名言
                 
インディアンの教え 子育ての参考
  • 批判ばかり受けて育った子は、批判ばかりします。
  • 敵意に満ちたなかで育った子は、誰とでも戦います。
  • ひやかしを受けて育った子は、はにかみやになります。
  • ねたみを受けて育った子は、いつも悪いことをしているような気持ちをもちます。
  • 心が寛大な人の中で育った子は、我慢強くなります。
  • 励ましを受けて育った子は、自信を持ちます。
  • 誉められる中で育った子は、いつも感謝することを知ります。
  • 公明正大の中で育った子は、正義感を持ちます。
  • 思いやりのある中で育った子は、信頼を持ちます。
  • 人に誉められる中で育った子は、自分を大切にします。
  • 仲間の愛の中で育った子は、世界の愛を見つけます。
       <2003年9月発刊、富田康裕氏著 『セピア色の鎌倉 −トミタクンの思い出の記ー』より> 
                                    *富田氏は次男の親友「トミちゃん」の父君です。
=急告= 富田康裕氏は2006年4月13日に逝去されました。
   
    
  子は親の鏡 
     けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる

子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる

親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる

叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる

広い心で接すれば、キレる子にはならない

誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ

認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる

見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ

親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る

子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ

守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ

和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだとおもえるようになる
   
Children Learn What They Live - adapted from Dorothy L. Nolte
  • If children live with conditional Love, they learn to distrust 

  • If children live with deceit, they learn to be false 

  • If children live with criticism, they learn to condemn 

  • If children live with hostility, they learn to fight 

  • If children live with ridicule, they learn to be shy

  • If children live with neglect, they learn to abandon themselves 

  • If children live with inconsistency, they learn to be furtive 

  • If children live with violence, they learn to be numb or scared 

  • If children live with shame, they learn to feel guilty 

  • If children live with perfectionism, they learn to be inadequate

  • If children live with worry, they learn to feel anxious 

  • If children live with unconditional love, they learn to love back 

  • If children live with tolerance, they learn to be patient 

  • If children live with encouragement, they learn confidence 

  • If children live with praise, they learn to appreciate

  • If children live with fairness, they learn justice 

  • If children live with security, they learn to have faith 

  • If children live with genuine approval, they learn to like themselves 

  • If children live with acceptance and friendship, they learn to give and receive closeness, care, and love.

   Which of these did you grow up with? How did it feel, usually? Which of these are you consistently providing for the kids in your life? How do they feel?

   
  
某ホテルに飾っていた額
   
    
  新語・流行語大賞
    本年度(2003年度)の年間大賞は、元自民党幹事長 野中広務氏の『毒まんじゅう』、テツ and トモの『なんでだろう〜』・・・
このような流行語大賞の一覧サイトを見つけました。 → 新語・流行語大賞URL
   
         
老後を楽しむ                                    中野 孝次     (2003年1月19日 日経新聞)  
 
老年とはどうやら悪い年齢とは限らないようだぞ、もしかすると人生の一番いい時かもしれないぞ、とあるころからわたしは考えるようになった。老年にはむろん悪い面は多々ある。何よりもからだにガタがくる。目はは衰え、歯は抜け、記憶は悪くなり、歩行その他の身体能力は急速に劣化する。その面から見れば老年はたしかに悪い。歓迎すべからざる年齢と言うしかない。
が、それらすべてを補ってなお余りあるよい面が、老年にはあったのである。それは時問のすべてが自分のもので、何をしようがしまいが自分の自由だということだ。これほど恵まれた状況は人生にかつてなかった。十代はいやでも受験勉強に打ち込まねばならなかったし、社会に出てからは勤める組織に時問とエネルギーの大半を捧げねばならなかった。それが今や時間の全部が自分の自由になり自分のためだけ生きていいようになったのである。これほどの恵まれた時がまたとあろうか、とわたしはよろこびに酔い痴れた。
もっとも誰しもがわたしと同じように感じているわけでないことに、すぐ気付いたが。人によってはそれをよろこばず、自分を社会で必要とされなくなった無用者と感じて、虚脱感、無力感に陥る人もいたのだ。老年の受け取り方もさまざまだったのである。

