市民運動とインターネットは60年代文化の双生児である

―『市民運動のためのインターネット』あとがきにかえて―

●書く道具から人と人をつなぐ道具へ

 いまでは運動体の機関誌やビラをワープロでつくるのはごく当たり前のことになっているが、わたしが所属する日本アジア・アフリカ作家会議の事務局で、ワープロを使って機関誌の版下を作りはじめた1984年5月頃には、まだそういう試みはほとんどなかった。DTPという言葉も聞いたことのない時代で、それまでの写植版下のかわりにワープロでプリントアウトしたものをコピーで縮小し、台紙に切り張りして版下をつくるという考え自体が、誰から教わったのでもない「発明」なのであった。そのワープロがまた、今日では考えられないようなシロモノで、導入したのは東芝のJW−3だったが、7年分割払いで120万円を超えるこの「最新鋭機」も、24ドットの約10ポイント明朝フォントとその半角、2倍、4倍があるだけで、豊富なフォントにかえって頭を悩ます現在からふりかえると、わずか10年あまりの過去とはいえ、昔日の感がある。
 この頃から、東芝のルポやNECの文豪というようなパーソナル・ワープロがあいついで発売され、個人でも買えるようになって今日までの約10年、いまではモノ書きの8割から9割がワープロを使うご時世となった。もちろんわたしは、必要にせまられて反古紙の裏にちびた鉛筆で字を書き連ねるというような、内発的な書記の姿勢を根源的なものとして尊重したいとおもう。しかしその書かれたものを伝えるという課題につなげて考えれば、そこに技術という問題が出てくるのは当然だろう。運動とは言うまでもなく他者との出会いであり、他者との交通(コミュニケーション)の新しい形態の模索であるはずだ。だからわたしは、運動的な観点を抜きにした技術信仰を容認したくないと同時に、他者との交通を支える技術についての無関心や無知を、現代科学批判の装いをもって合理化する人たちにも同じることができないのだ。
 たくさんの人が、とくに必要に迫られてモノを書いている人の多くが、ワープロを使いはじめているということは、とても重要なことだとおもう。それはいろいろな意味があるが、たとえば、原稿用紙に手書きされた原稿は、よほど有名な作家のものでもない限り用がなくなれば廃棄されてしまう。またかりに著者の手元に返されても、それをいちいち保存する人は稀だろう。またかりに保存しておいたところで、それは資料的な価値しかない。ところが、ワープロで書かれた原稿はフロッピーの形であれプリントのかたちであれ、編集者に渡されるのはコピーであってモト原稿は手元に残る。しかもこのモト原稿はデジタル化したかたちで残っている。このデジタル化したリソースは、さまざまに利用することができる。活字メディアの寿命は極端に短いから、自分の主張をより広く知ってもらうためには、たとえばホームページを開いてそこに自分の文章を掲示するというようなことが必要になる。そのとき、このデジタル化した原稿があれば、作業はまったく簡単だ。また、自分の本を出そうというようなときも、デジタル化した原稿があれば、出版社はあらためて文字入力をする手数が省けて制作費は大幅に軽減される。だからあまり売れない本でも引き受けてくれる(かも知れない)。
 わたしはいま、『aala』という100ページ前後の雑誌をつくっているが、4年前にはフロッピーで入稿してくれる著者は全体の3〜4割だった。それがいまは9割をこえている。これは無償労働によって支えられている運動体の出版活動にとっては、決定的に重要なことだ。当然のことながら運動体の多くは貧乏だ。だからいかに安く出版物をつくるかにみんな腐心する。しかも安くつくることが、特定の個人の労働にしわ寄せされる、つまり特定の個人の労働を搾取することで実現するのであってはならない。となると、このフロッピー入稿はとてもありがたいことなのである。
 ところがモノを書く人間のあいだにワープロが飛躍的に普及したといっても、それはワープロ専用機であってまだパソコンの普及はそれほどでもない。そこで問題がおこる。ワープロ専用機は機種によって保存フロッピーのフォーマットの形式がみんな違うので、そのままではそれをパソコン側では読み出せないのだ。そのためにもうだいぶ前からほとんどのワープロに、MS−DOSフォーマットのフロッピーに書き込める機能がつくようになった。つまりMS−DOSを媒介にして、ワープロ専用機相互間やパソコンのソフトとのあいだに互換性をもたせるわけである。ところがほとんどのワープロ専用機についているこの機能を多くのモノ書きは知らない。いや、もっと正確に言えば知ろうとしない。彼らにとってワープロは単純にモノを書く道具にすぎないのである。ワープロという一種のパソコンがもっている外部につながっていく可能性など、眼中にない。こういうセンセイは例外なく原稿が遅いから、フロッピーを受け取った制作担当者は、あわてて変換屋に駆けつけなければならない。労力だけでなく無駄な金がかかる。
 なぜインターネットとは関係ないワープロの話からはじめたかというと、これがいわば象徴的な状況だからだ。さらにパソコン通信で原稿を送ったり校正のやりとりをする人となると、ほとんど絶望的に少なくなる。ワープロ専用機でもモデムさえあれば通信につなげることができるということに、無関心な人が圧倒的に多い。まだまだこの国では、民衆的な運動の参加者のなかでさえ、ワープロやパソコンをただモノを書く道具としてだけ使っている人が多い。もったいないとおもう。わたしはただ、利便性とか経済性というような側面からだけこう言うのではない。もっと大きな理由があるのだ。

