佐藤医院 期間4.22〜2003.3.20
地域医療を体験
4/22 清輝橋グループカンファレンス
実習先が佐藤医院に決まる
5/13 外来見学・往診へ同行
5/25 入浴介助・食事介助など。外来見学。
6/25 清輝橋グループカンファレンス
訪問看護に同行
7/24 医薬懇話会
9月 片岡内科、安田内科にて実習。
安田先生の訪問診療に同行
以降は患者さんを受け持った
9/17 清輝橋グループカンファレンス
12/21 在宅緩和ケア学習会に参加
atかとう内科並木通り診療所
【感想】
入浴介助を約30人こなすと全身グッタリである。しかし患者さんたちが皆さん本当に心地よさそうな様子をみると疲れも吹き飛んだ。
入浴・食事・リハビリの介助では、どの程度手を貸すかが難しかった。ついつい助けすぎになってしまい、スタッフの方々にアドバイスされた。個人個人の性格(甘えがち...etc)を把握した上でそれぞれ対応されているのがよく分かった。
佐藤先生と一緒に往診および病院に訪問診察へ。病診連携に協力的な施設とまだ不慣れな感じの施設があった。在宅・入院どちらの患者さんもいつもの先生の往診にとても安心されていた。
訪問看護への同行では、自分の予想を超える色々なお宅があることを知った。看護士さんらは患者さんの処置や入浴介助を終えると、介護者であるご家族のフォローに時間をかけていた。
安田先生、片岡先生の外来を見学させてもらう。佐藤先生の外来を含め、3人とも外来の雰囲気は違うが患者さんが気分よさそう(?)に帰っていかれる点が共通していた。風邪や、発熱などいわゆるCommon Diseaseへの対応、日常的な診療の中での禁煙教育や、検診など大学病院では見られない光景を見学できた。また血圧測定、軽い介助など診察に参加できた。診療所での医療は医師と患者の距離の近さ、普段着の関係が感じられ大学病院との違いが目立った。それまでの経過や、家庭環境など、患者の背景まで含めた対応ができるという家庭医の魅力を実感した。
患者さんを担当
《1》T.Tさん 55歳♂(病前は車のセールスマン)
診断:@小脳出血術後の構音障害、嚥下障害
A高血圧症BC型慢性肝炎C逆流性食道炎
現病歴:平成10年に小脳出血で血腫除去術・胃瘻造設術を施行。数ヵ所の病院を転院し、平成12年10月より佐藤医院で通所リハビリサービスを週3回ペースで利用している。
現症:言語障害、嚥下障害、体幹のぐらつき、呼吸障害、視力障害など
嗜好:酒、タバコ、ギャンブル
[佐藤医院での実習内容]
リハビリ介助… 歩行訓練(平坦な道や階段)、体操、柔らかなマットの上でのバランス...など
会話… 1/3程度しか聞き取れないのでゆっくり話し、様子を見ながら聞き返す。内容は大部分が世間話。ときに医療に対する不満など。自分の病気や今後の見通しなどについては触れたがらず話を逸らしてしまう。9月中は週1回、以降は週1〜2週間に1回ペースでデイケアに会いに行く。
11月 岡山市内の2つのNPOに電話で打診。
→個人個人の要望に対応したサービス(?)は行っておらず×。
12/10お宅に訪問
事前の電話では訪問も歓迎されておらず「電話ではだめですか?」。仕事をしている&学生の実習にも興味薄い様子であった。
家族(奥さま)の考え
12/14 佐藤医院にて
PTさん曰く「心肺機能的には問題ない。目が心配なので付き添いさえいれば外出可能。以前は奉還町に行きたいなどと言っていた。」など、外出の希望は多少ある様子。
本人曰く「特に行きたいところはない。」(←遠慮??)