だが、わたしはそれを完全なる解放と見倣し、これからは自分の心の充実のためだけに生きよう、と決意した。わたしが自主定年と称して勤めを辞めたのは五十五歳のとしだったが、わたしは時間の全部が自分の権能下にある状況を天の恵みと感じた。
そして次第に、今までは義理で出ていた冠婚葬察や、会合や、夜のパーティに出なくした。テレビも、その目で見るとまことにくだらなく見えたから、見なくなった。世間に属している時は情報は必要だったが、今は不要だから求めず、情報源は新聞だけにした。
そして時間のほとんどを読書と執筆と好きな碁に捧げだした。読書もハウツー物などはぜんぜん見ず、現代文学もほとんど読まず、読むのは次第に日本、古代中国、口ーマ、西欧の古典ばかりになっていった。それらにのみ限りない昂揚とよろこびを覚え、それを読むとき自分は本当に生きていると感じた。

自分の好きに生きることに徹底した果てに、夜は七時に寝て、朝は四時か五時に起きるのが習憤になった。わたしがそれを言うと大抵の人は呆れるが、それがわたしの自然に叶っているのだから変える必要もない。夕方は晩酌三合半を楽しんで、ことりと寝る。こういう規則正しい生活のせいか、からだに別段故障はなく、一九八三年以来わたしは西洋医者の世話になっていない。
わたしはそんなふうにして、来る日も来る日も同じような暮しをし、それを老年の恵みの日々と感じているのである。毎日同じで退屈ではないか、と訊ねる人には、いやわたしには心身永閑が一番願わしい状態なのです、と答えることにしている。
 
実際、冬の今ならその風邪も泣くよく晴れた日に、庭椅子に坐って椿や馬酔木の葉のキラキラ光るのを見、烏が辛夷の梢で囀るのを聞き、犬たちが陽だまりにながながと寝ている中にいれば、心は閑かに満ち足り、これ以外に何の求めることがあろうぞ、という気になる。そして近頃熱中して読んでいる唐代の禅僧の言葉に「日々是好日」とあったのはこれだな、と思う。年を取ると一年があっという問に過ぎてしまう、と老人はよく言う。これはわたしの実感でもある。本当に一年の過ぎるのが速い。だがわたしは『鈴木大拙全集』を何度も読み、それに導かれて唐代禅匠の語録『景徳伝灯録』とか『五灯会元』に親しむうち、暦や時計の時間によって人の生きている時を計るのは間違いだ、と思うようになった。

暦の時間だと、時間とは、永遠の過去から無限の未来に向って棒のように延びたものである。人はその棒の中の七十年か八十年を生きるに過ぎない。はかない、短い、という感じがすぐするが、それはそういう時間観念で時をはかるからだ、と唐の禅僧は言う。
われわれの生きているところをよく観よ、昨日は既に去って無く、未来は未だ来ずして無く、在るのは「今ココニ」という、永遠に直接した絶対的現在ではないか。 いま自分の生きている一日がすべてである。その時に徹底して生きよ。それ以外に人の生きる時はない、と彼らは異口同音に言っている。

わたしは老年になっての日々を重ねるうち、そういうふうに時間を観じるように自分を訓練し、今ではそれが完全にわたしの時間観になった。来る日ことに、その一日をまっさらな新しい日と感じ、それしか自分の生きる時空はないと意識する。そういう時間観になり切っているので、「日々是好日」はわたしの実感なのだ。だからわたしには、本当のところ、去年も来年もない。
つまり、老年ははそういう意味で、わたしにとって人生の最良の時なのである。冬の今は朝起きるとまず、庭で実ったスダチニ個をしぼってハチミツを加えたスダチ汁を飲む。それから陽の昇る七時ころまで読んだり書いたりして、七時に二匹の犬をつれて散歩に出る。丘に上ったあたりで日の出を迎えると、太陽の光がわたしと犬の胎内にまで透るような気がして、思わず柏手をうつ。
いつも同じことながら、これがわが生だと思う。
 
