alternative autonomous lane No.6
1998.7.20

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目 次

【議論と論考】

チョー右派言論を読む・抗争するオルタナティブ(栗原幸夫)

チョー右派言論を読む・産経新聞の巻(伊藤公雄)

死刑廃止運動とインターネット(小倉利丸)

ネットワークユーザーにとってのプライバシーとセキュリティとは(小倉利丸)

平和と安全、そして危機管理―新ガイドライン・有事立法が目指すのは剥き出しの国家利益だ(岡田剛士)

【世界の運動情報】

フランスの移民問題の現在(コリン・コバヤシ)
エチエンヌ・バリバールの「サン・パピエ――リオネル・ジョスパンへの回答」

【コラム・表現のBattlefield】

チョー悪徳有名人・天皇を描き続けるパロディーの力持ち
―「本郷村の画伯」 貝原浩―(桜井大子)

【書評】

『天皇と接吻――アメリカ占領下の日本映画検閲』(天野恵一)

【反天論議】

「日和見」しつつ反天論議ができればいい(池田祥子)



抗争するオルタナティブ

栗原幸夫●『レヴィジオン〔再審〕』主幹

 活動家と研究者の協慟の場をめざす「ピープルズ・プラン研究所」(PP研)が発足し、その記念シンポジウムが六月二七日に開かれた。「越境する民主主義とその主体」をテーマとするそのシンポジウムでは、資本がおしすすめるグローバリゼーションにたいし、民衆を主体とするどのようなオルタナティブな世界がありうるのかが討論され、報告者の一人・武者小路公秀は「普遍的で同時に特殊的な人間と自然観にもとづく多元的普遍主義の理念」の必要、また「人間の発展、安全、権利を、糾合の新しい神話とする希望の連合」の構築、などを語り、研究所共同代表の一人・武藤一羊もオルタナティブな世界についての理念の重要性を強調した。
 マルクス主義の権威失墜とポスト・モダンの空騒ぎのなかで、大きな物語を語るにはほとんど嘲笑の的になる覚悟が必要だったが、臆すことなく「理念」や「理想」、さらには「神話」というような言葉をつかう彼らの蛮勇に、傍聴席にいた私はいささか居心地の悪さを感じながらしかし同時に、少しばかり感動しないわけにはいかなかった。いささかの居心地の悪さとは、彼らと同じ認識をあのパンク右翼の福田和也が言っており、少しの感動とはその同じ認識のうえで福田と武藤たちとの志向する方向があざやかに正反対に対立しているからである。
 福田は「いわゆるグローヴァル・スタンダードと呼ばれるアメリカの世界一規格化の潮流に私たちが対応する必要が、日々高まっている」と前置きして、つぎのようにつづける。「だがこれらの対応は、ただアメリカへの反発ということに終わってしまっては、意味がない。やはりアメリカが今描こうとしているのとは別の、国際社会にたいするイメージ、構想戦略にもとづかないならば、そこに実効性も期待できないし、反抗のための反抗という自己破壊のプロセスに自らを追い込んでいってしまうことになるだろう。/だが、いかにすれば、われわれは、その世界的構想なるものをもつことができるのか。/そこに、理想の問題が、緊密にかかわってくるのである。」「では、その理想とはいかなるものなのか。どのようなものでなければならないのか。/それは、アメリカというきわめて一義的な普遍をかかげる国に対抗しうる、普遍を訴えなければならないのである。」(「国策とその理想」、『発言者』七月号) 健全なナショナリズムだの日本の来歴だの、もっぱら日本一国の国民的統合に目を向ける「自由主義史観」派や「新しい歴史教科書を作る会」の面々とは違って、この「大東亜戦争の加害責任を誇りを持って引き受ける」と称する革新右派イデオローグの現状にたいする認識は、一見、われわれとそれほど変わりがないように見える。しかしここで忘れてならないのは、ファシストはラディカルな革新派だったということだ。天皇制ファシズム下の革新官僚は、戦争遂行の最大の主柱だったのである。「国策的構想が、我が国の行き詰まりを救うというのは、原理的にまったく正しい。しかし、そのような構想を打ち立てるためには、その構想を支える理想が、つまり普遍的な挑戦の身振りが、必要ではないのか。ナショナルなものを維持するためには、ナショナルな領域を超越しなければならないとすれば、いかなる普遍的な意志が、今の日本にありえるのか。」これが福田論文のリードである。
 そこで彼が想起する「国策」とはかつての「満州建国」であり、「理想」とは「五族協和」なのである。もちろんここでわれわれは、やれやれ、そうですか、と言って、顔をしかめて立ち去ることもできる。しかしちょっと我慢してもうしばらくここに留まった方がいいように思う。なぜならここは「争点」だからだ。もちろん「満州」が争点なのではない。
 私は福田和也のような右派イデオローグが、資本主導のグローバリゼーションにたいして、単純なナショナリズムを対置するのでなく、オルタナティブな普遍的理想について語りはじめていることに、下層にとどまらず上層(支配層)までを巻き込むにいたったこの国の危機の深化を見る。そのような状況のなかでは、保守は保守であるだけではもはや保守でさえあり得ない。
 われわれだけでなく、保守も保守なりに革新を語りオルタナティブと理想を語らなければならなくなったところに真の意味での「争点」が形成される。「ナショナルな領域を超越しなければならない」というその「超え方」その「方向」がまさに争点なのである。
 われわれと彼らの対立が決定的になるのは、言うまでもなく「国家」が問題になるときだ。彼らは簡単に「ナショナルな領域」を超えると言うが、理念を語るのならとにかく、運動を問題にする限り、それはそれほど簡単なことではない。権力とのせめぎ合いが露呈する「場」を仮に「ローカル」と呼ぶとすれば、そのようなローカルな、そしてほとんどの場合、単一の課題を巡るさまざまな対抗関係の「場」(それは必ずしも「地域」とはかぎらない)における「運動」のなかに形成される「民衆的主体」をぬきに、そのような「超越」は、すくなくともわれわれの理想としてはあり得ない。なぜならこのような「場」における運動とそこに形成される主体があってはじめて、世界が開けてくるからである。そのときイヤでも運動は世界のなかに押し出される。そのような具体的な運動を踏まえるのか、あるいは抽象的に国家の理念を語るのか、そこに決定的な対立点があることは言うまでもない。
(『派兵check』1998.7.15号)













