リアリズム過ぎるもの

「つまらん、お前の話はつまらん」というキンチョールの水性殺虫剤CMがある。大滝秀治は笠智衆ふうな含蓄爺だが、岸部一徳が喋りだすとそれを遮りガンコ爺?に豹変しする。大滝といえば”やずや”のCMで香酢についての蘊蓄ナレーションが思い浮かぶ。「やずや やずや」と(電話番号だから)二回繰り返すとこ

永谷園のお茶漬けを音をたて食べる男のCM、永谷園の社内でも賛否両論あったようです。嫌な情報は、視覚だけなら見なきゃいいし文字なら読まなければいい。音はどうでしょうか。他人の普通に麺をすする音はほとんど気になりませんが、わざとらしく貪り食う音を聞かされるのは、曇りガラスに爪をたてたときでるキーっという音を聞く感じと同じです。数日前の新聞(Yahoo)などによると、確信犯の意味を誤用する例が多いとのことですが、永谷園は確信犯なのです(犯罪じゃないけど)。早くこのCMシリーズやめてくれ!

筒井さんの小説にはイメージや音で不快感をあたえるところが数多くあります。常識の裏をかいた(へぼ)、として評価されるのですが、お茶漬けのCMは単なる非常識ではないか。関係ないけど、マンガの「美味しんぼ」に仲の悪い双子が別々にラーメン屋をしているの巻があってラーメンはしょせん下品な食べ物だと貶していた雄山が最後に一致団結双子ラーメンを汁までじゅるじゅる全部食べてしまう場面があります。わざとらしいシーンでありますが、山岡士郎と栗田(当時)さんは笑顔でした。

gooの辞書によると、褻(け):「改まった場合ではない、日常的なこと。普段。平生」、:「(飲食物などに対して)意地がきたない」等、卑猥:「下品でみだらな・こと(さま)」(卑猥と感じる対象のことを猥褻物、というようなことを知ったのは呉智英の本でした)。他人の日常的なことを見せつけられるのは卑猥なのです。つげ義春の「貧困旅行」にたしか、貧相な宿に泊まるのは嫌いではないがリアリズムすぎるのは勘弁してもらいたい、とあったのを思い出した。マンガ「リアリズムの宿」(中央の挿絵に注目)である。そういえば、ドラマ寺内貫太郎一家で小林亜星だけがリアリズムすぎた。