    中野孝次:作家、独文学者。1925年生まれ。東大卒。
     主な著書に「ブリューゲルへの旅」「麦熟るる日に」「ハラスのいた日々」
     「清貧の思想」など。翻訳も多い。


 
もし竹にふしがなかったら

(作者不明、2001年正月に友人よりメール転送を受けたもの)

もし、竹にふしがなかったら 、あんなに長く高く伸びることはできない。葉の重みに耐えられないだろうし、雪が降ったらいっぺんに割れてしまう. 大自然の知恵で、ふしがあるから長く伸びることが出来る。

 時の流れには、もともと区切りが無いが、それに節目を作ったと言うことは人間の驚くべき知恵である。
 大自然には昼と夜の区別しかなかったところに、日を決め、時間を決め、分、秒の単位を作り、年とか世紀を作っていった先人の叡智には敬服せざるを得ない。

 時の大きいほうのふしめの単位では千年紀が一番長い。今から千年前と言うと、清少納言が「枕草子」を著作した年である。仏教界も大荒れに荒れていて、あと52年したら、「末法」の時代になると大騒ぎした。

 釈迦の没年を紀元前949年として、それから千年を「正法」といい、教えも修行も正しく行われ、悟りも得られる時代であると言う。

 次の千年は「像法」といって、教えがあり、修行も行われるが、悟りの得られない時代になる。さらに次の千年、今から凡そ千年前になるが、「末法」の時代に入った。

 末法の時代には、釈迦の教えは残るが、正しく修行する人も、悟りを得る人もいなくなる。更に世の中には戦争が起こり、人々は争ってばかりいて、異変が生じる。これが一万年続くと言う時代区分である。

 こんなに長い時間単位で、世の中を眺めることがあまり無いから、どう考えて良いのか戸惑うが、千年紀のふしめにぶつかって、それ自体稀なるめぐり合わせであるが、日本の現代は、物があふれ、自由が氾濫し、すべてが緩みきっている。
竹の節のように、生活の締め直し、心の締め直しをしたらどうだろう。日本文化の長続きを願って.
日本の特徴は、いわば「おしんこ文化」 
同質社会といわれる日本の特徴は、いわば「おしんこ文化」だ。

1つの樽の中で重石の重みを受けながら長期間熟成され、やがて独特の香りと味をかもし出すまでじっと待つ。途中で重石の圧力に抵抗もせず、樽に閉じ込められている間は外の社会との関係を閉ざし、ひたすら樽の枠内で半ば強制的に1つの味作りに向けてじっと耐えているようでもある。

この「おしんこ」型に対して、欧米型は「サラダ文化」である。それぞれの素材が、その味わいをそのまま残しつつも、ドレッシングで全体の調和が取られるようなスタイルである。まさに、個人を尊重しつつチームの大切さが決め手となっているようにも見える。

閉鎖的な漬物製造プロセスと異なり、オープンな環境であるためフレキシブルに他の素材を追加、変更することも容易で、ドレッシングも自由に選択可能である。日本独特の製法で作られたおしんこは日本人の舌には絶妙な味として重宝がられても、グローバルにはなかなか通じない味となっている。

<山本 哲朗氏:朝日監査法人 KM推進室長/CKO>


日経新聞 一面下段の『春秋』より 
2007.06.15 「3人兄弟(姉妹)」

 「だんご3兄弟」の童謡がはやった1999年は、すでにかなりの少子化時代だった。タンゴ系のダッダッという威勢のよさがレトロな大家族を思わせた。その後、国民年金の「未納3兄弟」や「談合3兄弟」など3兄弟は悪い例ばかり。

▼久しぶりに明るい話題は亀田三兄弟ではない。週刊ゴルフダイジェスト誌によれば、女子のトッププロは「3人兄弟(姉妹)」という共通点があるという。昨年はベストテンのうち7人、今季は12試合中、優勝は9度を数えている。全美貞(韓国)、宮里藍、大山志保、横峯さくら、上田桃子らがその顔ぶれだ。