●脱中心的・相互主体的なあたらしい運動

 1960年代に世界的にあたらしい社会運動が出現した。日本でもベ平連に代表されるようないままでにないスタイルをもった市民運動があらわれた。それらの運動の特徴を簡単にまとめると、(1)非党派的であること、(2)脱中心的であること、(3)個別的課題に対応した組織と運動であること、(4)国境を越えた連帯につよい意欲を持つこと、(5)相互主体的な人間関係を重視すること、などがあげられよう。つまりどこかに中心や前衛があって、その指令や指導によって人びとが動員されるという、従来の「大衆運動」と呼ばれたものとはまったくちがった運動論が、生まれたのである。それは、反権威、反管理、反エスタブリッシュメントという60年代の若者たちの文化と不可分の関係のなかで成立した。そしてそれまでの中央管理型の巨大コンピュータとまったく発想を異にするパーソナルコンピュータが生まれたのも、この反権威、反管理、反エスタブリッシュメントという60年代文化のなかからだったのである。だからわたしはかねがね、市民運動とインターネットは60年代の文化が生み出した双生児である、と言っている。
 本づくりを生業とするという意味でわたしの同業者である津野海太郎さんは、名著『本とコンピューター』(1993年、晶文社刊)のなかで、アラン・ケイ、テッド・ネルソン、ビル・アトキンソンというパーソナルコンピュータの基本的なコンセプトをつくりあげた三人の人物を論じながら、そのあいだにあるつぎのような共通点を指摘している。それは第一に、「つよい権力によって整然とコントロールされた社会よりも、バラバラの存在がバラバラのままに結びついた隙間のおおい社会のほうがいい」ということであり、第二に、「パーソナル・コンピューターはそのような社会を実現するための道具になりうる」という考えである。そのうえで津野さんはつぎのように書いている。

「つよい中心からの管理の糸をたちきった小型コンピューターにはじまり、ハイパーテキストやハイパーカードまで、このようにしてハードウェアとソフトウェアの両面で、『部分が全体と同じ力をもつようにデザインされた機械』が次第にかたちづくられていけば、やがてはそれが、バラバラの存在が自由なしかたで結びついた気持ちのいい社会を実現する道具になってくれるにちがいない。/はじめにコンピューターがあったから、かれらはこのように考えるようになったのか。/それとも、かれらが最初からこのように考えていたからこそ、その考えにあわせてコンピューターをつくりかえていったのだろうか。/おそらくはここでも、両者の『相互作用』によって、といいうのが正しい答えなのであろう。(中略)パーソナル・コンピューターの歴史もすでに二十年をこえようとしている。でも、とことんのところ、パーソナル・コンピューターとそのネットワークにかんしては、今日にいたるまで、この『諸部分と諸細部』優位の全体という仮説をこえる考え方はまだどこからも提出されていない。もしもパーソナル・コンピューターをはじめてパーソナル・コンピューターたらしめる思想の核というものがあるとすれば、おそらくはこれがそれに当たるのだろう。もちろんパーソナル・コンピューターの文化を特徴づける対話的性格もまた、この仮説からまっすぐにもたらされたものだったのである。」

 もちろんここから現在のインターネットまでが一直線につながったわけではない。その歴史については適当な本がたくさんあるのでいまここで書く必要はないだろうが、アメリカ合衆国国防省による軍事目的のネットワーク構築とインターネットの関係についてだけかんたんにふれておきたい。

 

●なぜ彼らは恐れるのか?

