9・11以後の世界を考える

 おそらく「9・11」は、なにかのはじまりだろう。そのなにかを考えるためには、わたしたちはまず湾岸戦争といういまから十年前の戦争にたちかえる必要があるのではないだろうか。湾岸戦争の直後にひらかれたシンポジウムで、ベトナム戦争と比較しながらわたしはつぎのように発言した。
「この戦争のスピード、速度に対抗して、われわれが反戦運動を組み上げていくためには、戦争になったから反戦運動をするというのでは到底追いつかないでしょう。極端な言い方をすると戦争は日常化していると考えた方がいい、と私は思っています。〔……〕そのように戦争が日常化している状況をふまえると、日常それ自体をどのように変えていくのかという課題を提起しない限りこのすごいスピードで始まってしまい、終わってしまう戦争に抵抗する力をわれわれは持つことができないのではないかと思います。」(『派兵時代の反戦思想』、一九九一年一〇月、社会評論社発売)
 また、このシンポジウムの記録が本になるとき、付記としてつぎのように書いた。
「わたしたちはこの湾岸戦争を、全体的かつ徹底的に解明しなければならない。それは冷戦後の世界がどのようなものであり、どのような方向へすすむかを、ほとんど象徴的に示したと言っていい。湾岸戦争は現在の世界を読み解くための最大の手がかりである。それは第一に、冷戦構造の崩壊がそれだけではけっして平和をもたらしはしないという冷厳な事実を突きつけた。米ソの間に引かれていた世界の切断線は、南北の間に転移した。東欧と部分的にはソ連の一部をふくむヨーロッパとアメリカ合衆国、つまり「北」の政治的安定と経済的再建にとって、第三世界への支配権の再構築は不可欠の前提なのである。第二に、湾岸戦争はイデオロギーの終焉、体制間戦争の終わりを意味したように見えながら、ここでもその切断線が移転したにすぎないことを示した。「共産主義」というイデオロギー的スケープゴートのかわりに、アラブ世界のイスラム原理主義とラテンアメリカの「麻薬」が、今後の「北」の戦争にとってその本質を隠すイデオロギー的ヴェールになるだろう。」(「六ヵ月の後に」)
 自分の昔書いた文章をながながと引用するのは、気がひけることだが、あえてそれをおこなうのは、編集委員の小倉利丸さんから二日間でこの原稿を書くように命じられたあげくの苦肉の策というばかりではない。今回の「9・11アタック」の意味を考えるうえで、またそれ以後の世界を考えるうえで、湾岸戦争以後、世界はどのような道を歩み、その道はどのような限界点にたっしてしまったかを見ることが不可欠だと考えるからである。それはまたブッシュの報復戦争戦略を批判し、対抗する反戦運動の展望を考えるうえでも、とても重要なことだとおもう。
 湾岸戦争の勝利とソ連・社会主義圏の崩壊によって、米国は世界にたいする全一的な経済的・軍事的覇権を確立したように見えた。そして彼らもそれを確信した。彼らの京都議定書、包括的核実験禁止条約(CTBT)、弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約、小型武器規制、生物兵器禁止条約からの離脱ないし反対、人種差別撤廃国際会議への不参加、というようなこの間連続した一連の「単独行動主義」は、この確信によって裏づけられていた。
 しかしこの確信は「9・11アタック」によって崩壊した。彼らの覇権主義的な世界戦略は根底から震撼させられたのである。
 このアタックにたいするブッシュの最初の反応は湾岸戦争型の報復戦略の域を出なかった。「われわれにつくのか、テロリストにつくのか、中間の道はない」という恫喝から始まって、「生きていようが死んでいようが、奴をひきずってこい」という、ほとんど西部劇の保安官もどきのセリフまでがテレビで流され、レニー・リーフェンシュタールのフィルムによって今日につたえられるナチ党ニュールンベルグ大会を彷彿とさせる林立する星条旗を背景に、戦争への総動員態勢はいっきょに進むかに見えた。
 しかし彼らのなかにもリアリストはいるのである。熱に浮かされたガンマンとはちがって、彼らは単純な力だけの報復戦争がどういう状況を生むかを予想する想像力をもっていた。できるだけ危険を避け、世界大の同意形成というかたちで米国の覇権を再形成する道を彼らは追求する。「テロリスト」「ウサマ・ビンラディン」は、この米国による世界大の同意形成・統合にとってかつての「共産主義」にかわる格好のスケープゴートだ。もちろんこのリアリストたちは平和主義者ではない。この覇権の再形成の過程は戦争を排除しない。むしろそれは軍事力を不可欠の要件としている。
