分かれ道に立って

 「現在われわれが直面しているのは日本の過去への回帰ではなく、戦後国家の超克をめぐる新しい事態なのだ。もちろんその結果うまれる日本国家が過去の絶対主義的な国家や戦後国家よりもより良いなどということはない。ワイマール共和国の後に生まれたナチス・ドイツがワイマール共和国よりも良いとはとうてい言えないものであったように。しかしまた、多くのドイツ国民がナチス国家の成立を喜び支持したのも事実である。なぜならナチスはロマン主義を身にまといながら「新しいもの」「解放する者」としてやってきたのだ。これに抵抗する側は、現状維持か、あるいは観念的な革命スローガンで対抗しようとした。大衆の「魂」をつかんだのはナチスだったのである。しかしこの問題については次回にふれよう」と、私は前回に書いた。その約束を果たしてこの連載をおわりたい。
 われわれの言論が狭いサークルの中だけで自己回転していて、いっこうにその外の人たちのあいだに入っていかないという現状に、おおくの人がいらだちを感じている。その外の世界では、小林よしのりの『戦争論』がナン十万部出ているというような話題に事欠かない。その小林が語った「多分、庶民感覚の段階では随分変わってきてるでしょう。そこに対して本当に届くような言葉を向こう側(つまり、われわれ――栗原)から投げかけてこないかぎり、もう向こうの方に勝ち目がないという状態が来てるんだと思いますよ」という言葉を私は紹介したが、それに答えてというわけではないが、この状況に危機感を持つ人の中から一種の大衆化論が出てくるのも当然と言えるだろう。もっとやさしくとか、語り口をかえようとか、ちょっと洒落てコトバのモードだとかをいう人がいる。その意図に私は共感を惜しまないが、しかし現状を乗り越えるには大衆化論的な発想ではだめだ。ラディカルでなければ広範な人びとの心に向き合うことはできないのである。
 ここで言う「ラディカル」とは「根底的な」という意味である。もちろん私はマルクスのつぎの言葉を念頭に置いている。――「理論が大衆をつかむことができるのは、それが人に訴えるように(ad hominem)表現されるときであり、そして理論はラディカルになるやいなやad hominemに表現されるのである。ラディカルであるとは、ものごとを根底においてつかむことである。そして人間にとっての根底とは、人間そのものにほかならない。」(「ヘーゲル法哲学批判・序説」)
 このコラムを担当した一年半ばかりのあいだ「チョー右派言論」につきあってきて、私は一種の既視感につきまとわれた。それは戦争中の「日本浪曼派」や「世界史の哲学」をめぐる青年たちの共感についての回想と関係する。そしてそれは私よりも二、三歳上の世代のこれらにたいする共感あるいは熱狂はいったいなんだったのかという問いに、私を連れ戻した。
 「日本浪曼派」も「世界史の哲学」も、マルクス主義の退場に入れ違うようにして登場した。この交代劇を生み出したのが弾圧と転向と戦争であったことは言うまでもない。その故に従来の進歩派の立場からは、この両者はマルクス主義を弾圧した権力によって庇護されたもっとも悪質な侵略イデオロギーと指弾されたのである。たしかにこの両者にはそのように批判されるべき部分が本質的に存在する。しかしそのイデオロギーを支えているのはラディカルと言ってもいいほどの根底的な現実否定の心情なのだ。かつてマルクスの革命の哲学を受容した若者と、保田輿重郎のロマン主義的否定性の文芸に心酔した若者は、じつはおなじ心性の持ち主なのである。福本和夫の「極左的ロマン主義」と保田輿重郎の「日本浪曼派」は、戦前・戦中の若者たちにとって、十年の年月を隔てて等価である。
 いま私たちはマルクス主義が退場したあとの白けた風景の中にいる。しかも人びとはますます、この愚劣な現実はもうたくさんだと思っている。それはまさに「すでに見た」風景なのだ。このなかに、もろもろの右派言論――藤岡信勝の「自由主義史観」や西尾幹二の『国民の歴史』のようなたんなる「体制の犬」にすぎない肯定性の言論でなく、ラディカルな否定性をもった「チョー右派」の本格的な言論がどのように登場するか、いやすでに登場しはじめているそれに、この大衆社会の「うんざりした」人びとがどのように反応するか、そこにいまの分かれ道があるように思われる。
 そのような状況にわれわれの言論が有効に対峙するためには、真の意味でのラディカリズムを回復しなければならないのである。われわれにとっての「根底としての人間」はけっして抽象的なものではない。それはこの高度資本主義社会の腐臭に耐えながら、大衆文化に囲まれてその日をなんとか生きのびている多数の庶民である。もちろん彼らも一人ひとりの顔をもっている。その異なる一人ひとりの顔に向き合い、一人ひとりの魂にまでとどく言葉とメディアをどのようにその人たちと共同の作業によって作り出していくか、そこにこの現実を「超える」どのような理念と運動を共有していくか、それがいまわれわれに問われているのである。
 かつてあるドイツの思想家は、「革命に対抗するために窮乏化しつつある市民にさしだされているもろもろの方策を理解し、それにうちかとうとするなら、ひとは――悪魔的に――市民の国へ乗り込んで行かねばならぬ」と、ファシズムに敗北した苦い経験をふまえて書いた。そのことの意味をいま、私は反芻している。(短文で意を尽くせなかったが私の「ブロッホ『この時代の遺産』を読む」を参照していただければありがたい。http://www.shonan.ne.jp/~kuri/hyouron_3/bloch.html)
(『派兵チェック』1999年11月15日号)