チョー右派言論を読む
産経新聞の巻

伊藤公雄●男性学



 ゼミの学生たちに「毎日、新聞を読む人」と尋ねたら、30人中2人しかいなくてビックリしたことがある。「毎日、新聞を読んで重要記事を切り抜くだけで、けっこう良い卒業論文が書けるのに」などと思うのだが、若い世代の新聞離れは急速に進んでいるようだ。新聞記者の友人に聞いたら、「新聞を読まない若い読者を想定した記事は書かない」といっていた。
 その一方で、新聞に魅力がなくなっているのも事実だ。紋切り型の切り口と突っ込みの足りない(お役所の情報を垂れ流すだけの)発表ジャーナリズムが面白いはずもない。
 とはいっても、当方、一応、「メディア論」専攻などという看板もかかげている手前、赤旗(「しんぶん赤旗」)から地元の地方紙まで、毎日6〜7紙の新聞に目を通している。なかでも最近、面白いと思うのは、産経新聞だ。記事の作り方が、けっこう新鮮だからだ。産経という新聞、政治的には明らかに保守だが、生活面や社会面が「読める」からでもある。女性差別関連で情報が一番多いのが産経だし、切り込みもけっこう鋭い。急激に保守化した「斜断機」欄は、以前と比べて退屈だが、文化面も「アレッ」というような記事が載ることがある。
 しかし、産経を読む「醍醐味」は、何といってもあの「ゴリゴリの保守」を貫く政治面や「正論」欄などだろう。とはいっても、「保守だからダメ」という具合に決めつけて読むのでは、楽しみが減る。というのも、保守的論者の間の微妙な意見の差異や対立、議論を論ずるスタイルやレトリック、さらに、ものごとを保守的なサイドから語る背後に控える個々の視点を「読む」といったことが、ホント面白いからだ。ときに、当方の固定観念にヒビを入れるような文章にも出会うし、また、「コイツはトンデモナイ右翼」と思いこんでいた論者が、妙にリベラルな発言をしたりするのを発見したりもする(ああ、この「楽しみ」を、本紙の読者にもわけであげたい……というのは半分冗談)。
 そして、ぼくにとって最大の喜びは、こうした保守論者の議論を読みながら、頭のなかで彼らと論争することにあるのかもしれない。「オイオイ、そこまで言うか」とか「アレッ、こことここの論理がスレ違っていないか」とか、「この前いってたことと違うジャン」などと思いながら読むのだ。
 こうした「読み」の作業の中で最近、傑作だと思ったのをひとつ。6月24日付「正論」の加地伸行氏の「『広島の教育』の非論理性」である。ご存じのように産経新聞は、広島県の教師(自由主義史観のグループのメンバーで、『週刊金曜日』によれば、元警察官という異色の教師で、学校のセクシャルハラスメントまがいの行為でも有名な方だそうだ)の国会での発言(「人権教育の行き過ぎ」?批判)を契機に、ここ数カ月、「日の丸・君が代」無視の広島県の教育批判キャンペーンをはっている。その流れの上での発言である。
 加地氏は、こう述べる。「(天皇制を国民主権に反する差別の源泉と批判する)広島県下の教育では、日本国憲法第1条、第2条に限ってみても……(国民主権とともに、天皇の地位は国民の総意に基づくとも書いてあるのだから、イヤなら憲法を変えればいい。きちんと日本語の理解力があればわかるはずのことなのに、これを誤読して−−筆者要約)非論理的・非常識的な理解を、教育長がみずからがおこなっていたわけである」「天皇制否定の憲法改正運動−−なぜそれをしないのか。それを行い成功しない限り、現在の『主権の存する日本国民の総意』に従うのが筋というものである」というのだ。
 日の丸・君が代と憲法第1章がどう憲法論議の上で結び付くのか、そもそもわからん。少なくとも、憲法は日の丸・君が代を天皇とかかわらせたりしていないし、どの法律にも日本の国歌・国旗だと書いてもいないはずだ。
 それ以上に面白いのは、「日本語能力」の問題だ。「憲法は書いてある通り守れ」「日本語能力のない教育者は落第だ」というなら、だれが読んでも「軍備放棄」としか読めない憲法第9条を、加地氏は、きちんと読む能力があるのだろうか。もちろん、ここでは、「公教育だから憲法を守れ」というのだろう。でも、それなら、公教育のなかでも大きい比重を占める教科書で自衛隊をどう描くかという問題に、この日本語能力に自信のあると思われる中国哲学者は、どう答えるのだろう。
 これだから、「保守論壇」を読むのはやめられない。
(『派兵check』1998.7.15号)

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死刑廃止運動とインターネット

小倉利丸
●オルタナティブ運動情報メーリングリスト管理人

 6月25日に3名の死刑が執行された。今国会でも死刑問題が議論されていたのに、それを完全に無視しての執行だった。なんとも醜悪な政治的な処刑である。
 この死刑執行は、インターネットの死刑廃止メーリングリスト(メーリングリストは、電子メールを使った同報通信の仕組みのこと)でも早い時期から次々と抗議行動や抗議声明などが掲載され、運動情報の交換がはじまった。
 死刑廃止メーリングリストでは、死刑廃止フォーラム in おおさか、アムネスティ日本支部、かたつむりの会、統一獄中者組合、監獄人権センター大阪など7団体が 26日に抗議声明を出したが、これに先だって、前日に抗議声明全文がメーリングリストに投稿された。この抗議声明では、死刑廃止の声が国内外で高まる中、「今回の執行は、今を逃せば参議院選挙とその後の内閣改造によって執行の機会を失い、1年間執行ゼロになることを法務省が恐れたためであると考えられる。」と分析し、「日本政府、法務省は、死刑が刑事政策上の問題ではなく人権問題であることを速やかに認識し、かかる認識に基づき、死刑執行停止から死刑廃止への道筋を国民に提示すべきである。」と結んでいる。26日には、この抗議声明は、監獄人権センターのホームページに転載された。
 また、東京での抗議行動も25日夜から行われたが、この抗議行動についても、死刑廃止フォーラムの江頭さんが即日報告している。午後8時過ぎに、保坂展人議員と中川智子議員(いずれも社民党)とともに20数名で法務省に抗議に行ったこと、午後8時半、司法記者クラブで記者会見を行い、抗議声明が出されたこと、26日以降の抗議行動のスケジュールも掲載されました。
 26日には、こうした日本の死刑執行と抗議の動きが、メーリングリストの参加者の手によってasia human rights alert (JCA-NETがホストしているアジア地区の人権緊急行動メーリングリスト)と abolish(アメリカ国内の死刑廃止メーリングリスト)などにも報告が出された。そして死刑廃止フォーラムinなごや、死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90、死刑廃止を推進する議員連盟、アムネスティ・インターナショナル日本支部、死刑執行停止連絡会議連名の抗議声明がメーリングリストに掲載された。
 27日には、明治大学で抗議集会がもたれたが、その模様も28日にはメーリングリストに投稿され、また、金沢でも26日に集会がもたれたことという報告が出された。そして、監獄人権センター(CPR)のホームページから法務省宛に電子メールによる抗議文が送付できるような仕組みが追加されたことが、CPRのホームページの管理者の今井恭平さんから報告された。また、死刑廃止メーリングリストのなかの抗議声明や抗議行動などについては、以前にこのコラムでも紹介したオルタナティブ運動情報メーリングリストや民衆のメディアメーリングリストなどにも転載されている。
 こうした情報の交換は、傍から見るとインターネットという限られた情報空間のなかを情報だけが堂々めぐりしているようにみえるかもしれない。しかし、今回の死刑執行に対する抗議行動はそうではなかったと思う。法務省での抗議行動や各地の抗議集会などに参加したり、それらを担っている人たちが同時にインターネットでのメッセージの発信者であり受け手だったからだ。
 新たに死刑について疑問をもった人たちが、死刑の問題を考えようとするとき、今までであれば書店で死刑廃止の本を手にするといった方法か最も容易な方法であり、リアルタイムで起きている運動を知ることはまず難しかったし、機関誌などを入手することも決して容易なことではなかった。しかし、インターネットでの情報発信はこうしたアクセスの困難をかなり解消できるメディアになっている。インターネットは万能ではないが、今回のような死刑執行という暴挙にたいして、最大限の怒りをこめて迅速に行動するために、多くの人たちに呼び掛けられるメディアとしては、インターネットには大きな可能性があると思う。しかし、いくら迅速に対応できると言っても、もうこれ以上執行後の抗議行動のためにインターネットの迅速機敏な機能が利用されるなんていうことはこれ以上絶対にあってはならないと思う。(東アジア反日武装戦線への死刑重刑攻撃にとたたかう支援連絡会議『支援連ニュース』)