しつこく聞くと、「おいしいラーメンはどうか?」
1月の休日にラーメン屋に一緒に行く計画をたてた。
12/16 デイケア後“帰り道にお茶”後、車椅子を押して帰るの予定。→雨天中止
1/12 ラーメンを食べに出かける日
事前に奥さまに相談すると、本人がむせる,周りに迷惑が掛かる...etcと反対される。店の了解を得たこと(電話にて確認)、本人が希望されたことなどを説明し賛成してもらった。
待ち合わせ時間の行き違いがあり中止となった。
以降3月までに4回以前同様の“お茶”計画するも全て雨天。
?楽しい計画のはずが逆効果となってしまった
3/17 “お茶”計画実現
送迎の際にサンデーサンで降ろしてもらい、
コーヒーを飲んだ。度々むせるので、1杯だけだったが満足されていた。大半は世界情勢の話題だったが、昔は営業成績No1で表彰されたこと、最近飼い犬が死んでさみしいこと...etc、個人的な話題にようやく到達できた。店を出て住まいのマンションまで車椅子を押して10分ほど歩いた。
無事送り届けてから奥さまと立ち話。当初は色々心配が先行して外出に反対気味だったが、患者さんが楽しみにしていたラーメンが中止になってしまったことを残念がられていた。多少気持ちに変化があったように感じた。
【感想・考察】
働き盛りの年齢での発病、家族との不和、などから本人がとても後ろ向きな方だったので、実習の方向性を考える上で難渋した。
当初は現状を受容し前向きに社会復帰を目指すためにはどういう選択肢があるのか、などを検討していくつもりでいたが、話をしていくにつれて病気を受容した上での自分への諦観が際立ってきた。
ご家族も非協力的な傾向はあるが、無理解なわけではなさそうという印象だったので、この方の場合は最終的に問題は本人の気持ちなのだと感じた。
今回の実習で外出したことが僅かながら気分転換として効を奏したようだったので、今後も暇を見つけて協力できれば、と思っている。
《2》K.Kさん 71歳 ♂
診断:@喉頭癌(pooly differentiated squamous cell carcinoma) A多発性骨転移 B多発性肺転移
C癌性胸膜炎、左胸水 D多発性肝転移 E高血圧F癌性疼痛 G食欲低下
家族構成:奥様、息子家族と同居。(介護の上でのイニシアチブはほとんど奥様)
現病歴:H9・6・24〜7・11喉頭癌(声門上癌、T1N0
M0)に対するレーザー治療目的で岡山大学付属病
院に入院。H10・8.29~11・11右頚部リンパ節転移を
来たし入院しリンパ節郭清と術後放射線照射を受け
る。H12・5・23~6・5原発巣の生検にて再発はなし。
その後外来フォローしていたがH14・3・8肋骨および仙骨への転移を認めた。H14・4・1~6・11肋骨転移部の放射線療法とアクプラ、5-FUによる化学療法を施行。その後H14・7,H14・8にアクプラ単剤の化学療法を施行。9月に胸部CTにて肺転移が見つかる。H14・9・27~29アクプラ、5-FUの投与。食欲低下など副作用を来たし化学療法を中止する。10・19夜に病棟で転倒し歩行不能になる。22日のCTにて頭部外傷後硬膜下水腫と診断される。グリセオール点滴にて加療。
?転移巣の急激な広がりおよび在宅での治
療を希望され当院紹介となる。訪問診療・看護および通所リハビリサービスを受ける。現在佐藤医院と加藤内科に掛かっている。佐藤医院は医療的対応・入浴・リハビリのデイホスピス目的。疼痛増悪時加藤内科に入院。麻薬をMSコンチンからフェンタニールへ変更。
[実習後の経過]
12/6(金) 佐藤先生と往診。共同診療の加藤先生も同時に往診されていた。腸腰筋あたりの痛みが強い。自力で体位の変換できず。
Dr加藤「ケモラジ後の神経障害によるものでは?」
→麻薬増量(フェンタネスト15A=モルヒネ300mg)。
奥さま「家での介護になり負担が減った。もう少し食べてくれれば…。」とのこと
12/9(月) 急変。訪問看護にてSpO?76%、血圧50
程度に。痛みはなく、傾眠気味。
12/10(火) 朝の時点で血圧が約90/50まで回復。
尿も出る。14時半SpO?60~70%台、血圧も80台。ウトウトしつつも意識は有り(行ったり来たり)。
言葉が聞き取りづらいものの(「あー、うー」に近い)、佐藤先生をしっかり認識しDr「痛みはないですか?」、Pt「大丈夫です。ありがとうございます。」と受け答えされる。痰もからみ呼吸は落ちている。
12回/分・不整、チェインストークス呼吸。
呼吸抑制は脱水によるものとフェンタニールによるものと両方が考えられる。
親族へ死が近いこと、今後の経過説明がなされる。
同居家族(奥さん、息子夫婦)以外の方も集合し“みんなで送る”意気込みが伝わってくる。
12/11(水) 午後 加藤先生往診時:苦しそうな様子(手で宙をかく・うめき声を発する・顔をしかめる)を家族も気にし、痰もからみ呼吸も苦しそうなのでセデーションとしてドルミカムを投与。