 インターネットの基礎構造が国防省の軍事的利用によって急速に拡大されたことはまぎれもない事実である。つまり核戦争において、脱中心的なネットワークが中央集権的な通信網に比べてはるかに生き残る可能性が大きいという認識から、その軍事利用が追究されインフラの整備と拡張が国家的なプロジェクトとしておこなわれた。そしてそれはさらに、ゴア副大統領の情報スーパーハイウエイ構想というかたちで資本にとってのあたらしい市場の開拓につながり、こんにちのインターネット・ブームを生むことになったのである。この側面を見るかぎり、インターネットは国家と資本の力で今日の隆盛をむかえたと言える。
 しかし破壊にたいして自力で生き残れるという軍事的なメリットは、同時に体制批判的な組織や運動にとっても同じように大きなメリットなのである。しかし考え方はまったく逆だ。かれらにとって、インターネットは全世界を覆う巨大なテクノロジーだが、われわれにとっては「全体と同じような力を持った部分」とか「諸部分と諸細部優位の全体」というパーソナル・コンピュータの開拓者たちの理念のとおり、このコンピュータとあのコンピュータをつなげるという、最小の単位があくまでも基本なのである。それはもしかすると、弾圧によって全体から切り離されても自力で生き残り活動を続けるという意味で、昔の革命家が考えた「細胞」というコンセプトに似ているかもしれない。あるいは中央集権的な正規軍にたいするゲリラをイメージすることもできよう。つまり、体制側にとって大きなメリットを持つと考えられるこのあたらしいテクノロジーは、両刃の刃なのである。それはこのテクノロジーがもつ脱中心的で相互主体的な基本性格が、官僚主義的国家体制からどうしてもズレてしまうところから生まれる。だから国家はインターネットの大衆的な普及を眼前にして、いまやその統制と管理になりふり構わず乗り出している。しかしお気の毒なことに、インターネットは統制にも管理にも向かない。そしてそれこそが当の国家が評価したメリットだったはずだ。これをどう押さえ込むか。そのためにかつての神聖同盟のように世界の「指導者」は会合を重ね、さまざまな検閲・規制の法律を粗製濫造している。
 軍事利用を追究した結果、それがおもいもかけない民衆にとっての武器になってしまった、というのがインターネットのひとつの面だとすれば、もう一つの面は、すべての事柄をお金を基準にして考えるという資本主義の原理を、インターネットは微妙に崩し始めているということである。インターネットを支えているのは、大企業が開発したテクノロジーではなく、フリーウエアーと呼ばれる無料のソフトである。たとえばわれわれが電子メールのやりとりをするときにほぼ例外なく使っている Eudora-J というソフトは、タダだ。ホームページを見るのに必要なソフトで代表的な Netscap も Explorer も基本的にタダで使える。文章を書くためのエディタも、Jedit とか YooEdit のような機能の充実したものがタダで手に入る。これらはいずれも、ちまたにあふれているパソコン関係の雑誌に付録としてついているCD−ROMのなかに入っているか、インターネット上のサイトからダウンロードすることができる。また、なかにはシェアウエアーと呼ばれる2千円程度のソフトもある。それらをあわせると、その数はおそらく数千、数万にたっするだろう。全世界のアマチュアのプログラマーたちが、無償であるいはほとんど無償で腕をきそっているわけだ。
 腕をきそって、と書いたが、これはけっして排他的にという意味ではない。そもそもコンピュータとコンピュータを繋ぐという発想は、パソコンの開発者たちにとって、ソフトの共同開発の必要からもうまれたものだった。もしソフトの開発が、一企業、一個人の閉鎖的な秘密主義や私有制のなかでおこなわれたとしたら、パーソナルコンピュータの今日もしたがってインターネットの今日もなかったと断言できる。そうではなくて、開発は徹底的な情報公開のもとで、それを最大のメリットとしておこなわれた。だれかがあるソフトについて基本的なコンセプトを思いつく。かれは自分で、あるいは何人かの仲間とそれを実現するためのプログラムをつくる。そしてそれを試供品として配布する。その配布先はけっして専門家仲間ではない。何十万という普通のパソコンユーザーに自由に使ってもらう。条件はただひとつ、使用中に不具合(バグ)を発見したら知らせてもらいたいということだけだ。こうしてあたらしく開発されたソフトは世界中の多様な人びとの多様な条件のもとで多様な使い方をされて試され、その結果が開発者に知らされる。開発者はそれを参考にしてつぎのヴァージョンを試作する。それがまた同じように試される。ソフト開発の歴史はこのくりかえしだと言っていい。
 インターネットの世界は、タダが商売になる世界なのである。もちろんそこは、資本主義の利潤の法則が厳然と貫徹している世界でもあるから、タダはタダではすまない。タダから莫大な利潤を生む方法がわかればわたしも億万長者になって、われわれの運動の財政問題もたちまち解決するわけだが、残念なことにわたしは金儲けには関心がないので、この問題はこれ以上書かないことにする。