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『支援連ニュース』

発行 東アジア反日武装戦線への死刑重刑攻撃にとたたかう支援連絡会議

定期購読 半年 1500円

問い合わせ 03-3891-7047 (水曜日夜)

郵便振替 00120-5-71752 近藤一











ネットワークユーザーにとってのプライバシーと
セキュリティとは

小倉利丸
●オルタナティヴ運動情報メーリングリスト管理人

ogr@nsknet.or.jp

下記のものは、6月22日に行われたソフトウェア技術者協会主催のセミナー「PGP / インターネットセキュリティとプライバシー保護」で発表したものです。これと同文が、たぶん日本ジャーナリスト会議のウェッブに掲載されると思います。(掲載許諾の依頼が来てました)反盗聴法のメーリングリストには投稿してあります。

1. セキュリティ概念について

1.1 個人のセキュリティと国家のセキュリティ

 「セキュリティ」という用語で現在日本で論じられていることの中には、より慎重に区別して論ずべ論点が混在しているように思われる。すなわち、個人にとってのプライバシー、個人情報、通信の秘密を守るためのセキュリティと国家の安全保障や犯罪に対する社会の防衛としてのセキュリティである。この両者は、同じことではない。むしろ、いくつかの点で、相対立するものである。たとえば、犯罪捜査や国家の安全保障などを理由に、個人に対するプライバシーや通信の秘密が制限されるという場合に両者の対立がはっきりあらわれる。

 日本国憲法では、通信の秘密を保護することが明記されているが、国会で継続審議となっている「組織的犯罪対策立法」のなかの盗聴法案では、非常に広範囲に捜査当局の盗聴捜査を認めており、個人の通信の秘密は制限されている。
 インターネットは、基本的には、国家の枠組みには収まらない規模で展開されており、セキュリティを国家レベルで捕えることには限界がある。むしろ、個人による情報の発信と受信にとって基本となるプライバシーの保障としてのセキュリティを第一に考慮すべきである。

1.2 情報公開とセキュリティ

 ところで、こうした意味での「セキュリティ」に紛れて、本来ならば公開されてしかるべき情報を「セキュリティ」を口実にして非公開とするケースもみられる。政府自治体の情報公開が進まず、また、企業情報のデイスクロージャーが進まないなかで、本来開示されて当然の情報を秘匿することを正当化するための口実として「セキュリティ」という概念が用いられる危険性がある。捜査当局や政府の各省庁は「不正アクセス」対策を優先させようとしているが、むしろ、「不正アクセス」問題に公正に対処するためには、すくなくとも、不正な情報秘匿や情報非開示といった事態がないこと、あるいはそうした不正な情報非開示等にたいして明確な対策がとられることを前提にして初めて、意味をもつものといえる。「不正アクセス」への法的規制だけが先行することは、ますます市民の知る権利、情報へのアクセス権を不当に制約することになりかねない。

2. 暗号使用の規制

2.1 暗号規制を強化しかねない日本の現状

 警察庁の外郭団体、社会安全研究財団に設置された「情報セキュリティビジョン策定委員会」は、「暗号技術の不正使用」および「暗号の不正使用」を防止する目的で、暗号使用についていくつかの規制を提案している。捜査当局による「キーリカバリー機能の確保」を大前提としているために、鍵回復機関の使用を前提とした規制モデルが検討されており、しかも、日本国内のユーザーは、日本国内の鍵回復機関しか利用できないものとすることといった条件を付与している。

 郵政省による「ネットワーク認証業務に関するガイドライン」では、認証機関による秘密鍵の生成と保管を認めている。このように、秘密鍵を認証機関が保有することができることを前提とすることについは、問題が多い。認証機関が個人の秘密鍵を保有しなければならない必然性はなく、また、認証機関そのもののセキュリィティも絶対とはいえない(いわゆるクラッカーだけでなく、内部の不正、ヒューマン・エラーの問題)にもかかわらず、捜査当局の便宜のためにキーリカバリー機能の確保を優先させるということは、個人のプライバシーを犠牲にして国家の強制捜査の権限を拡張しようとするものであって、インターネットが持っている個人の自由な通信という基本的な性質と対立する。

2.2 認証機関を必要としない暗号について

 PGPのような認証機関を必要としない暗号について、現在のところ日本では禁止されていないが、警察庁、郵政省などは、事実上認証機関の設置を既定の方針であるかのように論ずることが多く、PGPを意図的に無視するという対応が目立つ。あるいは、認証機関を必要としない暗号については「他人になりすました犯罪等の脅威が存在する」(警察庁)と指摘し、規制への含みを残している。

2.3 「暗号の不正利用」を違法とすることの問題点

 犯罪についての通信やコミュニケーションそのものは、違法ではない。違法なのは、実際に行われた犯罪そのものである。「暗号の不正利用」という考え方は、違法な行為についての内容を含む情報を秘匿することを違法としようとするものである。事実、警察庁は、ハッキングの技術情報がウェブ上で提供されている例などを挙げている。情報そのものと実行行為とをはっきりと区別することは、コミュニケーションの自由、思想信条の自由を保障するための基本的な条件であるが、こうした基本的な自由権そのものが侵害される恐れがある。

3 暗号使用の自由を確保すること

 組織的犯罪対策法案は、捜査当局による暗号解読を義務とした。この法案が次期国会で成立するようなことがあれば、暗号使用の規制へと一気に進む危険がある。私たちは、面と向かってのコミュニケーションでは内密な会話が保障されている。同様に、他人に知られないで通信する権利は、遠方の人とのコミュニケーションでも保障されるべきでなのである。そのためには、暗号による通信の自由は絶対に確保されなければならない。







平和と安全、そして危機管理

新ガイドライン・有事立法が目指すのは剥き出しの国家利益だ

岡田剛士●パレスチナ行動委員会

 この七月末から開会予定の臨時国会では、いわゆる周辺事態法案など一連の新ガイドライン関連法案(=有事法案)が具体的な日程に上ってくる。すでにPKO協力法の改悪案は先の通常国会で可決・成立してしまった。このことを強く糾弾するとともに、有事立法阻止に向けた取り組みを、改めて、大きく積み重ねてゆかなければならないと考える。