しばらく痰がゼロゼロいっていたが10時ごろ落ち着く。「今晩は大丈夫そうだ」と親戚の方々は帰られる。
12/12(木) 午前3時ごろ奥さんが起きたときは痰の絡みもなくスースーと寝息をたてられていた。
午前5:15に奥さんが目を覚ますと呼吸が停止していた。まだ体は温かかった。訪問看護『まいんど』へ連絡あり、佐藤医院へと連絡。
5:30佐藤先生と一緒に到着。死亡確認を行った。ご遺族と話す。「とにかく痛みが取れて良かった。」
訪問看護士さんも到着。死顔が安らかなのが印象的。
12/21 佐藤先生とともにお宅を訪問。奥様と息子さんと話す。お二人とも「本当によかったと思います。ありがとうございました。」と微笑まれていた。
四十九日前に訪問看護士が伺った際、涙ながらに、奥様「連携でよかった。安らかに眠りの中行けてよかった。」と語られる。
【感想・考察】
(2003.2.17の在宅緩和ケア学習会での事例検討の対象となったので、その際の話題も含めて)
・途中痛みがかなりつらい時期があったが、死顔がとても安らかだったこと、また奥さまが見た生前最後の姿も、安らかな状態で良かったと思う。
・同居のご家族以外の親戚の方々も集合され、"みんなで送る"雰囲気があふれていた。
・病院から在宅に移ったことで奥さまが"楽になった"とおっしゃっていたことは意外だった。肉体的にはしんどくなるはずでむしろ逆かと思っていた。
?患者さん&家族どちらも気持ちが落ち着く
我家がトータルでは"楽"。まさに在宅の魅力。
・初回訪問した際に(12/6)奥様が「もっと食べてくれれば…」と気にされていて、その時点から亡くなるまでが急な流れだったので ご家族の受容のペースが追いつくのか気になった。
・ドクター&訪問看護士さんたちのチームワーク。連絡があってからの行動の速さが印象に残った。
?関係者の話では今回の連携ではメールが大活
躍したそう。時差・手間などがクリアされた。「ケースごとにメーリングリストで対応できると良い」という意見があったが、“個人情報”なのでネット利用は難しいのでは、と思う。
*学習会で出た質問「インフォームドコンセントはあったのか」に関して
?本人の病名・病状への理解はあったが、余命
のはっきりとした説明は行われなかったようである。
Dr「そもそも正確な予後の予測は困難な状況だった。」。
Ns「余命告知に関しては、余命を知ったうえで明確な目標を立てクリアーしてゆきたいタイプの人と、正確な残り時間よりも一日一日を大切にというタイプの人が存在し、患者は後者に思われた。」。
亡くなるまでの期間に、奥様を労う言葉をかけたり、親族に話をされたりしていたので
死期が近いことは察していたと思われた。
私から見て、この患者さんの在宅ターミナルケアは成功に終わったと思う。
「医療の助けを借りつつも自分たちでやりぬく!」という患者&家族の意志、キーパーソンである奥様の介護への打ち込み、家族間の協力の気持ち、患者&家族のニーズに十分に対応する医療チームの存在および信頼関係、と最期の日々を振り返ると成功条件がそろっていたといえるだろう。
一年間の清輝橋実習を終えて
自分にとって、清輝橋実習はかなりの影響を及ぼした。地域密着型の医療現場に接し、家庭医マインドを学習できたことは大きい。ポリクリで大学病院や関連病院での実習を同時進行で行っていたことで、大病院・診療所の比較もできた。また将来の自分について、漠然と「○○科の開業医になろう」と考えていたのが、実習前よりも方向設定がはっきりしたように思う。
T氏とK氏を受け持つことにより“生”と“死”について色々と考えるところがあった。QOLという言葉ひとつとっても、医療現場では頻用されるが、よくよく考えると難しい概念だと思った。大学での実習をしていると、あまりにも死や病気と闘いすぎて、死にゆくことが敗北であるかのような認識をしがちになるが、“死”は崖っぷちを落ちていくようなものでなく、ケアの仕方によっては、人生をもう一度たどるようなものかもしれないと思うようになった。
先日ラジオでアルフォンス・デーケン氏が死への心構えとして「希望・愛・ユーモア」をキーワードにあげていたのを聞いたことも、“死”を前向き?にとらえることに影響したと思う。
患者さんの死に対する恐怖や痛みに真正面から取り組み、患者さんと家族が死にゆく時間を大切に共有し、納得して送り出せるまでをサポートする先生方のもとで実習させてもらえたことで、ターミナルの魅力をますます実感した。人生の始まりおよび終焉に関わることのできる“医師”という職業に近い将来つくことが楽しみである。
絶望はなく人にもこびず
施しを求めずほどほどに暮らす
心地よい充足がただあるのみ
(中略)
不足を考えに入れず
笑って死にゆくのだ
墓は緑の芝生だけでよい
(アイザック・ウォルトン『釣魚大全』平凡社ライブラリー)