 

●戦場としてのサイバースペース

 さて、ウイリアム・ギブスンがかれのSFのなかでサイバースペースという言葉を使って以来、これは一種の流行語になっている。わたしたちもご多分に漏れずよく使うが、しかしこの言葉がうみだすある種の雰囲気にはまどわされないほうがいい。サイバースペースとリアルワールドとの関係については、すでにこの本でも小倉利丸が書いているが、すこし違った角度からもういちど考えてみたい。というのは、この問題は運動の方からインターネットにアプローチする場合の基本的なスタンスに関係しているからである。
 まず第一に、われわれはサイバースペースを現実世界にたいする反世界、あるいはリアルワールドにたいするヴァーチャルワールドというような正と反という関係では考えないということである。サイバースペースは徹頭徹尾、現実世界のものである。現実世界にコンピュータ・ネットワークがつくりだしてしまったスペース=隙間である。これが隙間である以上、それがいつまでも安定して存在できるとおもうのは錯覚である。その隙間を現実世界の不安定要因として敵視し、その自立性をつぶして管理しようとする力が一方にあり、他方にはその自立性をあくまでもまもり、さらに拡大し、「2つ3つ、さらに多くの隙間を」創出しようとする力があり、このふたつの力がはげしくせめぎあうバトルフィールドが、われわれの理解するサイバースペースにほかならないのである。
 そこからいくつかの課題がうまれてくる。その一つは、市民運動にとってのインターネットは、たんなる「便利な道具」にとどまらない、ということだ。運動にとって便利な道具であるためにもコンピュータ・ネットワークがつくりだすスペースは自立していなければならないのは当然だとして、その自立性の擁護と拡大は市民運動にとって独立した課題でもあるのだ。つまり市民運動は、破防法反対や盗聴法反対、あるいは海外派兵反対とおなじように、このスペースの自立性の擁護と拡大という課題を自分の課題にする必要がある。このスペースには、世界の未来をつくりだす可能性の一つがふくまれているからである。
 われわれが考えるべきもう一つのことは、このスペースにおける表現活動の意味の再確認である。そこでの表現活動の特徴は相互主体性と脱中心性である。つまりここでは送り手と受け手の区別は相対化される。ひとつの提案にたいして多数の受け手があたらしい提案を返すことによって、最初の提案は補強され整備される。その過程がくりかえされることによって、ひとつの表現の私有権(署名性)は後景にしりぞき共同性(無署名性)が前面にあらわれる。しかも決定的に重視されるのは、できあがった「作品」ではなくそのプロセスだ。そのプロセスに実現される人と人との相互主体的な関係なのである。このような表現活動の性格をさらにおしすすめること、これは運動のあり方自体を変えていくだろう。当然そこから、いままでの著作権についての法解釈を再検討しなければならなくなる。
 第三に、あたらしいインターナショナリズムについて考えるという課題である。運動参加者にとっていちばん力づけられるのは、自分が孤立していないとわかったときだ。社会主義の崩壊にともなって、世界からインターナショナリズムとか国際連帯というスローガンは姿を消してしまったが、いままでのソ連や中国中心の国際連帯ではなく、それこそ脱中心的な国家を超えた民衆同士の連帯は、いまこそ必要になっている。そういうインターナショナリズムの実現に、インターネットは決定的な役割をはたすことができる。しかしここで誤解しないでほしい。インターネットが連帯そのものなのではなく、インターナショナルな連帯を実現するのは生身の運動以外にはないということだ。なぜなら連帯とは行動だからである。インターネットはたしかに人と人を結びつけるが、同時にその人との距離感覚を見失わせる危険ももっている。それを現実の方にひきもどすのは、生身の人間が集まってやる運動なのだ。
 つぎに、われわれにとって情報とは何かということをあらためて考えよう。よくインターネットは大洋にたとえられる。そこからサーフィンという比喩的な表現も生まれた。そこでなかにはインターネットに入ると、西も東もわからなくて心細くなるという人もいる。たしかに目標もなしに大洋に漕ぎ出せば心細くなるだろう。しかしはっきりした目標と技術をもっていれば、海はもっとも便利な交通路なのである。われわれと情報の海としてのインターネットとの関係は、ちょっとこれに似ている。どんなに情報を積みあげても、それを使う目的がはっきりしていなければ役に立たない。 つぎに……、と書いていくときりがないのでこのへんでやめよう。