▼日本選手は沖縄、鹿児島など平均出生率が高い出身県であることも影響しているが、大山、宮里、横峯ら第三子であることも特徴だ。要領の良さ、奇抜な発想、目立ちたがり屋など、末っ子にありがちな性格が勝負師に向いていたのだろう。若いジュニア世代にも三兄弟の有望選手が控えており、頼もしい限りだ。

▼15歳で男子ツアーを制覇した「ハニカミ王子」の石川遼君も三兄弟で長男だ。弟、妹もゴルフセンスに定評があり、将来、三兄弟で活躍する可能性を秘めている。厚生労働省の発表では2006年は、景気回復で12年ぶりに第三子を産む女性が増えたことが特徴という。未来への明るい予兆と思いたいのだが。

2007.04.02 「ホウレンソウ」
「せつめいかい」
 「ホウレンソウ」は本当に有用なのか。といっても食べ物の話ではない。「報告・連絡・相談」の頭文字をとって報・連・相。今日1日、訓話や研修で「ホウレンソウ」の大切さを繰り返し聞かされる新社会人も多いかもしれない。

▼部下から必要なホウレンソウが来ない。そんな悩みを抱える管理職の話をよく聞く。この語呂合わせは旧山種証券の社長だった山崎富治氏が20年以上前に考案したとされる。報告は縦、連絡は横、相談は集団のコミュニケーションを指す。本来は風通しの良い組織づくりの大切さを説いたはずの言葉だった。

▼下から上へ、一方通行型のホウレンソウが求められる職場は危ういらしい。えてして叱責(しっせき)と無視ばかりの上司が多く若手がやる気をなくす。自分の意見を持たず応用力の乏しい社員が育つのも怖い。高収益で知られる岐阜県の電気設備大手、未来工業のように「現場が考えることが1番」とホウレンソウ不要を掲げた会社もあるほどだ。

▼「上司こそ部下へのホウレンソウを積極的に行い、範を示すべき」と指摘するのは人材育成コンサルタントの細川馨氏だ。部下から相談されたら「えんかい(援助と解説)」で応えたい。「せつめいかい(説教、命令、介入)」を受けた部下は二度と相談に来ないそうだ。どうかご注意を。
2007.01.20 「あゝ上野駅」

 集団就職で青森から上京してきた六子(むつこ)は、働き口の「鈴木オート」が大企業だと思い込んでいた。ところがそこは油まみれの町工場。がっかりする六子だが、善良な周りの人々に支えられ、六(ろく)ちゃんと呼ばれてけなげに生きてゆく――。

 評判をとった映画「ALWAYS 三丁目の夕日」は心温まる物語だ。現実には、15歳で親元を離れた少年少女たちは語り尽くせぬ辛酸をなめた。「他人の家にいる悲しさ。台所の裸電球の下で、すき間風に震えて冷や飯を口に運ぶのが常だった」。加瀬和俊著『集団就職の時代』はこんな手記を紹介している。

 歌手の井沢八郎さんが亡くなった。「あゝ上野駅」は1964年のヒット曲だ。当時、高校進学率は東京では8割を超えていたのに地方によっては5割ほど。今では想像できない格差があった。この歌が長く歌い継がれてきたのは、無念にも都会に投げ出された若者の孤独と希望を鮮やかに映していたからだろう。

 上野駅の広小路口には歌碑が立っている。就職列車で到着し、東京都の職員に率いられ改札を出る不安げな群像のレリーフが印象的だ。碑文はこう記している。「戦後、日本経済大繁栄の原動力となったのがこの集団就職者といっても過言ではない」。高度成長を支えた無数の「六ちゃん」がいたことを忘れまい。

2006.12.26 引退模様

 京都の天竜寺の塔頭(たっちゅう)、南芳院の住職を務めるヘンリ・ミトワさんはドイツ系米国人の父と日本人の母のあいだに横浜で生まれた。日米開戦直前の21歳の時、米国で音信を断った父を捜しに「氷川丸」で故郷を離れて長い旅が始まる。

