「モラリスト論争」前後

 「モラリスト論争」というのは、一九五五年から翌年にかけて花田清輝を一方に、荒正人、大井広介、山室静それに埴谷雄高を他方にして展開された論争である。戦後文学史のなかでは、いわばエピソード風にしか語られないが、スターリン批判の評価、戦争責任論、花田・吉本論争というように展開する戦後文学の最終期の論争の種はほとんどがすでにこの論争に伏在していたという意味で無視できない。また埴谷雄高にとって、政治思想家としての出発点となった「永久革命者の悲哀」が、この論争のなかで書かれたという意味でも、忘れることができない。この論争が、埴谷雄高にとって、六〇年代政治思想の予兆となった『幻視のなかの政治』から『死霊』第五章へという彼のもっともアクチュアルな活動期を準備したように、その論敵・花田清輝もまたこの論争から『大衆のエネルギー』、『近代の超克』へと戦略的展開をとげ、あわせて吉本隆明との論争をすすめたのである。
 この「モラリスト論争」が戦後文学の最後の爆発の伏線になったのには、もちろん時代的な要因があった。その第一は、一九五五年七月の日本共産党第六回全国協議会(いわゆる六全協)による陰惨な分派闘争の終息、第二は、翌年二月のソ連共産党第二十回大会のスターリン批判と平和共存路線の採択である。スターリンの死後に囁かれ始めた「雪解け」が現実のものになったことへの解放感が左翼知識人をとらえ、その一部にマルクス主義を自由主義的に再解釈しようとする動きがおこった。花田清輝にとって、「近代文学」派はそのような傾向を代表する者と見えた。彼は後にこの論争をふりかえり、「スターリン批判以後、『近代文学』同人の鼻息き荒くなり、かれらと論争する。/主として実存主義の内在的批判を意図し、シェストフ、サルトル等の文献を読んだが、マルクス主義のABCを解説したところで論争を打切られる」と書いたが、この論争にはもっと深い根があった。
 と言うのは、この論争の深部には論争参加者の戦争中の「生き方」の違いから、「抵抗」の評価の対立があったからである。それは、「一歩さがったところでの芸術的抵抗」(小田切秀雄)を試みた旧プロレタリア文学系とその流れのなかに登場したより若い世代、つまり『近代文学』の中心メンバーの大部分、もっとも激しい運動参加から決定的な転換をへて「蜘蛛の巣のかかった何処かの部屋の隅で、未来の全体を凝集する作業」をつづける「永久革命者」となった埴谷雄高、そして「当時、軍の直接の監督下にあった『軍事工業新聞』にはいってかいた論説のほうに、わたしは、わたしなりのささやかな抵抗があったような気がする」と書く花田清輝――という三つの流れに分類できよう。
 一見、国家社会主義とみまがう花田清輝の戦中の論説は、それを極端にまでおしすすめれば日本の戦時体制は崩壊すると確信する者の挑発にほかならなかった。そういう彼にとって「終戦」はまさに痛恨事にほかならなかっただろう。革命と平和をくらべれば、どんなに犠牲が多くても革命をとる、という彼にとって、革命とは基本的にインモラルなものであった。それにたいし、「終戦」に歓呼した荒正人たちにとっては、いまここにある生命、自由、愛というようなものこそが重要であった。彼らにとって花田清輝は目的のためには手段を選ばないマキャベリストに見えた。そして花田にとって「近代文学」派はマルクス主義を自由主義の水準に貶める者であり、手段の道徳的な可否ばかりを論じて目的を見失ったモラリストと見えた。
 このような論争のなかで、埴谷雄高の位置はきわだって特異である。花田清輝の徹底した現実的戦術主義に倫理やヒューマニズムを対置する他の『近代文学』同人たちと異なり、透徹した「無階級社会の眼」をもって、花田清輝の言説が結局のところ、革命のなかにあるピラミッド型の権力構造を温存させ強化する結果にしかならないと厳しく批判したのが埴谷雄高であった。
 以下、順をおって論争関連の文章を挙げる。(掲載誌はとくに断らないかぎり『群像』)――
 座談会「今後十年を語る」(出席者・加藤周一、奥野健男、花田清輝、堀田善衞、佐々木基一、本多秋五、山室静、荒正人。『近代文学』一九五五年一一月号)、花田清輝「政治的動物について」(『美術批評』一九五六年一月号)、大井広介「文学者の革命実行力」(二月号)、花田清輝「モラリスト批判」(三月号)、同「日本における知識人の役割」(『知性』三月号)、荒正人「異端邪説」(四月号)、花田清輝「空想と事実」(五月号)、同「混乱を生きぬく道」(『知性』五月号、のち「胆大小心録」と改題)、埴谷雄高「永久革命者の悲哀」(五月号)、荒正人「汝もまた―」(六月号)、花田清輝「世の中に嘆きあり」(七月号)、埴谷雄高「闇のなかの自己革命」(八月号)、座談会「平和か革命か」(出席者・荒正人、大井広介、花田清輝、埴谷雄高。九月号)。
 座談会をのぞきこれらの論文はそれぞれ、大井広介『文学者の革命実行力』(一九五六年四月、青木書店〕、花田清輝『政治的動物について』(一九五六年七月、青木書店)、荒正人『雪どけを越えて』(一九五七年四月、近代生活社)、埴谷雄高『鞭と独楽』(一九五七年六月、未来社)に収録された。
(『彷書月刊』1997年7月号)