 まずもって周辺事態法案だが、その第二条には「政府は、周辺事態に際して、適切かつ迅速に、後方地域支援、後方地域捜索救助活動、船舶検査活動その他の周辺事態に対応するため必要な措置を実施し、我が国の平和及び安全の確保に努めるものとする」とある。そして周辺事態とは「我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態」(第一条)だという。
 この全く曖昧な周辺事態の規定そのものが大きな問題であり、さらにこの法案では、具体的に誰がどのようにして周辺事態を認定するのかについて一切言及がなされていない。右に引用した第二条には「政府は……実施し……努める」とあるだけで、「内閣総理大臣」や「防衛庁長官」といった明確な主体が主語(責任主体)となっていないのだ。
 結局は、今年一月二〇日に米国のコーエン国防長官来日の際に合意・発足した、日米の制服組による「共同計画検討委員会(BPC)」――周辺有事に向けた「相互協力計画」策定などを目的とする機関――、そして「調整メカニズム/日米共同調整所」――緊急事態において運用するとされる――が、有事の際の実体的な意思決定をおこなっていくことになるだろう。
 以下、やや長くなってしまうが「毎日新聞ニュース速報」(四月一八日付)の記事の一部を引用する。

 三月一三日午後一時過ぎ、東京・六本木にある防衛庁五号館五階の統合幕僚会議オペレーションルーム(作戦室)。自衛隊と在日米軍司令部の幹部計一七人がテーブルについた。日米共同計画検討委員会の初会合。委員会は新指針に盛り込まれた、防衛協力のため両国防衛首脳や関係機関による「包括的メカニズム」の中で軍事分野における日米協力を検討する。……新指針では、平時の「包括的メカニズム」に対し、日本やその周辺地域で武力紛争が起きた場合、日米両国の活動に関する調整を行う機関として「調整メカニズム」を「平素から構築する」とした。その中心となるのが「共同調整所」。東京・市ヶ谷に建設が進む防衛庁の新庁舎内に常設される見込みで、「調整メカニズム」が両国政府で構成する「戦争対処機関」なら、「共同調整所」は「作戦司令部」に当たる。/防衛庁は共同調整所について「日米双方の司令部間の調整をするところで合同司令部ではない。日米は対等で、自衛隊が米軍の指揮下に入るようなことはない」と強調する。だが、米韓連合軍、北大西洋条約機構(NATO)軍とも、米軍司令官のリーダーシップの下にあるし、朝鮮戦争、湾岸戦争も米軍司令官が実質的な指揮を執った。「一戦域一指揮官」が鉄則なのだ。ある陸自幹部は「建て前はともかく、《兄貴分》の言い付けを聞くのは当然」と言った。

 周辺事態法案は、平和と安全のためだ、後方地域支援だ、身体防護のためやむを得ない武器使用だ、などと言い立てる。しかし、その基礎となる日米安保・新ガイドライン体制とは、右の記事にあるような日米両国軍の間での非常にナマナマしい、具体的な共同・協力関係なのだ。周辺事態法案の曖昧模糊とした文言から結果してくるのは、《兄貴分》たる米軍の軍事作戦への自衛隊=日本軍の具体的な協力に他ならないだろう。
 もちろん、この周辺事態法案では地方自治体や民間の協力が明記されていること、一連の「事態」に関わる意思決定が国会に対しては「報告」だけでよしとされていること、なども決定的な問題としてある。政府(その実体は米国主導の共同作戦司令部)の名の下で、私たちの社会全体が戦争に向けて組織化・動員されてゆくのだ。

 もうひとつ重要だと考えるのは、この新ガイドライン・有事立法策動が持つ「総合安全保障・危機管理」という側面だ。この四月に発行された『防衛年鑑』(一九九八年版、防衛年鑑刊行会編集部・編著)の第一特集は「新・日米防衛協力指針の考察」。
 そして、この論文の全体のキー・ワードは「新たな安全保障環境」だ。新ガイドラインは、冷戦終結後という「新たな安全保障環境における多様な危機に対応する日米協力のための指針として、旧指針にはない新たな項目を含む総合的な内容となっている」(二七頁)というのが全体の基調となっている。また、「見直し作業の開始にあたっては……『危機発生前から危機終了後の全段階を通じて』有効な対処が可能となるような、いわば包括的かつ能動的な努力の重要性が意識されていた」(一六頁)という。「情勢の悪化から有事にいたる過程を『一本道』として見るのではなく、危機管理の問題として柔軟に対応することの必要性を踏まえ……」(三三頁)といった記述もある。
 五月に「インドネシア情勢の悪化を受けて」自衛隊機が邦人救出の準備を理由として派遣された際、自衛隊の船舶(軍艦)を邦人救出に使えるようにするとの自衛隊法「改正」案を(周辺事態法案を含む)一連の有事関連法案の中で先行審議・成立を目指すべきとの主張があった。これなどは明らかに、こうした認識に沿ったものだと考える。新ガイドラインと一連の有事法案は、総合安全保障や危機管理といった包括的な国家戦略の中に位置付けられている(位置付けようとしている)のだ。
 こうした側面を踏まえた上で、しかし、この「新たな安全保障」戦略の基盤にあるのは剥き出しの軍事力だ。そもそも、この論文が主張する日本の安全保障戦略とは、「冷戦後の安全保障の重心が地域安定にシフト」しても「米国の(軍事的)プレゼンスは依然として有効であり続ける」ことを「当然」(二三頁)とした上に成り立っているのだ。
 また、新ガイドラインの共同作戦計画について触れた部分には、「緊急時におけるシビリアン・コントロール確保の観点から定められるいわゆるROE(rules of engagement )に関する基本的考え方の検討も含まれる」(四三頁)とある。不思議なことに、四〇頁に渡る同論文の中で、このROEにのみ日本語の訳語が付けられていない。ROEとは「交戦規定」のことだ。「シビリアン・コントロール云々」という持って回った表現は完全なまやかしであり、わざと訳語を付けなかったのだろうとしか思えない。
 さらに「具体的で実効性のある政府レベルの危機対応策」の整備は「専ら国家的利益のみに関する事柄であるが故に『行財政改革』以上の指導力が必要となる作業」(四四頁)だと、論文は主張している。そして最後は、「努力の中心に日米の国益の一致を踏まえた日米共同の取り組みを据えたところ」に新ガイドラインの「歴史的意義を見いだすことができる」(四七頁)とまとめている。

 冗談ではない。私たちは、米軍の強大な軍事力を前提とした上での、日本の「国家的利益のみに関する」安全保障や有事法制などまっぴらだ。そして、そうした体制作りのための強力な国家的「指導力」の実現も決して認めない。日米安保・新ガイドライン・有事立法という日本国家の安全保障戦略の総体を、私たちは絶対に許してはならない。(七月四日 記)
(『派兵check』No.70、1998.7.15)

















《世界の運動情報》

フランスの移民問題の現在

コリン・コバヤシ●美術・社会批評/美術家

 サッカーのワールドカップの大喧騒の裏で、移民問題が再熱している。左翼連合政権による新たな移民政策は、選挙前の「パスクワ・ドブレ移民法を廃棄する」という公約にもかかわらず、廃棄せずに単に一部改正するレベルにとどまった。このことは、パスクワ・ドブレ移民法の持つ象徴的な意味を解さず、現にますます極右政党「国民戦線」の政治思想が一般化の傾向を示している中で、世論を気にした現政権の妥協的性格を如実に示している。サン・パピエ問題は極右の擡頭と機を一にしている。

