私が右派言論を読む理由

 先日、遊びにきた若い友人が部屋の片隅に積み重ねた『正論』だの『諸君!』だの『発言者』だのの山をみて、「オジイサン、だいじょうぶ?」とでもいうようにまじまじと顔を見つめられたのには参った。べつに右派言論が好きなのではない。面白がっているというのだったら当たらずといえども遠からずだが、本心はもちろん敵を知り己を知れば百戦危うからず、というおしえに忠実なだけだ。己を知るという方にはあまり自信はないけどね。
 とにかくいま、右派の言論は元気だ。これを、権力にバックアップされマスコミがカネ太鼓で売り出しているんだから派手に見えるだけさ、と鼻の先で笑って済ませてはならない。彼らの自信は彼らの言論が大衆を獲得し始めている、つまり確かな手応えを感じ始めているところから生まれているのだから。正しい言説が大衆に受け入れられるとはかぎらない。右派の扇情的な、正誤という点では明らかにあやまった言説が圧倒的に大衆を捉えるということは、過去にいくらもあったことだ。なぜ人びとはファシズムに魅せられたのか。戦後の社会科学研究の大きな部分が、この「なぜ」の解明にささげられたにもかかわらず、その成果はアカデミズムのなかに閉じこめられ、現実の運動や思想闘争にほとんど組み込まれていない。
 そこで「今月の右派言論」だが、『正論』3月号に「新しい歴史教科書をつくる会 第7回シンポジウム・小林よしのり批判はそれだけか!」が載っている。小林に伊藤隆、藤岡信勝、坂本多加雄などの面々をそろえ、「戦後民主主義の牙城といわれる京都」で2000人の聴衆を動員したと胸を張っている。そこでの小林よしのりの発言をまず引いておこう。
「『戦争論』を描いているときに、個と公の関係性を考える上で、大東亜戦争肯定論に持っていかざるを得なくなってしまい、これは総スカンか、相当非難されるか、あるいは完全に無視されるか、というふうに思っていました。ところが五十万部売れてしまって、自分としては不思議な感覚に襲われています。」「この『戦争論』が五十万人、これは熟読した数ですからね(拍手)、そうなるとかなりの変化が世の中に起こってきているんじゃないかと思うんです。ただマスコミが封殺してるから隠されてますけれどもね。多分、庶民感覚の段階では随分変わってきてるでしょう。そこに対して本当に届くような言葉を向こう側から投げかけてこないかぎり、もう向こうの方に勝ち目がないという状態が来てるんだと思いますよ。」
 おいおいよく言うよ、と「向こう側」の人間としてはいちおう腹を立てるものの、あまり腹に力ははいらない。そこで敵に図星を指されたときの無念さだけがのこる。
 なぜわれわれの言論はかくも無力なのだろうか。その答えは私には自明であるように思える。安全だからだ。「つねに正しい」からだ。思想上の冒険もせずに「つねに正しい」という程度のところで自慰的に垂れ流される言論に、この大動乱の時代に生きている庶民のこころをとらえる力がないことは明らかではないか。
 もちろん『戦争論』を受け入れた庶民が正しいわけではない。しかし50万人の読者のうち、私もそのなかの一人なのだから全部でないことは言うまでもないが、少なからぬ部分が「大東亜戦争肯定論」に共感を感じたとして、それは歴史学的な知見としてではないのだ。小林が描いた肯定論も、歴史認識としてはほとんど問題にもならない。おなじシンポジウムで、「自由主義史観」から転向した藤岡信勝の大東亜戦争肯定論は「日本には東南アジアを支配していた欧米の植民地主義者を追い出すのだという大義名分があった」という程度のものにすぎない。このレヴェルの大東亜戦争肯定論を批判するのは簡単なことだ。しかしその「つねに正しい」批判によっては、過去なんどでもくりかえされたように大東亜戦争肯定論はなくならない。なぜならそれが生き続けているのは歴史学界ではなく庶民、そして庶民と心性を共有する保守政治家のルサンチマンのなかだからだ。そしてつけくわえれば、このルサンチマンのなかに隠微に生き続けていた大東亜戦争肯定論は、いまふたたびそこから出て歴史学の領域へと流れ込み始めているのである。「そこ〔庶民〕に対して本当に届くような言葉を向こう側から投げかけてこないかぎり、もう向こうの方に勝ち目がない」という小林の忠告はありがたくうけたまわる。そのうえで、「届く」ためには何が必要かと言えば、それはラディカル(根底的)であることと「芸」を身につけることだとおもう。
 さて、今月のもう一品はご存じ福田和也の新著『日本の決断』である。このなかで彼は現在の危機の原因を戦後民主主義にあるとし、こんなことを言っている。「それ〔戦後民主主義〕が、どうしようもなくなったのは、やはり昭和から平成の御代替りがあってからでしょうか。つまり、敗戦を契機にした大きな変化があったにしても、昭和天皇がいらっしゃる間は、まだまだ日本は、国家としての「核」をもっていたように思えます。〔中略〕しかし、先帝がみまかられたため、今上陛下は、日本国憲法、占領憲法のもとでご即位あそばされた。このときにこそ、わが国は百パーセントの戦後に入ったのです。つまり、百パーセント占領憲法にしたがった、「戦後民主主義」というものが、この時にはじまったのです。そして、何よりも、この百パーセントの戦後民主主義というものこそが、日本から当事者能力を払底させたのです。」
 つまりアキヒト天皇は百パーセント戦後民主主義だ。そして この戦後民主主義=アキヒトこそ今日の日本の退廃と危機の元凶だというわけだ。面白い。止められない。
(『派兵チェック』1999年2月15日号)