無党の運動論に向かって
特集のはじめに   


 フォーラム90Sでは、昨年の10、11、12月の三回にわたってシンポジウム「戦後50年・左翼運動は終ったのか」を開催し、その記録の一部はすでに月刊『フォーラム』1994年12月号に掲載された。左翼運動の何が終わり何が可能性として生き残ったかをめぐるその討論は多岐にわたったが、そのなかで中心的なテーマとして浮かび上がったのが「党」という問題であった。終わったのは前衛党という擬制だけでなく「党」に集約されてしまうような運動の構造そのものであり、六〇年代の後半に澎湃として起こった全共闘、反戦青年委員会、ベ平連のような「無党」の運動のなかに、こんにちあらためてそこから新しい可能性を発見することのできる経験が含まれているという点では、参加者のほとんどが問題意識を共有することができた。
 もちろん現在のわれわれは60年代とは大きく異なった時代――ソ連崩壊・湾岸戦争以後という時代に生きているのだから、過去はその違いをふまえたうえで振り返らなければならないのは当然として、ここで共有された問題意識をさらに深め広げていくことは、今日ますます緊急の課題となってきたように思われる。その理由は、現にわれわれの目前で進行している「政党代表制の危機」とそれを乗り切るための国家権力による「危機管理」構想の公然化という事態にほかならない。
 4月の東京・大阪知事選挙に示された既成政党への不信は、増大するいわゆる「無党派層」の存在に注目をあつめることになった。そしてこの注目は新しい政治への期待と同時に、議会制民主主義の将来への危機感とも重なっている。たとえば青島都知事の出現に衝撃を受けた衆院副議長の鯨岡兵輔はその直後の『朝日新聞』(4月15日)に「民主政治崩壊の道」という感想を寄せ、「私は民主政治を善しとする。そして民主政治とは即『政党政治』であると考えるのだが、この考えは間違っていようか。……国民の多数が『私は無党派です』と、この民主政治下に言い切って、そこに何の疑いも持たないとしたら、民主政治そのものがよりどころを失って、崩壊せざるを得ないのではないかという恐れを抱くのだが、その恐れは杞憂であろうか」と言っている。
 政治家が腐敗・堕落したから政治不信が生まれ、「無党派」層が増大した、だがら政治改革を実現して「清潔な」政党と議会を再建すればふたたび民主的な政党政治が復活するという、鯨岡をはじめとするおおくの政治家や評論家の願望は、はたして現実性をもっているだろうか。わたしにはこれは幻想であるように思われる。なぜなら問題は「国民」を構成する多様な諸階級、諸階層、諸集団の意志を、政党がまったく代表/表象し得なくなっているというところにあるのであって、政治家の腐敗・堕落はそのことと不可分の現象にほかならないからだ。
 産業資本主義の時代のように、比較的に単純な階級・階層構成によって社会が成り立っていた時代には、それらのいくつかの階級を代表するいくつかの政党によって、「国民」の意志は議会に代表されたかもしれないが、大衆社会・情報化社会としての後期資本主義の時代には、この代表関係は大きく変質する。ここに小党分立、地方政党、あるいは無党派的ネットワーク運動などの必然性があるわけだが、しかしおおもとの政党議会制をそのままにして、この代表制の危機をこれらのニューウエーヴ(?)によって克服することができるだろうか。政党代表制そのものへの批判的態度決定を抜きにしたこれらの「政治行動」は、結局のところ現状の補完物に終わるのではないか。これがこれからの論点のひとつである。
 ところで、政党議会制が有効に機能しなくなったという事態はなにも今日はじめて起こったことではなく、すでに第一次大戦後のワイマール共和国で顕著に起こった事態だった。カール・シュミットの『現代議会主義の精神的地位』に引用されているワイマール議会の実状は、政党による政治の私物化、不明朗な人事、不毛な討論、議事妨害、議員特権の乱用、品位の低下とならんで、「議会の本来の活動は本会議の公開の討議においてではなく委員会において行なわれ、しかもそれはかならずしも議会の委員会で行なわれるわけでは決してなく、重要な諸決定は諸党派の指導者たちの秘密の会合で、それどころか議会外の委員会でなされ、その結果、あらゆる責任の転嫁とたなあげが生じ、かような仕方で議会主義的な制度全体が結局のところ、諸政党や諸々の経済的利益主体の支配を飾る悪しき門構えにすぎぬものになっている」という点でも、まさに今日の日本の議会を髣髴とさせる。シュミットはこのような議会を「この制度がその基礎を道徳的および精神的に喪失してしまい、空虚な装置として、単に機構的な惰性により、……維持されているにすぎない」と批判した。この批判から彼は、緊急事態に対処できる大統領独裁制への道を提示して、全体国家からナチスへの道を法理論的に開いたことはあらためて言うまでもない。
 第一次大戦後の代表制の危機をその政治理論の中心に据えたもう一人の思想家にアントニオ・グラムシがいる。彼は『新君主論』のなかの「有機的危機の時期の政党構造の諸側面について」という論文のなかで、「伝統的な諸政党が、もはや自己の階級、または自己の階級の一部から、その固有の表現(representation=代表/表象―引用者)とみとめられなくなる。この危機がはっきりと姿をあらわすと、直接の情勢は微妙になり、危険になる。なぜなら、舞台は力による解決に、神がかり的、あるいは教祖的人物によって代表される暗黒の勢力にむかって開かれるからである」と書いている。この事態にたいする彼の対処は、トリーノ工場評議会運動に代表される直接民主主義によるあたらしい人民権力の樹立と、それを担うヘゲモニー装置としての新しい党の創出という構想にほかならなかったが、かりにそれが実現していたとしても、その先にソヴェト権力がたどったのと同様の末路が待ち受けていなかったと断言することはできない。
 こうして見ると、政党代表制の危機あるいは崩壊を、「教祖的人物によって代表される暗黒の勢力」や独裁にではなく、民衆と政治との直接性を回復/創出する方向で克服する道は、現実の歴史のなかにはまだ姿をとどめていないのである。
 人災としての阪神大地震、オウム真理教事件、そして青島都知事の出現……これらの一連の出来事は、人びとが現在の社会と政治にたいして多かれ少なかれ違和を感じており、既成のものによって自己を代表/表象できないと感じはじめていることを示している。オウムに入信した若者たちはけっしてダマサレたのではなく、自己の表象不可能性を神秘体験のヴィジョンによって代替しようとしたと見ることもできよう。ここでは政治における代表制の崩壊と個人の精神生活における表象不可能性とが、あたかも盾の両面のように併行しているのである。当然それは体制の危機であり、まさに「危機管理」の緊急性を彼らは痛感している。サリン事件をめぐって「非常事態」の名のもとに行われている違法捜査・違法逮捕の横行とそれの容認への世論の誘導、マスメディアの警察広報機関化、自衛隊治安出動への国民的合意の形成――等々、これらは政党代表制の危機を「権力による弾圧」によってではなく、「総動員的翼賛体制」というもっとも望ましい形で乗り越えようという支配層の戦略にほかならない。
 これとどのようにたたかうか? それには現在の社会と生活をどう変えていくかという総体的なヴィジョンが要請されるし、またその実現に向かっての運動論の再考が緊急に必要になっていると思われる。この特集はそのような試みへの第一歩として、五〇年代からの主としてヨーロッパの左翼運動における経験を紹介した。この問題はさまざまな角度からの接近が可能である。今後の討論への参加を期待したい。

(『月刊フォーラム』1995年9月号)