 改正シュヴェヌマン法は7万人の移民を合法化したが、相変わらず、8万人近い非合法な移民を存在させ続けている。何の証明書も持たない人々−サン・パピエ −と呼ばれる移民達の一部はバティニョルの教会でハンガー・ストライキに入り、24日以上、続行されている。彼らに付き添ってストライキを敢行している一人のフランス人文化人類学者エマヌエル・テレイもいる。

 政権担当一周年を迎え、リオネル・ジョスパン首相が7月7日、声明を発表した。その中で、サン・パピエ問題にも触れ、法治国家を強調し、現在の政治と法はすべての移民にたいして滞在許可を出すことはできないと、国家の裁定権の優位を述べたことに対し、ナンテール・パリ第10大学哲学教授エチエンヌ・バリバールは、7月9日付けのル・モンド紙上で首相に反論した。バリバールの文は的確に根本問題を言い当てているので、掲載された「サン・パピエ : リオネル・ジョスパンへの回答」と題した寄稿文をここに全訳する。

サン・パピエ/リオネル・ジョスパンへの回答

エチエンヌ・バリバール

 番組「ヨーロッパ・アンのプレス・クラブ」放送中に行った7月5日の首相表明は、移民たちのグループ「第三集団」[アジア系とアラブ系が中心になっている移民の団体]のハンガー・ストライキをストップさせるには至らなかったばかりか、逆に、始まっていた内務省との交渉に支障をきたした。このような悲惨な状況こそが、私たちをして、その声明内容を精緻に検証するきっかけとなった。
 その声明の形式は、傾聴させ、理解させることを意味する限りにおいて、重要でないわけがない。リオネル・ジョスパンは、国家は国家であり、法律は法律であり、通達は通達であるとながながと繰り返した。すなわち、首相は、対話よりは優越性のほうに腰を落ち着けたのだ。だからといって、首相は、最近サン・パピエのためにアピールを発した発起人たちの表現を、差出人に送り返すために、その表現を引きあいに出さないわけではなかった。権力に皮肉を加えたいということなのか。
 「善意に則り、そのようにしてしかるべき人たちを合法化した」と語るなら、もう一度大目に見てもいい。というのも、善意なるものは、解釈の違いにすぎないからだ。それが、もっと我慢しがたくなるのは、サン・パピエ達を支援している活動家や市民達、特に名指されたエマヌエル・テレイにたいして、ハンガー・ストライキという遊びを止めるように要請しつつ、彼らが「これらの人々の健康と戯れている」と形容するときだ。あるいは、彼らを非合法の仕事に雇用する連中を絶滅させるためにサン・パピエたちを大量に合法化すると言っておきながら、支援活動がこの「犯罪的」組織にテコ入れをするのに貢献しているなどと言われるときである。というのも、政府は私たちにもっとほかのやり方で政権を担当したいと表明しているからで、私たちは、不器用でいいから、そのかわり仲介者をもっと重視しろと頼んでいるのである。
 よりデリケートな問題は、おそらく、ジョスパン氏によって提議された国家主権の問題だろう。それは、外国人の取り扱いにおいて、国家が唯一、その問題に対する権能を持っており、当事者は対象の位置にしかいないので、すべての裁定や彼らと政府の間の仲介からは当事者は除外される、という考え方を根拠にしていることである。そしてそれはまた、ジョスパン氏をして、「7万人の人たちが権利を得た」という部分的合法化を正当化することを可能にしているのである。まるであたかも、今までこれらの人々がそれらの権利を持っていなかったかのように、まるで、個々人の権利は国によって与えられるかのように。

 ここにこそ、「非合法」といわれる移民の弾圧政策が実行されて以来の根本的な問題がある。政府の実践によっても、世論の中でも、一朝一夕には解決しがたい問題だろう。私たちは、憲法の民主的解釈は、これとは反対の方向に向かうことを、私たちのために支持する。すなわち、留意すると否とにかかわらず、フランスの領土内に居る、フランス社会に統合され、国際法によって−とりわけ追放の多少とも隠された形式に対し−保護されている外国人は、扱いの平等性を要求する権利と、しばしば対象となる行政事務の正常性について、異議申し立てをし、憲法法規に記載された仲介や公的裁定の様態を請求する権利を有しているのだ。
 この権利は不可侵である。確かにフランス領土に住んでいる外国人に与える権利は、政治的な全市民権に比べようもないものだが、この権利は、彼らの存在条件に対する差別的な定義に対立するものなのだ。こうした権利は、従って「市民の権利」や「人権」あるいは、たとえば−ここでは簡単に引きあいに出される−追放処分に関する「人道的扱い」などの区別を乗り越えてゆくものである。その権利は、すべての行政客体にとって、その立場を本当に尊重させ、政治権力に対して法的に対立する可能性があることを意味するのだ。ましてや、その権利は、友人と敵、あるいは権利を持った国民と国家の庇護なしには権利を持たない外国人、というアンチテーゼに基づいた政府のやり方を排除するだろう。常に同じ障害に出会った以前の危機の後にやって来た現在の危機が、移民だけに関するわけではない法治国家の様態に関する認識を前進させることになるとしたら、いいことにちがいない。ある意味では、出来事の中で性の平等を認識させるよりは、まだ容易であるし、市民性にとっても根本的な問題なのである。一つの民主国家とは、国家が主権者を自任するときでさえ、権力が判事でも訴訟の当事者でもないところの国家のことなのである。
 かくして、民主国家は、そこに入り込みうる君主的権力主義の残骸から、常に遠く隔たっている。
 独立した大物たちの要請をうけて、声明を出した首相は、定義すべき枠組みにおいて、行政の公正さを疑問視するのは侮辱的だ、と反論した。この表明は少々驚くべきことである。というのも、もし、行政の作業が非の打ち所がないというのならば、その基準と適用に関する異議申し立ては起こり得ようもないからである。政府は問題を再検討する必要もなく、政府が作った、ないしは作るのを放任してきた問題をアド・ホックな形で解決する必要もなかったのである(1)。
 しかし、これがすべてではない。ここで問題になっている行政は、一つの歴史を持っている。この歴史から、この行政はヴィザや亡命、滞在許可の申請者である外国人に対する扱いの習慣を獲得しているのである。ある重要な部分で、行政は、常に、彼らに対して、もし彼らがヨソ者でない場合は、しつこい嘆願者か、騒乱を引き起こす者のイメージしか見い出さないのである。このような習慣こそが、ときには法を楯にしつつ、ときにはその業務範疇を逸脱しつつ、侮辱的、差別的、弾圧的なのである。こうした習慣が、法治国家の真ん中に、不法の地を設置しているのだ。
 残念ながら、今、終了したばかりの今年一年[フランスは年度が9月から翌年6月まで]をみれば、何にもまして、行政を再教育し改革する強い政治的意志を欠いたまま、行政がもっとも高い地位にいる者まで含めて責任者達を養成し、彼らに絶対的な良識をたたき込ませようとしていることが明らかである。あり得る不公正に対して上訴できる機関に、当事者すべてから了承されたオブザーバーや仲介者たちを包摂することは、それゆえ、侮辱的なことではない。これは最低限の保証処置であり、広い意味での「警察」への最初の改革である。これは左翼政権の任務としては、非難されるようなことではないのだ。
 忘れもしない、上訴について語ったのは首相である。だから、私たちは首相に以下のように申し上げたいのである。「あなたは、扉をさも開けるような振りをしておきながらバタンと閉じるとはできない相談です。あなたは、例えば、家族手当ての場合において「普遍性へと戻ること」は正当であると、そして、外国人の滞在ケースについて、家族と独身者の平等性へと戻ることは−そう主張した私たちの考えは「アマルガム」だろうか?(2)−考えられないだろうとしか、主張することはできないはずです。」「政府の毅然とした態度」とあなたは申しましたが、それは自閉症のことではないはずです。それは対話を拒否することではないはずです。それは、聞かないことではないはずです。信念とは、決定したことを決して変えない、ということでは必ずしもないはずです。」
 「ある人々にとって価値あることは、すべての人にとっても価値を持ちえるはずで、たとえ、サン・パピエのもっとも貧困な人々にとっても同様であるはずです。彼らもまた自分たちの状況を提示する権利があり、自分たちの運命について議論する権利はあるのです。したがって、こうしたことのために、彼らにとって彼ら自身が危機に陥るかもしれない事態において、あなたは責任は全くないというのでしょうか。あなたはそれでもまだ、それは脅かしだの、人心操作だのとおっしゃろうというのでしょうか。」
 彼らを支援し、安否を気づかう私たちは、あなたの声明を聞いた後で、再度申し上げたい。「真の、対話と上訴と裁定の道を開いて頂きたい。最終的には、あなたの民主的権威は補強されることになるはずです。」と。