 これを書いている六日の『毎日新聞』は、訪問中のカイロでの米国防長官ラムズフェルドの注目すべき発言を伝えている。それによると彼はこんなことを言っているようだ。――「冷戦は五十年前後つづいた。大きな戦闘はなかった。圧力をかけ続け、各国が協力した。最後は銃声ではなく、(共産圏の)内部崩壊によって終わった。」「われわれの努力を戦争に例えるなら、(実際に戦闘する)熱い戦争より冷戦の方が適切な考え方だ。」「テロリストとその庇護者に対し、さまざまな手段で長期間、十分な圧力をかけるのが重要となる。そうすればテロリストは行動を変えたり、場所を移動しなければならず、支援する人も資金もすくなくなる。」
 事態の中心はおそらく「テロリスト」という言葉の、米国によるきわめて恣意的なご都合主義的な使用にある。アラブ諸国の協力を得るという戦略的課題が課題となるときには、それはビンラディンとその「一味」だけに縮小する。しかしそれは必要なときにはいつでもその最大の外延に拡大されるだろう。そのときには解放をもとめる非国家的暴力のすべてが「テロリスト」にかぞえられるだろう。非戦闘員を無慈悲に殺傷する「テロリスト」と国民の安全を保障する聖なる「軍隊」という対比ほど欺瞞的なものはない。どのような軍隊であれそれが殺した非戦闘員の数は、「テロリスト」による殺傷の優に数千倍、数万倍である。
 人びとは戦争には反対だがテロも許せない、と言う。そのときその人は、テロをどのようなものとしてイメージしているのだろうか。テロというおぞましい事態を非難するのはいい。しかし同時に、その人はテロに、圧倒的な暴力によって理不尽な生活を強制され、国連という国家連合(人びとはそれを国際社会などと呼ぶ)からも疎外された被抑圧民衆の、悲嘆と怒りと反抗が表象されているのを見ているだろうか。「9・11アタック」の犠牲者を哀悼するとき、わたしたちはサブラとシャティーラの難民キャンプでイスラエル軍に殺された無数のパレスチナ人を想起しながら、哀悼するのである。
 わたしはテロリズムを支持するものではない。まして今回の「9・11アタック」のように、意図の公然たる表明もなく、二百六十六人の乗客を道連れにして五千人の非戦闘員の殺戮と破壊をおこなうという行為は、いかなる政治的また倫理的正当性もないのである。ときに悪が悪によって倒されることはある。しかしその結果は人びとが望む未来ではないだろう。解放という目的はそれに至る手段の解放性と倫理性を不可欠の要件とするのである。
 しかし「テロに反対」とはどういうことなのか。テロリストを武力によって殲滅することなのか。そんなことはできない。そうではなく、その根拠を解明し、それを解決することである。資本の支配から世界を解き放ち、国家暴力の解体への道を、日常生活のなかで一歩一歩実現していくことである。
 米国が進めようとしている「テロリスト」にたいする永続する「冷戦」という戦略は、市民社会にいままでにない緊張を生み出すだろう。この「冷戦」にはソ連というような実在する敵がない。だから「敵」は市民社会の至る所に発見されることになるだろう。「戦争の日常化」は「9・11アタック」後の世界の大きな特徴になる。しかしこの戦場で、巨大な暴力としての国家は自分の墓穴を掘ることになるに違いない。「9・11アタック」は、米国資本のグローバリゼーションが生みだした世界の、自壊作用の始まりでもあるのだ。
 九月十一日の深夜に、対岸のブルックリン側から写しているマンハッタン島の、煙にまかれたほとんど幻想的な遠景を見ながら、わたしが考えていたことはおそろしく単純なことだった。
 借りは返さなければならない、五百年かけて収奪したものは五百年かけてでも返さなければならない。その努力だけが人類に平和への希望をつなぎとめてくれるだろう。二枚舌〔ルビ→ダブルスタンダード〕はもはや通用しない。それを見破る力は、苛酷な経験を通して抑圧されている人びとのあいだに、十分に蓄積されているのだ。彼らはもはやそれを許しはしない。不用意でもなんでもなく「十字軍」と口走ってしまった本心をあわててひっこめて、親アラブ的なポーズをとってみても、ブッシュを見る彼らの目に侮蔑の影は隠せない。古証文の山からカビの生えた村山談話を引っ張り出して、実はこれがわたしの本心ですと言ったところで、首相・小泉の行為それ自体を目撃してきた中国や韓国の人びとの、胸の裡にある彼にたいする、あるいは日本人にたいする、侮蔑の思いは深くなるばかりだ。二枚舌を重ねれば重ねるほど、人格的な卑しさが暴露される。二枚舌はかならず罰せられる。暴力を積み重ねれば重ねるほど、それは自分に向かって噴出する。
(『インパクション』2001.10,127号)