▼米国では父親と再会を果たしたが、開戦で各地の日系人強制収容所を転々とする日々を送った。結婚と就職から発病など20年以上にわたる父の祖国の波乱の暮らしのなかで禅と出合い、帰国して得度した。山下公園に係留されている氷川丸には2つの「祖国」に引き裂かれた人生の記憶が深く刻み込まれている。

▼優美な姿が「北太平洋の女王」と呼ばれて俳優のチャップリンらも利用した。戦時中は南太平洋地域で海軍の病院船に転用され、戦後シアトル航路に復帰すると今度はフルブライト交換留学生を運ぶなど、揺れ動く日米関係のシンボルでもあった。観光施設として余生を送っていたこの船がきのうで営業を終えた。

▼今後の身の振り方は決まっていないが保存と公開を望む声が強い。「いつも横浜へ行くと自分の乗った時の船室を見て思い出にふけった。壊したりしないでほしいね」とミトワさんはいう。4歳のディープインパクトの見事な有終の美に続いて76歳の「女王」の退場。年末のさまざまな引退模様が心にしみる。

2005.09.14

11日の衆議院選挙を受けて
待宵(まつよい)

 小泉オペラの熱さめやらず、列島はやけつく残暑の中にある。思わぬ大敗に朝夕の風が身にしみる民主党は、17日に両院議員総会で、次の代表を選ぶ。17日は旧暦の8月14日、待宵(まつよい)と呼ばれる。名月十五夜の前夜、あすの満月を思いつつ、待つ宵である。

▼票差を拡大・強調して流れをつくるのが小選挙区制。歯切れのいい小泉首相に民意は大きく傾いたが、愚直に政策を訴えた岡田代表が集めた民意も決して少なくはない。晩唐の詩人杜牧にこんな一首がある。「勝敗は兵家、事、期せられず/羞(はじ)を包み恥を忍ぶこそ是(こ)れ男児/江東の子弟、才俊多し/捲土重来(けんどちょうらい)せば未(いま)だ知るべからざりしに」

▼漢の劉邦(りゅうほう)と戦って敗走した楚(そ)王項羽は、根拠地の江東を目前にした渡し場から、江東の人々に面目ないと引き返して戦い、討ち死にした。杜牧は、もし項羽が江東にいったん帰って再起を図っていたら、歴史はどうなったかわからないという。歴史に「れば」や「たら」は通用しないというが、民主党は敗因を冷静に厳しく見つめて、捲土重来を期してほしい。

▼熱気と風が人を動かす高揚から、月光と虫の音にもの思う静謐(せいひつ)へ、季節は変わろうとしている。待宵、十五夜、十六夜(いざよい)と続くこの週末からの3連休は、選挙の余韻をかみしめ、熱を冷ますお月見連休かもしれない。 

2005.01.01 富士山・不二山  縁起のいい初夢のことを「一富士、二鷹(たか)、三なすび」と呼ぶのは徳川家康の好物という説もあるが、凍(い)てついた正月のある日、澄んだ青空の彼方(かなた)に雪を頂く富士山の悠揚迫らぬ姿を見つけると結構なお年玉をもらったような気分になる。

▼「田子の浦ゆうち出て見ればま白にぞ富士の高嶺(たかね)に雪は降りける」という山部赤人の歌以来、日本人にとって富士山は霊力を備えた神秘の山であり、恋をうたうあこがれの山でもあった。化政時代に熱を帯びた富士信仰は江戸の街に小さな富士をかたどった富士塚をあちこちに生んで、名所になったともいわれる。

▼旧臘(きゅうろう)、東京国立近代美術館の所蔵展示で見た横山大観の「或(あ)る日の太平洋」はさかまく荒波を泳ぐ竜の向こうに富士山が輝く。「富士を描くことはそれを鏡にして自分を描くことだ」というのが持論だった画家は生涯で千点を超す富士の絵を遺(のこ)した。この作品は対日講和条約が成立した直後の晩年に描かれている。

