、宇宙が人間と無理心中させられるだろう−−。
 天野恵一が存在をかけて実践するマルクス主義批判には、わたしが右のようなエコロジストだと仮定して行なう批判と、どこか似たところがある。もちろん、ことは効率の問題ではない。紙の消費と見合うだけ天野恵一の文章によって現実が良くなれば、自然も安んじて成仏できるだろう、などとは言えないように、マルクス主義に依拠する革命がマルクスの初発の人間解放理念を実現するうえで、どれくらいの死者にとどまれば死者たちは成仏できるか、などという思弁は、それこそ講談党派の教祖程度が性に合っている講談マルクス主義哲学者の世界だ。
 問題は二点ある。ひとつは、天野が留保しながら却下した問題、歴史的限界の問題だ。天野の本が自然破壊を自問していないように、マルクスが暴力の容認を含む現実変革イメージを描いたとすれば、それは、フランス革命から1848年とパリ・コミューンが、素手にとにかく武器を握るしか支配者と対抗できなかった民衆のありかたに、規定されていたからだ。このむきだしの暴力以外に(それに加えて)プロパガンダ(ビラから映画、街頭デモに至るまで)という方法を体得したのはナチズムだった。だがマルクス主義者たちは、ナチスのはるか後方で、人間とつながるのではなく人間を殺す暴力を、独占しようとしつづけてきた。天野の暴力批判は、マルクスなるものによりは、この点にもっと的をしぼるべきだ。
 問題の第二も、このことと関連する。マルクス主義者(を自称するもの)たちがナチスの遥か後方で内ゲバをくりかえしてきたのは、いわば、理論の物神化を生存の拠りどころとしているからだ。人間として当然の弱さを率直に認め合うことができない状況や関係を、物神化された理論は再生産しつづける。天野が連合赤軍について確認しているとおりである。だとすれば、天野恵一の紙の消費は、やはりこの問題を避けることはできない。あの講談哲学学者の「言説」でさえ、一人や二人ではない信者を生産した。それとは次元が違う天野の文章が、わたしたちの思考と行動の代行者とならない保証は、どこにあるのか。
 ない、と結論づけるために、こう書くのではない。ある、とわたしは考える。わたしは、天野恵一を一方的にであれ敬愛する点で人後に落ちないつもりだ。しかし、これまで、天野の文体の決意主義的ニュアンスは肌に合わなかった。この本の最後の章の文体は、はっきりとそれとは違っている。この章に、天野恵一は、講壇にも運動現場にも「主義者」を生まない歯止めを、埋め込んだのである。 (インパクト出版会、2000円+税)
(『派兵チェック』 No.81、 1999.6.15号)










海外情報

イスラエル大統領選以後の中東

森田ケイ

 去る5月17日のイスラエル総選挙でネタニヤーフが敗北した。首相選は労働党党首バラクが約180万票弱(得票率で約56%)、ネタニヤーフ首相が140万票強(約44%)で約40万票という差がついた。ネタニヤーフが勝利した前回1996年5月の選挙では、わずか三万票ほど(得票率では1%!)の差だったから、それと比べれば今回は“完敗”といえるだろう。5月23日付の Japan Times 紙には、Gwynne Dyer という名前のジャーナリスト(ロンドン在住)の分析が載っていた。割と論点としてはまとまっていると思うので、以下、抄訳を引用しておく。
 「〔ネタニヤーフが政権の座にあった3年間に〕イスラエルは、パレスチナ人との間での、また、より広範なアラブ世界との間での和平で実質的な進展を実現することができなかった。イスラエル経済は停滞したままであり、そしてイスラエル社会の内部での人種的〔ethnic〕、また宗教的な分裂状況は急速に広がりつづけてきた。/結局のところネタニヤーフは、右翼や入植者たち、そして宗教的原理主義者たちを一緒にした連立を保持しようと必死になったがゆえに、パレスチナ人との間でのオスロ合意の実施をゆがめ、また回避してきた。それがアメリカ合州国大統領ビル・クリントンをして、あからさまにネタニヤーフに告げるほどの怒りを招いたのだ。/しかし、これら全ての経過からイスラエル人たちが導き出した真の教訓とは、和平が不可避だということだ。イスラエルにおいて、オスロ合意に反対する全ての勢力を集めた連立を指導した、最も冷笑的で狡猾なこの人物でさえ、少なくとも若干の領土をパレスチナ人たちに手渡さざるを得なかった以上、和平は不可避なのだ。」
 一方、いつも脳天気な日本のマスメディアには“これで中東和平が再開される”式の見出しが踊ったが、しかしバラクの基本的な立場は“パレスチナ暫定自治当局との間での最終的な地位交渉は再開するが、エルサレムはイスラエルの永遠・不可分の首都である”というもの。「最終的な地位交渉」の重要なテーマの一つがエルサレム問題だ。彼は、これについては絶対に譲歩しないということを前提にして、しかし交渉は再開するというのだから楽観視など不可能だ。東京新聞(5月21日付)は、故ラビンとペレスの労働党政権時代のイスラエル入植地での人口増は4万7千人、ネタニヤーフ政権下での人口増は3万8千人だったという数字を挙げた。「ネタニヤフは交渉を凍結させ、バラクは永遠に継続する」というパレスチナ自治当局のナビル・アムル議会担当相のコメント(東京新聞・5月18日付・夕刊)もある。リクードと労働党の差異と共通点を突いた名言だと思う。
 今後の注目点としては、バラク率いる連立内閣がどのような布陣で実現するか、またその内閣の具体的な対パレスチナ政策はどうか、さらには彼が公約していた“レバノン南部からの1年以内の撤退の実施(およびシリアとの和平交渉の再開)”がどうなるか、といったあたりだろう。