 

●本当のあとがき

 これからが本当のあとがきである。わたしたちは、これほどワープロやパソコンが普及しているのに、それをネットワークに繋げようと努力する人が、とくにモノ書きや運動関係者のなかであまりに少ないのに、いささか苛立ってこの本を企画した。うわついたインターネット・ブームがますますこの人たちをインターネットから遠ざけることを心配してすこしばかり硬派のこういう本をつくった。他人の好みは放っておいてくれと言われるかも知れない。しかしインターネットをあたらしい文化の可能性の問題として、そしてなによりもそこに出現するサイバースペースをひとつの「戦場」としてとらえるわたしたちの立場からすると、これは個人の好みの問題ではないのである。
 たしかにインターネット・ユーザーの側にもたくさんの問題がある。あの、ほとんど符丁化した略号、横文字、カナ文字の横行。なにやらあやしげなギルド的共同体……。初手からこれに反発する人がいるのは当然だ。しかしそれを克服することをふくめて、共同の仕事にできないだろうか。そしてなによりも、運動――石川淳が言っている精神の運動までふくめた運動にとって、インターネットは決定的に役に立つだけでなく、それ自体が運動の場でもあるということを強調したかったのである。
 60年代から70年代にかけて、管理社会化が極限的に進行するなかで、コンピュータは管理のための花形テクノロジーであった。そのなかからそれに対抗して反管理社会を理念とするパーソナルコンピュータの基本的なコンセプトが生まれた。そしてパソコンの脱中心的なネットワークとしてのインターネットを、ふたたび国家と国家連合の管理下に回収しようという試みは、いまようやく熾烈化している。だからこの本は、インターネットへの参加の呼びかけであると同時に、この国家による統制に反対する運動への参加の呼びかけでもあるのだ。
 この本が企画されてからすでに一年近くがすぎようとしている。そのあいだにもインターネットをめぐる技術的、社会的そして政治的な状況は、めまぐるしく変化した。見切り発車ということは、ことパソコン関係の本についてはつねについてまわる宿命のようなものである。
 はじめてインターネットに繋ぐ人にとって、技術的な難関はけっして小さいものではない。そこでこと技術については、研究が必要だということをいっておきたい。しかしこの研究にも、労せずして、という道がある。人に聞くことである。パソコンの世界ほど、自分の知識を虚心に人にわかつことに喜びを感じる人がいるところはない。まあ、はっきり言えば教えたがり屋が多いということだ。運動体に属する人は身の回りをみまわせば、かならず二人や三人そういう人がみつかるはずだ。本書を読んで技術的なことでわからない点があったら、まずそういう人をみつけて聞いてもらいたい。そのつぎに本屋に山積みになっているインターネット関係の書籍や雑誌から適当なのをえらんで読んでもらいたい。内容はおそらく大同小異である。
 では、みなさんネットのなかでまたお会いしましょう。
(『市民運動のためのインターネット』1996年12月、社会評論社刊)