『反天皇制運動 PUNCH!』0号 巻頭言

 わが反天連もいよいよ第5期を迎えることになった。第5期とはすなわち21世紀である。われわれはどのような世紀を迎えるのだろうか。それで思い出すのは映画「ローザ・ルクセンブルグ」の始まりのシーンだ。1900年の最後の日に、ドイツ社会民主党がひらいたパーティー。資本主義の時代はおわった、世界は戦争と革命の時代にはいると、希望にみちて20世紀を語る同志たち。そのころ三田の丘の上では福沢諭吉の弟子たちが、封建の旧弊をほうむり文明開化の20世紀を迎える集いを開いていた。両者の希望の歴史的位相の違いはいまは問わない。ただ彼らにとって20世紀はともに希望であったのだ。
 そして百年が過ぎた。いまわれわれのなかに、21世紀に託すべきどのような希望があるのだろうか。いやいや、私はけっしてペシミストではない。ただ、希望はペシミスティックに語れ、と言いたいだけだ。どうも希望に満ちてランランランという手合いはつねに胡散臭い。
 希望はどこにあるか。それは20世紀の世界の経験のなかにあるのだ。それこそがわれわれを幻滅に突き落とした元凶ではないかと人は言うだろう。その通りだ。しかしその幻滅を深く、さらに深く分析し研究し、もしかしたら有りえたかもしれない他の可能性、つまりもう一つの20世紀を発見したとき、幻滅はあたらしい希望となってわれわれのなかに生きるだろう。未来は過去を通してしかその姿を現さない。
 「洞察的な真にオーソドックスな幻滅もまた、希望に属している」というあるドイツの哲学者の言葉を、私は自分自身の座右の銘としていままでに百回も引用してきた。そしていま、21世紀=反天連第5期の入り口で百一回目の引用をするのである。