中野重治『五勺の酒』問題

 天皇および天皇制を論じながら、敗戦の翌々年に中野重治が書いた小説「五勺の酒」にふれた人は、わたしが目にしただけでも二、三にとどまらない。そしてそれらの論は例外なく生真面目そのもの怩ニでも言うべき性格において共通していた。たとえば井上良雄の「裕仁天皇と私」(『時の徴』54号)などその代表的なものだ。わたし自身、ヒロヒト天皇の吐血から十日後に書いた文章(反天皇制運動連絡会パンフレット4号所収)で、この小説を引き合いに出したのだから、これは他人ごとではなくわたしを含めてということになる。
「五勺の酒」のなかには、天皇制に批判的なひとびとの天皇観に、ある種の倫理的な反応を呼び起こすいくつかの主張がある。「恥ずべき天皇制の頽廃から天皇を革命的に解放すること」とか、「天皇個人にたいす人種的同胞感覚をどこまで持っているか」というような部分がそれである。このように非人間あるいは半人間でしかない敵をも人間として救済することで、敵を解体するという志向は正しいか、美しいか。疑いもなくそれは正しく美しい、もしその志向がその敵にたいする無垢の怒りに支えられているのならば。そしてそこに「五勺の酒」の「未完」という問題がある。
 中野重治は新版全集の「著者うしろ書」にこう書いている。
「『五勺の酒』、これは、作者としていえば前半分だけ発表されたものである。一人の中学校長から手紙が来た。友人の共産党員がそれを受けた。そして返事を書く。往復あわせてが『五勺の酒』だった。返事の分が書かれずじまいのまま今日にきたのである。今になお、今になっていっそう切に、それの書きたい瞬間が瞬間的にある。」
 これが書かれたのは死の二年前であった。そして返信はついに書かれずに終った。なぜ中野はこの作品に死の間際までこだわったのか。どこにこだわったのか。かれの晩年にそれを直接きく機会をいくらももちながら、それを果たさなかったことをわたしは残念に思うが、推測がまったくできないわけではない。それはあのとき、天皇を日本人のなかでしか、「人種的同胞感覚」のなかでしか批判できなかったことへの、そしてそのことによって日本人民の倫理の再建の道をせばめてしまったことへの、反省ということがあったと思われる。
「五勺の酒」という作品は、当時の日本共産党の天皇制攻撃のやりかたに対する共産党員・中野重治の批判として書かれた。しかし同時にそれは、共産党の天皇制攻撃に不快感をあらわして新日本文学会を脱会した志賀直哉への、弁明としても書かれたのである。もちろんわたしには、中野の「政治的な意図」というようなものをほのめかして、この作品をおとしめようなどというつもりはまったくない。しかしこの作品は、時代と状況の刻印を深く刻まれた作品であり、あれから四十年の歳月と経験をふまえて、その「未完」をわれわれ自身が自分の手で書きつがなければならないものとして、われわれの前に残されているのだということだけは、言っておきたい。
 あとは走り書的に。「五勺の酒」にふれた文章は例外なく生真面目だ、と最初に書いた問題。それはこの作品が深く日本人の倫理を問題にしていることに由来するだろう。しかし倫理も、倫理のたたかいもまた笑いでありうる。ガルガンチュワ的な哄笑こそ最高に倫理的だ。天皇制は笑いを圧殺する。
 もちろん笑いのなかには陰惨な笑いもある。それは批判され克服されなければならない。しかしその批判もおおらかにやりたい。味方のなかに多くの敵を発見するのではなく、より多くの味方をつくりだすような批判でありたい。いまここでの批判の質が、たたかいのかたちが、われわれの解放の質とかたちを決定するからだ。(『情報センター通信』1989年5月31日号)