西表西部診療所実習感想文

杏林大学6年 杉井絹子

実習期間200673日〜728(4週間)

 

1、はじめに

私は大学のクリニカルクラークシップとして、上記期間実習を行いました。全体として、行く前に想像していたよりはるかに忙しい、大変に充実した毎日でした。外来は高血圧などの定期受診患者だけでなく、外傷がとても多く、また沖縄特有のもの(ハブくらげ、シガテラ中毒など)にも遭遇しました。このように症例に恵まれたことはもちろんのこと、何より岡田先生をみて、医者として本来あるべきものについて考える機会をもてたことが、大きな収穫でした。

以下は私が今回の実習で感じたことを述べていきます。

 

2、実習で感じたこと

 

@ 島でも都会でも患者の構成は変わらないこと。

A 大事なのは医者として社会や患者に何を望まれているかを知り、応えること。

B 島の人にとって、医者であればだれでもよいというわけではないこと

C      信頼を得るには時間がかかること。

D      病診連携が大切なこと

 

@離島というとお年よりが大半を占める過疎の島を思い浮かべますが、西表は違います。近年ではその土地に惹かれて、とくに内地から移住する人が急速に増え、子供もたくさん生まれています。また観光シーズンには多くの観光客もくることになります。一日の患者数は平均して30人、月平均600人。内地であれば、それらの患者はいくつかの医療施設に分散することになります。しかし、西表ではすべて診療所に来ます。診療所にいると、内科・外科、小児科を問わずすべての患者を目にすることになります。そしてそれを、自分でできるものは処置(まさにプライマリーケア)し、専門医の診察が必要と判断すれば親病院である八重山病院をはじめ主に石垣の病院および診療所に紹介します。それもただ紹介状を書いて予約をとるということだけではありません。島には救急車はありません。診療所の車を看護士が運転し、岡田先生も同行します。搬送方法も、昼間の定期船運行時間帯でかつ比較的状態が安定しているケースでは船利用ですが、緊急性があると判断した場合あるいは夜間、ときに天候不順で船が欠航のときにはヘリ搬送を要請します。

私の実習期間中は最初の1週間で3(心筋梗塞疑い、脳梗塞・脳出血疑い)のヘリ搬送がありました。ヘリ搬送は平均して大体月に2件程度だそうです。


Aほかに医療施設がない島では、患者の不安・要望に直接的に向き合うことになります。それは時に自分のまったく経験のないものであったり、時には一般的な医者としての仕事ではないこともあります。私は将来内科か小児科を希望しており、大学の実習でも外科系には力が入りませんでした。しかし、切創や骨折の診断と初期治療の必要性を学びました。また西表からは石垣であっても船で片道50分もかかります、定期的に通うことは易しくないのです。大きな病院であれば自分の専門外だからと、他の医師に任せてしまうことでも、診療所でできれば患者さんの負担が減らせます。そのために岡田先生は自分の経験がないことなら、勉強してできるように努力されていま。専門や経験にとらわれず、医者として自分ができることを広げようとする気持ちがなければ島の医者はできないのです。


B八重山の島の診療所では、県からの派遣があるので、全く医者がいないということはないそうです。島にやってきた医者のそれまでのキャリアは彼らにとっては関係ありません。また、すべて診療所でしてもらえるとも考えていません。今この島で何をしてくれるのかをシビアにみています。都会では患者が医者を探すときには複数の選択枝があります。初めに診てもらった医者が気に入らなくても、自分に合った医者を探すことは可能です。でも島の医者は一人です。医者個人への不信はそのまま医療全体への不信となることがあります。その意味で島の医者が負う責任は重いのです。


C岡田先生は患者の話をじっくり聞きます。そうすることによって、体調のちょっとした変化、不安に気づくことができます。そして島の人たちの暮らしぶりを知ろうとしています。島出身ではない先生にとって、それは口でいうほどたやすいことではありません。島の人たちは基本的に自分の意志をしっかりもっていて、頑固です。私の実習中、豊年祭がありました。当日は平日でしたが、先生の「診療所にいるより、ずっとためになる」と言われ、朝から大縄作りに参加しました。正直、参加する前は先生のおっしゃっている意味がよくわかりませんでした。でも祭りを終えた時には、島の人々が自然の恵みに感謝し、神を信じていることがよくわかりました。科学的には説明が難しいことでも、生活に根ざしていて、それを信じる人たちにとってどれほど大切なことか知りました。彼らには長年の生活の工夫と知恵があるのです。もしそれを忘れて医者の考えを一方的に押し付けても、彼らには受け入れられないのです。

相手を理解しようとする姿勢、時間をかけて真摯に接すること、医者にとってもっとも大事なことを岡田先生は理解され、私達に教えてくれたのだと思います。


D診療所から病院への紹介は明確です。八重山の中心である石垣島には前述の八重山病院の他、総合病院としては徳州会病院があり、さらに個人病院も一通りありますが、逆からいえばそこしかありません。紹介する際に悩むことは少ないように感じました。またその点では、救急車の受け入れ先を探しに苦労する東京とは対照的に映りました。一方で、八重山病院は診療所からの搬送を拒むことはできません。その点、八重山病院の先生方がどのように考えているのか一度お話を伺ってみたいとも感じました。


3、最後に

卒後研修について具体的に考えるようになったこの1,2年、私は自分を中心に考えすぎていた気がします。こういう医者になって、こういう患者を診たい。そのためにはどんな病院でどんなスキルを身につけるのべきなのか。そのことばかり考えるようになっていました。しかし今回の実習を通じて、医者として一番大事なことは、目の前にいる患者の要望に応えるべく努力することではないかと思うようになりました。その要望には医者としての技術や素質だけではなく、私の一般人としての常識や人としての思いやりも含まれるでしょう。この先、自分がどんな選択をするにせよ、このことだけは忘れたくないと思います。