世紀を越える―この時代の経験
――まえがき――


 人びとは二〇世紀をどのように希望に満ちて迎えたのだっただろうか。ある人びとはいよいよ理想としての社会主義が実現する時代の到来を夢み、ある人びとは極東の島国の一角で文明開化の世の幕開きを祝った。そして百年後の私たちは、社会主義「体制」の廃墟と文明開化の腐臭のなかに佇んでいる。あたかも戦争も革命もなかったかのように、あるいは、それらはいまや有り得ぬ昔語りであるかのような装いをして、「戦争と革命の時代」と呼ばれた二〇世紀は立ち去ろうとしている。
 二〇世紀は幻滅の時代として幕を閉じたのだろうか。たしかにそのように見ることもできる。科学技術の進歩はついに核兵器を生みだし、経済活動の成長は地球環境の崩壊の危機にまで到達した。人びとは大量消費へとかりたてるマス・メディアの動員の前に翻弄されている。口を開けば国家・国民のためと叫ぶ利権政治屋が国の命運をきめる。人びとは孔子さまの「巧言令色鮮〔すくな〕し仁」という警告を忘れて久しい。そして、一時は人類の希望でさえあった社会主義の実態は、それが希望であった分だけよけいに人びとを幻滅におとしいれた。
 二〇世紀を二〇世紀たらしめたものは何だったろうか。それはいくつかのキーワードとして表現できるが、そのひとつが「総動員」であったことは間違いない。それを私たちは戦中にかぎらずいまもしたたかに経験しつつある。この総動員を可能にしたのは技術なかんずくマスメディアの発達である。動員されるのはあたらしく登場した「大衆」だ。いやむしろマスメディアによって造られた大衆と言った方がいい。メディアこそ総動員の最大の武器だったことは、「労働者・農民」という大衆に依拠しようとしたレーニンにとっても、「民族・国民」という大衆に依拠しようとしたヒトラーにとってもおなじである。
 二〇世紀とは、多種多様な自称「前衛」が、大衆を自分の方に総動員するためにしのぎを削った時代であった。つまり宣伝の技術が支配の技術の中心を占める時代であった。ではどうして、大衆は巧言令色によって動員されてしまうのか。なんと言ってもそれは不安によってである。その不安を何者かに代表=表象してもらいたいという願望からである。ところが政党代表制を根幹とする議会制によっては、この願望はつねに裏切られる。なぜなら階級という姿をとらない大衆のアモルフな「不安」は、とうてい政党によっては表象できないからだ。
 このような「技術」「大衆」そして「政党代表制の崩壊」という二〇世紀を文字どおり危機の時代たらしめ、その克服のための多様な「近代の超克」論とその試みをうみだした条件は、しかしながら第二次世界大戦とそれにつづく戦後の冷戦のなかで一時的に凍結された。冷戦構造の崩壊は、国家の統合力すなわち動員力を急速に低下させた。国家自体が国民国家の枠組みから流出しはじめた。この結果としてあたかも二〇世紀の初頭に世界をおおった危機が、ふたたび解凍され露出しはじめたようにみえる。たしかにそれはふたたび息をふきかえした。しかしかつての繰り返しではない。核兵器の存在は戦争を宙吊りにし、ファシズムへの道にはアウシュヴィッツの記憶がいぜんとして立っており、ベルリンの壁を叩き割る民衆の映像は革命の前にまだなまなましい。繰り返すことはできないし許されない。とすれば、この袋小路のような状況のなかでなにをなすべきだろうか。
 希望はどこかにあるのだろうかという問いにたいして、私は、それは二〇世紀の経験のなかにあると答えたい。しかしそれこそがわれわれを幻滅につきおとした元凶ではないかと人は反論するだろう。その通りだ。しかしその経験を深く、さらに深く分析し研究し、もしかしたら有りえたかもしれない他の可能性、つまりもう一つの二〇世紀を発見したとき、幻滅はあたらしい希望となってわれわれのなかに生きるだろう。未来は過去を通してしかその姿を現さないというのが私の持論である。
「洞察的な真にオーソドックスな幻滅もまた、希望に属している」というエルンスト・ブロッホの言葉を、私は自分自身の座右の銘としていままでに百回も引用してきた。そしていま、二一世紀の入り口で百一回目の引用をしたいと思う。
 かつて、「死者はつねに見捨てられた歴史の彼方で、生者を呼んでいるのです。彼は生者に向って、ぐれーつ、と呼びかけているのです」と書いた埴谷雄高は、二〇世紀も半ばをすぎたころ、「今世紀は死者の意味を問う最後の世紀になった」とも言っていた。しかしその予測に反して私たちは、依然として、そしてますます深く、死者の意味を問いつづけながら二一世紀への扉をくぐらなければならないところに佇んでいる。二〇世紀の課題が未解決のままに残されたのなら、その解決をはばんだ原因の究明をも含めて、私たちはそのすべてを二一世紀に担っていかなければならないのである。
                 
                 ※

 ここに収められた文章のほとんどは、いくつかのちいさな運動のメディアにそのときどきの必要に迫られて書いたものである。したがって体系的でないことはもちろん、随所に重複した部分がある。人に伝えたいことは恥ずかしげもなくくりかえすべきだというのが、運動のなかでの私のスタンスだったから、あえて本書でもそのままにした。
 これらの文章はペーパーメディアに発表されると同時に、私のホームページ(http://www.shonan.ne.jp/~kuri)のなかの「未刊のアルヒーフ」というセクションに掲載してきたものの一部である。今回、社会評論社社長の畏友・松田健二の好意によってこれらの文章は、ふたたび「本」というかたちで読者に提供されることになった。初出の雑誌からオンライン・メディアへ、さらにふたたびペーパーメディアである「本」へというこの道行きは、ネット・アクティヴィストのはしくれを自認する私にとって、うれしい経験だった。これらの文章はもちろん今後も私のホームページで自由に読むことができる。本とオンライン・メディアは相乗的に共存できるというのが私の楽観的な夢なのだ。
 二〇世紀の最後の日に
                           著者