▼戦後が「還暦」を迎える。敗戦で焼け野原になった東京の都心からあおいだ富士山は人々にどんな未来への心象を刻んだのか。東京オリンピックが開かれた日の富士山の輝きを思い出す世代もあろう。再生と発展と成熟の60年を見つめてきた「不二」の山に向かって平和で活力に満ちた「次の日本」を祈りたい。
2004.12.15 韓流 台風上陸が史上最多のうえ大地震もあった。「災」もやむを得まい。日本漢字能力検定協会が公募した恒例の「今年の漢字」。次点の「韓」は、やはりというか。日経MJの今年のヒット商品番付では「韓流」が、東の横綱を張っている。

▼韓国の新聞を、日本語のネット版で時々見る。「冬のソナタ」が火をつけた日本の韓流ブームは「ヨン様」騒動をはじめ詳しく、やや誇らしげに報道されている。そのお返しか、以前は警戒的だった日本文化への論調も好意的になってきた。文化に限れば最良の日韓関係に、時たま水を差すのが政治家の言動だろう。

▼経済は親密だが政治は疎遠な日中関係の「政冷経熱」になぞらえれば、日韓は「政冷文熱」か。その韓国で、気掛かりな「経冷」現象が起きている。アジア通貨危機から奇跡的に立ち直っていた経済の冷え込みだ。消費や投資など内需にとんと元気がない。予測では来年度の成長率は4%か、それ以下になるという。

▼「追いつけ追い越せ」の国にあるまじき低成長で、盧武鉉(ノムヒョン)政権の経済無策が批判されている。韓国経済を「炭鉱のカナリア」に例えた米国の著名エコノミストもいる。有毒ガス検知役の小鳥のように世界不況の早期警戒信号という。日本の景気指標にも変調が見えるが、経冷で韓流の「追っかけ」は有り難くない。
2004.10.28 命の貴さ ああよかった。救助隊員に救い出された小さな男の子がテレビに映った瞬間である。崩れた岩が重なる急斜面と土石につぶされた車を見るとよく4日間も生きていられたと思う。しっかりした姿にこちらが救われたような気持ちがした。

▼残る母親と女の子の救出が今か今かと待たれた。長男優太ちゃん(2)に続いて母親の皆川貴子さん(39)が車内から運び出されたのは2時間余り後である。長女真優ちゃん(3)の救助活動はさらに難航。残念ながら貴子さんは亡くなっていた。夫の学さん(37)をはじめご遺族の心中は察するに余りある。

▼見ていて、19年前の日本航空のジャンボ機墜落事故で4人の生存者が助け出された時と似た感動を覚えた。人間の生命力の強さへの驚きのようなものだ。今回も救助隊員にしがみつくようにして抱っこされた優太ちゃんに、いとおしさが自然にわいてきた。しかし一緒にいた母親は不条理にも突然命を奪われた。

▼新潟県中越地震では30人を超える人が亡くなっている。矛盾しているように聞こえるかもしれないが、命のはかなさも同時に思わずにはいられない。大きな岩が今にも崩れ落ちそうな現場で、余震が断続的に襲う中で働く救助隊員も命がけである。奇跡の生還と数々の死から、命の貴さを改めて思い知らされた。
2004.09.16 三公社五現業

煉瓦(れんが)造りの東京駅を出たすぐ右手に2日前、オフィス、ホテル、商業施設などからなる複合街区「丸の内オアゾ(OAZO)」が開業した。早速出かけ、吹き抜けの広い通路をそぞろ歩き、以前そこに建っていた陰気なビルを思い出した。

▼鉄道事故やストがあると、よく取材に駆けつけた国鉄本社である。思えば東京駅前の一等地の広い部分を、鉄道の管理業務のために占有していたのだから、ぜいたくというか資源の無駄遣いというか。国有鉄道である間は、地の利で稼ごうという発想はついぞ出ず、民営化の際に、旧国鉄資産として売却が決まった。