注(1)政府は、宙に浮いたままの移民たちがまだ大量にいる状況の中で、7月2日、コンセイユ・デタの名誉会長ジャン・ミッシェル・ジャラベール氏を座長とする委員会を設置し、サン・パピエたちの書類を再度検討することにしたと発表した。これは政治的には、現在続行中のサン・パピエたちの異議申し立て運動をなだめようとする意図を持ち、また他方、全国人権審議会からの政府の処置にたいする批判をかわそうとするものである。ましてや、進行している行政事務手続を問題にするわけでもなく、このような委員会が現状の解決に向かうとは考えにくい。

(2)バリバール、デリダ、ブルデューらの知識人支援グループは、移民達の処置において、家族を優先し独身者を差別する処理方法を批判し、両者を平等に扱うように請求した。また家族手当てについては、ジョスパン首相が、6月6日の声明で、あらゆる人すべてに適用したいと語ったことによる。













チョー悪徳有名人・天皇を
描き続けるパロディーの力持ち

 ―「本郷村の画伯」 貝原浩―

 この人は、これまでに一体どれだけの数の人物を、人間の顔を描いてきているのだろうか。このような疑問を抱かせる絵描きがいる。「本郷村の画伯」と呼ばれる貝原浩だ。
 有名・無名の実在する(した)人物を、途方もなく描き続けてきている絵描きといってもいいだろう。私の失礼な推測で断言すれば、当の本人だってどれだけ描いてきたのかなど、把握できていないに違いない。実際のところ、そんなこと興味もないのかもしれない。この際きちんと数えて教えてあげたいところだが、そんな大変な(しかも、ちっとも喜んでもらえそうにない)仕事はやる気力も時間もないので、このコーナーでは省略。ちなみに無名の人物といえば、本当に無名の人物で、たとえば私の似顔絵などだ。これまでに2〜3回、私がかかわるグループが主催した集まりで「貝原浩の似顔絵コーナー」なるアトラクションをお願いしたことがあった。そこでは実に私を含む無名の輩が列をなし、貝原画伯に似顔絵を描いてもらったりしたのだ。そんなことを考えれば、彼が描いた人物を数え上げようなどというのは、しょせん不可能な無謀なことであるのだった。
 ところで、無名の人物像とはいわゆる似顔絵以外の何物でもないのだが、いったん彼が描くぞと決めて描いた人物は、おおむね歴史を動かした悪徳有名人で、その人物は例外なくテーマを背負わされている(そうでない場合もあるのだが)。そしてこれも例外なく、当たり前の話ではあるが、そのように描かれた人物にとってはハタ迷惑なテーマを背負わされているのだ。彼が描き出す人物の仕草と、ちょっとした小道具や短いセリフで、たいがいのストーリーが読めるようになっているのだからおもしろい。彼は小気味よく茶化し、揶揄し、批判する。絵のうまさに輪をかけた彼のそのワザが、間違いなく見るものを唸らせ、笑わせ、当惑(?)させるのだ。
 彼は政治家から文学者、軍人、芸能人と、必要とあらば誰だって描いている(ように思える)。そして、このどれにも属さない人物を、間違いなく彼は一番たくさん描いているのだ。それは何者かと問えば、日本屈指の、一番長期にわたって悪徳野郎として居座る、天皇とそのファミリーだ。天皇モノを描いて、彼の右に出る人物が果たしているのだろうか。作品の量はダントツ、天皇(家)を揶揄・「侮辱」した回数もダントツ間違いなし。また、背中だけで、頭の格好だけで、体の一部だけで「こいつだ」と分からせ、絵の一部のように書かれた短い「おことば」で、さらにその人物特定の確信と笑いを引き出す、こんな作品にはお目にかかったことがない。おそらく天皇をこれだけ観察し尽くした絵描きはいまい、と確信してしまうのだ。
 battlefieldから、とりわけ反天皇制を掲げたところから送り出されるメディアに、ある程度目を通している人であれば、彼のイラストを少なからず目にしていることと思う。また、彼の作品であることを認識して見ている人も少なくないはずだ。そういってのけてもヒンシュクをかわずに済むほど、彼の作品は運動メディアに頻繁に登場している。
 私の活動の中心となっている反天皇制運動連絡会(反天連)のニュースがまずもってそうだ。現在5回くらい紙面変更を行っているが、おそらく彼にはすべてのバージョンに関わってもらっている。同様に、反天連が関わっているすべてといってもいいくらいの運動メディアは、こんなことでいいのだろうかと、やや不安を抱かずに入られないほど彼の作品に頼っている。もちろん、このような話は彼とコンタクトを取れる関係にある、しかも首都圏を中心とする運動メディアがそうである、との限定つきだが。
 彼が「本郷村の画伯」と呼ばれるのには、それなりの根拠がある。彼は、「本郷村」=本郷に集まっている出版社が出す本の装丁も数多く手がけているのだった。その点数も計り知れない。装丁だけではない。イラスト半分、文字半分の単行本だってたくさん出ている。『For Beginners シリーズ』(現代書館)、『戦後50年 100の肖像』(インパクト出版会)などがそうだ。これだけで100人以上の人物を描いていることになる。そんなこんなで、「本郷村」の住人が愛情を込めて(?)彼を呼ぶ時の、彼の別名なのだ。