 選挙以外にも注目すべき動きがある。バラク勝利が報じられた5月18日、ヨルダンの新国王アブドゥッラー(今年2月、フセインの死去に伴い長男の彼が即位)が初訪米し、クリントン大統領と会談していたのだ。そこで両者は、「イスラエル首相公選におけるバラク労働党党首の当選を受け、中東和平を積極的に推進することで一致した」(毎日新聞ニュース速報・5月19日付)という。
 あまりにもタイミングが良すぎるという気もする。個人的には、パレスチナ・ヨルダン連邦国家構想の“再浮上(あるいは、そこへの回帰)”という可能性があるのではないか、そしてアブドゥッラー体制はそのための布石なのではないか、と思っているが、しかし基本的には今回のアブドゥッラー訪米は、5月8日からの欧米歴訪(イギリス、ドイツ、カナダ、合衆国)の一環として予定されていたものだった。5月 10日付のJapan Times紙(AFP・時事)によると、その「目的は、債務帳消しの実現と海外での彼のイメージ・アップ」にあるとされている。ヨルダンは先進7ヶ国に対して68億ドルもの巨額の対外債務があり、「アブドゥッラーは、G7の国々が債務の半減に合意するよう、そのための働きかけをクリントンに要請するつもりだ、と語った。クリントンは、この件に関してすでに日本との間で協議しており、その日本に対するヨルダンの債務は18億ドル」という。
 こういうところで絡んでくるのだ。インターネット上の外務省のホームページ( http://www.mofa.go.jp/)に、「我が国の中東和平支援」という文書がある(日付は昨年4月)。このなかの「2.和平当事者への経済支援、(2)和平関係国への支援」には、ヨルダンに関する数字もある。
 ジョルダン(近年我が国はトップ・ドナー国)
  ●無償資金協力:約33億円(95年度)、約51億円(96年度)
  ●有償資金協力:約287億円(95年度)(同時に約1.35億ドル相当円の輸銀融資)

       内訳=約108億円「アカバ火力発電所増設計画」
          約75億円「経済改革開発計画」
          約104億円「債務繰り延べ」
 日本政府は、例えば95年度には合計で約320億円の経済援助を行っている訳だが、その約3分の1が「債務繰り延べ」目的だというのだ。こんな“援助”内容で「近年我が国はトップ・ドナー国」などとエラソーに書いてどうなるものでもない。Japan Times 紙の記事の通りなら、次は合州国から18億ドルをチャラにしてくれと頼まれる、ということになるだろう。
 “世界の警察官”たるアメリカ合州国は、実は“世界の住専管理機構”でもあった……というのは冗談として、こうした“援助”も受けながら合州国、ヨルダン、イスラエルの間で中東和平プロセスが何らかの進展をみるならば、それはシリアに対してもイスラエルとの交渉再開/進展に向けた動因(あるいは、人参)となり得るだろう。結果的にゴラン高原の段階的返還、そして国際監視軍の設置と自衛隊の横滑り参加というようなシナリオがもしも実現するならば、日本政府にとっては18億ドルなど安いもの……ということになるのかもしれない。
 そのときパレスチナ人たちは? バラクの労働党政権が続いているならば、もちろん和平交渉も永遠に継続中、となる訳だ。
(6月5日 記)(『派兵チェック』 No.81、 1999.6.15号)