▼「デパ地下」(百貨店の地下食料品売り場)と並んで「駅ナカ」という新語が生まれるほど、駅構内に商業施設が次々出来、にぎわっている。国鉄民営化の産物だろう。「三公社五現業」はもはや死語である。国鉄、電電、専売が民営化、印刷や造幣が独立行政法人になるなか、周回遅れで公社化したのが郵政事業。

▼その日本郵政公社を民営化する基本方針がすったもんだの末、閣議決定されたが、与党内には、まだ民営化反対論がくすぶっているようだ。丸の内の新街区と東京駅前のロータリーを挟んで相対するのが東京中央郵便局で、やはり駅前一等地。鉄道が郵便物輸送のほとんど唯一の手段だった時代ならわかるけれど。

2004.09.01 二百十日
(にひゃくとおか)
 立春から数えて210日目のきのう、台風16号は日本列島を縫うように走り抜け、各地に大きな傷跡を残した。稲の開花時期を見計らったように台風が襲来して収穫を台無しにする厄日を、先人は二百十日(にひゃくとおか)と呼んで警戒してきた。

▼16号で今年日本に上陸した台風は6つになり、観測史上最多記録に並んだ。平均は年に2.6個。年間平均の倍以上の台風が、9月を待たずに上陸している。五輪のメダルと違って、こちらは史上最多記録の更新などはごめんだが、過去の例では、大型台風の上陸はこれから増えてくる。

▼9月の中旬と9月の下旬には、二百十日以上に大型台風の上陸が集中している特異期間がある。15日はキャサリン台風(1947年)、16日は第二室戸台風(61年)、17日は枕崎台風(45年)とアイオン台風(48年)が上陸している。15、16、17と、9月半ばは台風上陸の要警戒期間とされる。

▼後半の26日には、甚大な被害をもたらした3つの台風、洞爺丸台風(54年)と、狩野川台風(58年)、さらに伊勢湾台風(59年)がそれぞれ上陸している。高温が続き異例・異常だった今夏の気象、秋の台風も負の歴史など踏襲せず、列島上陸を避けて遠くを通過してくれればと願う。花野を分ける強き風、という程度なら……。
2004.08.16 「車窓にへばりつく子供」の減少

たくさんの子供たちが、今年もお盆休みに旅をしたに違いない。祖父母の待つ田舎へ、海や山へ。目的地に向かう車内で、彼らの視線は一様に下へ。ゲーム機、携帯電話、コミック本などに向けられたままだ。車窓を流れる景色には、とんと関心を示さない。

▼飽かずに車窓にへばりついている子供を、近ごろめったにみかけなくなった。在来線ではわずか8%だったトンネルの比率が、東海道新幹線では13%、上越新幹線では39%にもなり、行程の4割は闇を走る。しかも、町中では遮音壁が線路を覆い、景色は見えない。映りの悪い車窓という小劇場を、子供たちは見限ったのだろうか。

▼たまに車窓に映る景色は、野だて看板に原色ののぼり……。かわりばえのしない、全国どこも似たような金太郎あめ。変化に富んで懐が深いはずの日本の風景が、車窓からは見えてこない。当然、刺激的につくられたゲームやコミックの画像に軍配は上がる。

▼出来合いのおぜん立てされた「美」と違って、現実の景観は雑多な要素が混在している。そのカオスの中から、自分なりの価値をくみ取る感性は、風景の荒廃とともに薄れてゆく。風景への無関心は、他者への無関心につながる。「車窓にへばりつく子供」の減少は、無造作で殺風景な世の中の前ぶれかもしれない。

2004.06.22 平成の日本人の暮らしを振り返る。 茶髪とコンビニ。すっかり街になじんだこの風俗が登場したとき覚えた戸惑いを思い出す。だから「自分の姿に誇りを持つべきだ」と日本の茶髪の若者を批判するマレーシアの前首相、マハティール氏には虚をつかれた(21日付本紙)。

▼コンビニは現代の暮らしに欠かせない存在になった。とはいえ、深夜までこうこうと店内を照らし続ける人工的な青白い灯に、モノを通してしかつながれない若者の心象風景を見る思いがする。豊かさのなかで自明に見える身の回りの眺めを見つめ直せば、暮らしの常識やバランスを取り戻すきっかけにもなろう。