 運動メディアと彼との出会いも、やはり「本郷村」だったという。本郷界隈、あるいは早稲田界隈で運動メディアを出し続け、編集者、活動家、批評家と、古本やを全部やっている、そのことだけを聞かされると得体の知れない怪物のようなタフガイがいる。その天野恵一というタフガイと、本郷のある一出版社で出会ったことが、「もしかすると、天皇のこと本当に愛してるんじゃないのかしら」と疑われるほどに天皇を描き続け、観察し続けることになったキッカケだったとか。天野氏が当時出していた『批評精神』の表紙を飾ることからかれこれ10年以上。これこそを偶然のような必然というのではなかろうか。
 ところで、最近私の周りで次のようなことを文字にした人がいた。「迂闊ながら、私は去年の暮れまで、貝原さんの描く絵はすべてこのようなあまり品の良くないものばかりなのかと思っていた」。そして、実は「とても静かで奥深い」「普通の(?)」絵も描く絵描きであることを知ったと。フムフム、実際のところ、これが画伯の面白いところでもあるのだ。
 さらに、この発言をした女性は「その彼が『天皇(制)』をパロディ化すると、どうしてこのようなクセのある絵を描くのか……いつか聞いてみたいと思っている」などともつぶやくように書いている。これに近い質問をしてみた。これに対して画伯曰く。「これで気分のバランスがとれている」と。「品の良い」作品は、彼の個展や絵はがきだけで見ることができる。もちろん購入しちゃえば毎日自室で観賞することもできるのだが。彼は、彼の二つの画風について、どれも彼にとって必要なものであるという。そして、これが仕事(お金)になればね……と。そう言いつつ、彼はドンドンお金にならない絵を描き続ける。気分のバランスと経済的なバランスの、そのバランスは一体どうなっているのだろうか。
 運動現場では彼のイラストを消耗品のようにドンドコ消費している。描いてもらう絵はほとんどナマモノで、常に次なる作品を待っている状態なのだ。そのことに関して彼は全く意を介さず、「むしろ時局にあった絵をドンドン描かなきゃ」という。そして実際、「消費」だの「消耗品」だのの表現が、ともすると釣り合ってしまうくらい、彼の絵の「生産性」は尋常でない高さなのだ。その描いている現場に居合わせたものを「アッ」といわせるほどのスピードで、サラサラサラサラと描いてしまう。イラスト・漫画における自他作品への彼の評価の基準は「洒脱」さなのだそうだ。これも彼の作品に接していれば、かなり納得のいく話だ。そのような彼の絵の経歴は……、彼の話によると「一才くらい」(?)の時から。その「ウソさ」さえ、リアリティを持たせるのだから恐ろしい。それから、彼の文字。どのように見ても絵の一部として作品を構成している彼の文字は、とてつもなく美しい。実は彼は書道では段を持っているという人だったのだ。絵のように文字を描いている人、とずっと考えていたがなるほど、納得。
 ところで、「二人の画家」が共存するように思える画伯は、そのことについて「気分のバランス」と説明した。そして「品のいい方」と外から評価されがちな、画廊で観る方の絵について「デッサンして描く、被写体を写し取るにふさわしい自分の力を感じたとき快感を得る」のだと。これがバランスの片方になるのであれば、私たちのメディアに力をそえてくれる、天皇ものを筆頭とする漫画やイラストものは、気分はマイナスに傾くのか。そうではないらしい。「洒脱さ」において、彼自身が出来上がった作品に満足したときなど、「ハマッタ」という快感に満たされるという。満足のレベルではなく、満足の次元における「バランス」ということか。彼にとってはどちらも必要なもの、という彼の言葉が思い出される。
 天皇を揶揄・批判することで、そしてその表現の仕方によって、「差別・侮辱」的であると批判される経験は、多くはないが反天皇制運動にはつきものだ。「天皇をできるだけおとしめてやろう、大真面目にやっていることを笑い飛ばし、おちょくってやろう」。このパロディの力と宿命のようにくっ付きあっているかのように思わされる「差別問題」については、その運動の関係者すべては、個別の意見なり見解をもってはいるだろう。が、運動の中でのそのような目的意識的な討論自体は、私たちにとってそれが必要なシチュエーションにおかれない限り、なかなかやれないのが実状だ。
 そういう意味では、パロディーの力を必要とする私たちにとって、その力を存分に発揮してくれる貝原画伯の協力を得ることは、運動に力をもらい、そして、その「宿命的」課題にも遭遇するチャンスを常にもっているということになる。普段とは全然違うところの脳ミソを使い、あまり考えない部分を検討するといういい経験がおまけのようについてくるのだ。
 画伯はまたしても、『週刊金曜日』の不掲載問題というものを引っぱり出した。この問題も、パロディーと差別の関係問題の延長線上にある。ただ決定的に問題なのは、運動の側にたつメディアが、天皇批判のあり方自体をキチンと納得のいくような内容のある議論も討論も、説明もなく、自主規制に走っていく。しかも、それを自己正当化していくという、かなりヤバイ事態に入っていることである。これらの詳細は、"aala"にも記事として入っているし、反天連発行のニュースやホームページで読むことができるので、ぜひ読んでほしい。
 最後に、予定は未定であるが、私の盗み聞きした話によると、このパロディーと「差別問題」について、これまでの経験をこれからに活かすという意味も込め、少しまとめようというような話が、タフガイ天野・貝原間でかわされていた。これは乞うご期待だ。

 














《書評》

『天皇と接吻――アメリカ占領下の日本映画検閲』
(平野共余子 草思社刊 二九〇〇円+税)

