20世紀の方から戦後のTいまUをみる

 戦後五十年を、終りを迎えつつある20世紀の全体のなかでとらえることが、いま、とても大切なことであるようにわたしには思われる。五十年といえば一世紀の半分だというような算術計算はともかく、冷戦と核軍拡競争のすえに「社会主義体制」の全般的な崩壊に帰結されたこの五十年によって、20世紀が抱えていた問題は消滅してしまったのか、そのなかで日本の戦後五十年はどのように位置づけられるのか。それを考えるにあたって、内から外への視線によってではなく、逆に外から内へ、つまり20世紀の方から日本の戦後五十年を見直すという試みも、必要なのではないか。戦後五十年の年におこったオウム事件とか無党派層の増大とか金融機関の破綻とか、……これらの事件を戦後五十年のいまを象徴する事件と見るのと同時に、20世紀最後の五年を象徴する事件としても考えてみた方が、より有効ではないかというのが、さしあたってのわたしの提案である。
「戦争と革命の時代」と呼ばれた20世紀は、あたかも戦争も革命もなかったかのように、あるいは、それらはいまや有り得ぬ昔語りであるかのような貌をして、立ち去ろうとしている。それでは人びとは、希望に満ちて21世紀を迎えようとしているのかといえば、そんなことはない。戦争も革命も出口を失って内攻しているだけだ。人びとはそれを感じる。21世紀を迎えようとしている人びとをとらえているのは「不安」である。この不安を解消するためには、内攻している戦争を目に見えるものにして、その根元を絶つこと、内攻している革命に名前と目的をあたえ、それの現実化に道をつくることが必要である。もちろんそれは、かつての戦争と革命の復活などでないことはいうまでもない。それだったら話は簡単すぎる。
 20世紀を20世紀たらしめたものは何だったろうか。それはいくつかのキーワードとして表現できるが、そのひとつが「総動員」という言葉であったことは間違いない。いうまでもなく「総力戦」にむかっての総動員である。日本人も1940年の前後にそれをしたたかに経験した。そしていまも経験しつつある。
 この総動員を可能にしたのは技術なかんずくマスメディアの発達である。動員されるのはあたらしく登場した「大衆」だ。いやむしろマスメディアによって造られた大衆と言った方がいい。メディアこそ総動員の最大の武器だったというのは、「労働者・農民」という大衆に依拠しようとしたレーニンにとっても、「民族・国民」という大衆に依拠しようとしたヒトラーにとってもおなじである。
 しかしここで重要なのは、動員する技術の方から見るのではなく動員される大衆の方から見ることであろう。なぜ彼ら/我らは、動員されてしまったのか、さんざんひどい目に会いながら性懲りもなく動員されつづけているのか。20世紀とは、多種多様な自称「前衛」が、大衆を自分の方に総動員するためにしのぎを削った時代であった。つまり宣伝の技術が支配の技術の中心を占める時代であった。ハイデッガー流に言えば「テクネー」の支配する時代である。「巧言令色少なし仁」という孔子さまの教えなどとうに忘れ去られた。
 ではどうして、大衆は巧言令色によって動員されてしまうのか。なんと言ってもそれは不安によってである。その不安を何者かに代表=表象してもらいたいという願望からである。ところが政党代表制を根幹とする議会制によっては、この願望はつねに裏切られる。なぜなら階級という姿をとらない大衆のアモルフな「不安」は、とうてい政党によっては表象できないからである。それはむしろ絵画や映画における表現主義のような芸術的表現によってはるかによく表象される。だから表現主義の両義的な性格を微細に研究することは、ボリシェヴィズムとファシズムに帰結した20世紀の「危機」を具体的に再構成するために不可欠な前提なのである。
 このような「技術」「大衆」そして「政党代表制の崩壊」という20世紀を文字どおり危機の時代たらしめ、その克服のための多様な「近代の超克論」とその試みをうみだした条件は、しかしながら第二次世界大戦と戦後の冷戦のなかで一時的に凍結された。大衆は「総力戦」に動員されるというかたちで、国家に統合された。戦争は言うまでもなく最大のプロパガンダであり、アジテーションである。
 冷戦構造の崩壊は、このような国家の統合力すなわち動員力を急速に低下させた。国家自体が国民国家の枠組みから流出しはじめた。この結果としてあたかも20世紀の初頭に世界をおおった危機が、ふたたび解凍され露出しはじめたようにみえる。たしかにそれはふたたび息をふきかえした。しかしかつての繰り返しではない。核兵器の存在は戦争を宙吊りにしている。ファシズムへの道にはアウシュヴィッツの記憶がいぜんとして立っており、ベルリンの壁を叩き割る民衆の映像は革命の前にまだなまなましい。
 繰り返すことはできないし許されない。とすれば、この袋小路のような状況のなかでなにをなすべきだろうか。答えはおそらく単純なのである。原点にかえること。すなわち政党代表制にかわる民衆の意志の結集の場、そのあたらしい表現形態を模索することである。大差で反対の意志を表明した巻原発住民投票にたいし、はやくも政治家やジャーナリズムの一部から、議会制民主主義への挑戦だという声があげられている。まさにその通り。民衆の意志をとるか政治屋の利権を優先するか、ことがらは単純明快に見えはじめた。この総動員体制のほころびが、希望の時代のはじまりなのである。
(『派兵チェック』47号、1996年8月15日号)