天野恵一●反天皇制運動連絡会・「

 「天皇と接吻」、それは占領(米)軍が映画検閲において、もっとも神経を使った二つのテーマ(シーン)であった。そこから、タイトルがつけられている。キス・シーンは、米国側によって民主化のシンボルとして奨励されたのだ。
 私は、接吻と野球がアメリカ・デモクラシーの理念を担ったものとして奨励されたことを論じている「奨励された題材」(第四部)を読んでいて、小学生の時代に、学校が子供だけで映画を見に行くことを禁じており、洋画を見ることは大人とともにでも、禁じていたことを思いだした。地方の教師は、その理由を、キチンと私たち子供に説明しなかったが、子供たちの間では、キス・シーンがあるからであると勝手に了解していたのだ。私のいた地方では、洋画と日活映画の二本だて上映のスタイルの劇場であった。自動的に日活映画も見てはいけないものとなってしまっていた。日活もキス・シーンがあるのだろ、私は、そう決めこんでいた。だから、子供の私にとって洋画と日活は、一日も早く、なんとか見に行かなければならない映画だったのである。
 接吻は奨励であったが、天皇(制)についてはどうだったのか。この点については「日本の悲劇」(亀井文夫監督)の上映禁止になったケースを素材に、こまかく分析されている(第三部「天皇の描き方」)。
 この一九四七年に製作された四五分のニュース映画は、天皇の戦争責任逃れという問題を正面から扱っており、東京裁判からモレた人々を、正当にも戦犯として告発する内容を持っていた。許可されつくられた作品が上映禁止になったのは、吉田茂が見て激怒し、参謀第二部(民間諜報課)長のチャールズ・ウィロビー少将とともにマッカーサーに訴えたという事実がここで語られている。象徴(「人間」)天皇へのあたりまえの批判は許さない。これが米国の「正義と民主主義」であったのだ。アメリカにとりいって延命した吉田らのズルがしこさ(彼の怒りは自己保身のための怒りであるにすぎない)と、戦後の天皇制は、アメリカのリーダーにガードされ、彼等のイメージにそってつくりあげられたものであること、この点が具体的によく読める。
 本書は、東京で研究をスタートさせアメリカで研究を持続し、生活しているという著者が、米国の資料をフルに活用しつつ、多くの映画関係者の聞き書きをもふまえた、非常に緻密な占領期のアメリカの日本映画検閲の研究書である。ここまで、こまかく調べて分析した書物は、おそらく他にはあるまい。
 どういうものを奨励し、何をどのように禁止したか(第二部「禁止された題材」に示されているのは「軍国主義と占領軍批判」、原爆被害、「封建主義」などである)、個々の作品の検閲プロセスにそくして具体的に分析されているのである(大きく扱われている映画は「日本の悲劇」以外は「暁の脱走」「わが青春に悔なし」である)。
 この、占領軍の直接の弾圧という事態まで生み出した「東宝争議」そして、レッド・パージ(冷戦構造の成立)の時代までをたどっている本書は、米国の映画の検閲が、どれだけこまかく執拗なものであったかを緻密に明らかにしている力作であることはまちがいない。
 ただ、いくつかの事実誤認ともいうべき発言は気になった。例えば、「紀元節」の復活が一九六九年だったり、敗戦直後の天皇の地方巡幸が占領軍の「指令」で始まったとされていたり、天皇とマッカーサーの第一回会見で、ヒロヒトが「自分はどうなってもいい」と発言したという、まったく信用できないマッカーサーの回想を、そのまま事実のように書いたり、という点である。
 映画検閲をめぐる検証の作業の厳密さと比較して、残念なあらっぽさである。
 そうしたこまかい点はともかく、著者の検閲を通して「表現に規制を加えた」けれども、「封建主義・軍国主義にしばられている日本人を解放した」という基本的なスタンスの方は大いに気になる。私は、江藤淳のように、日本の民衆が日本の民主化を望んだ点を無視することに反対という著者の主張は、了解する。しかし、民間情報教育局(CIE)と民間検閲支隊(CDC)による二重の検閲制度によって、アメリカは自国の国家利害にそって、戦後日本国家を再編したのである。アメリカ国家(軍国)主義の利害を、普遍的な正義のごとく受けとらせるために、検閲していること自体を民衆に隠したまま、コントロールしたのだ(原爆被害の隠蔽を見よ!)。民主主義を力で強制すること自体の背理に、著者が共感をよせているニューディーラー(理想主義者)たちも、それほど自覚的ではなかった。だから占領(検閲)が本当のところ、民衆意識に何をもたらしたのか、この点の批判的分析が、占領政策(アメリカの正義)の批判とともに大切な作業であると、私は考える。
 ただ、こうした不満はそれとして、そうした作業のために不可欠な書物として、本書があることも、また明らかなのである。
(『反天皇制運動じゃ〜なる』12号、1998.7.7号)














《反天論議その2の4》

「日和見」しつつ反天論議ができればいい
反天論議に加わって

池田祥子●短大教員

 のっぺりとしたヒロヒトの顔と少し人の良さそうな(?)アキヒトの顔、お馴染み貝原浩の反天戯評の絵。迂闊ながら、私は去年の暮れまで、貝原さんの描く絵はすべてこのようなあまり品の良くないものばかりなのかと思っていた。

 ところが、彼の普通の(?)デッサンや絵を見せてもらう機会があって(しかも、たまたま昨日は彼の個展の初日だった)、その構成といい色使いといい、とても静かで奥深いものだと遅ればせながらに知りえたところだ。その彼が「天皇(制)」をパロディ化すると、どうしてこのようなクセのある絵を描くのか。“画家は語らず描くだけ”かもしれないが、いつか聞いてみたいと思っている。あるいは彼の「絵と思想」を誰か分析してくれないかなぁ……。
 ところで、貝原浩はこのような戯評画をエンエンと描いているわけだから、彼にイラストを依頼した『週刊金曜日』は、いったいどこで見込み違いをしたのだろう。この一枚だけが特別に品が悪いと判断されたのだろうか。それは何故だろうか。
 それにしても、このイラスト・ボツ事件が「非生産的」になってしまったのは、杉村昌昭さんも指摘の通り、ひとえに本多勝一氏の弁解のための理由づけにあるだろう。ここは本当に「怖いからボツにします」とだけ言えば済んだだろうに……。どんな些細な事柄でも、いつズドンとやられるか分からない。許しがたい事態だけれど、怖いのは事実だ。だからいのちに関わる危険を察知して、それぞれの状況で「日和を見る=ヒヨル」ことは、当然だと思う。 
 「私はヒヨッテ、今はじっとしています」だの、「私はヒヨッテ、逃げます」だのが、正直に言えて、それが「臆病者」「日和見主義者」「裏切り者」などと非難されたり糾弾されたりしない関係。それをつくっていける折角のチャンスだったのに、……と、もともと弱虫の私などは残念に思う。
 いま一つ、さまざまなズレや違いが生じたときの対応の仕方にとても違和感が残っている。本多氏は、ボツにしてしまった後で、その説明(言い訳?)を相手方に送り、その最後に「もしさらにご説明をお望みでしたらば、直接お会いしてご理解をお願いするのもやぶさかではございません」と記している。勝手に投稿してきた作品ならいざ知らず、依頼したものをボツにするのは、またボツにされるのも一大事なのではないのか。私が編集長だったら(?)、ボツにするかしないか揉めている最中に、「直接お会いできないか」と打診してみるだろうな。そして、何故これは困るのか、直接に伝えるだろう。天野氏の文章を読まない人にも誤解されないように、「言葉」は書き替えられるのか、この裸のからだはいっそのこと、貴乃花(曙?)のからだを借りるわけにはいかないか、老いの印である老斑(シミ)は一体ブジョクになるのか、それとも自然な描写なのか、北原恵さん言うところの「身体論」や公人のプライバシー等々をめぐって、かなり本質的な議論が展開できたのではないだろうか。
 もっとも、一度お会いしただけで、すっきりお互いが了解しあえるとは思えないけれど、今回のような切り捨て御免!の後味の悪さよりよほど潔いに違いない。でもヒョットしたら、週刊誌の発行はこんな悠長なこと言ってられないのかもしれないし、「カンヅメ執筆」するほどの原稿抱えて超多忙なのかもしれないけれど……。
 最後にこれがキッカケになって、肝心の天野恵一さんの論文をめぐる議論がもっと展開されるといい。ヒットラーやファッシズム、軍旗などの登場による「古くささ」(杉村)は、あの天野論文と運動の一つのスタイルなのだから。
(『反天皇制運動じゃ〜なる』12号、1998.7.7号)