▼夏至のきのうまでの三夜続けて、東京タワーをはじめ全国の名所のライトアップを停止して夜の闇を取り戻す「100万人のキャンドルナイト」が行われた。地球温暖化防止や省エネルギーへ意識を高める目的で、スーパーやコンビニも看板などの照明を落とした。ろうそくの灯が照らしだす夜はどこか心が安らいだ。

▼「夏は夜。月の頃(ころ)はさらなり。闇もなほ、蛍のおほく飛びちがひたる」(『枕草子』)。清少納言が記した風流をいまに求めようとはいうまい。ただ平成の日本人の暮らしを振り返ると、内輪では当たり前にみえる装いが外から見れば奇異であったり、浪費や飽食で見失ったものの大きさに気づいてない例は多い。
2004.02.23 2月は何故28(29)日しかないのか?  「2月は逃げる」という。今年はうるう年だが、平年なら2月は「大の月」より3日も少ない。早く過ぎるわけである。なぜこの月だけがかくも短いのか不思議に思った人もいるだろう。話は2000年ほど前のユリウス暦採用にさかのぼる。

▼エジプトに遠征したユリウス・カエサル(シーザー)は、女王クレオパトラだけでなく、太陽暦の合理性も気に入った。早速ローマに輸入する。365日を12カ月に割り振り、6つの大、同数の小の月ができた。小のうちローマ暦で1年の最終月だった2月は平年29日、うるう年30日の調整月になった。

▼カエサルの功を讃(たた)えた元老院は彼の誕生月7月の月名をユリウスにした(英語ではジュライ)。彼の養子で初代ローマ皇帝アウグストゥスも養父にならう。8月に自分の名を押し込み(同オーガスト)小の月だった8月を皇帝月が小ではまずいと大の月にした。しわ寄せで、2月はもう1日召し上げられ28日に。

▼2月の危機は続く。次の皇帝ティベリウスに周囲のごますりが「陛下の名も月名に」と持ちかけたのだ。「皇帝が13人になったらどうする」と彼は言下に却下した。この歯止めがなければ2月はさらに短くなった可能性がある。人事の季節。お手盛りを拒絶したティベリウスの自制心は、トップの鑑(かがみ)かもしれない。
2004.01.06 「2005年問題」 松飾りが揺れる街角を、カバンを背負った子供たちがうつむきかげんで歩いてゆく。もう学習塾が始まっているらしい。たこ揚げや冬のスポーツで遊んでいるうちに過ぎていった昔のお正月と違って、今の子供の冬休みはあわただしい。

▼大学生の学力低下が心配される「2006年問題」や大学全入時代を迎える「2009年問題」に加えて、「2005年問題」がある。少子化がさらに進んで、日本の総人口が来年1億2745万人でピークを迎えるという日大人口研究所の将来推計である。増え続けてきた人口が一転して減少しはじめる。

▼下がり続ける出生率の一方で、65歳以上の高齢者の全体に占める割合は前後してイタリアを追い越し、世界一の高齢国家になるとも予測している。年金や社会福祉など暮らしの基盤に厳しさが深まるのはもちろんだが、人口が先細る社会の少数派となった若者たちには高齢層の重みと社会がどう映るだろうか。

▼学力低下問題といい、フリーターのまん延といい、若者たちが抱える問題には日本の社会構造のきしみが招いた陰画という一面がある。「2005年問題」は、将来への夢や希望を広げる若者たちには厳しい現実に違いない。ただし、歴史を見れば人々の知恵と活力で人口減社会が豊かに持続した例は少なくない。
2003.04.30 蟻(あり)とキリギリス 皮肉屋にかかれば寓話(ぐうわ)も形無しである。英国の作家サマセット・モームに、寓話をそのまま題名に借用した短編「蟻(あり)とキリギリス」がある。老後に備えこつこつ蓄える実直な弁護士の兄と、兄に世話ばかりかける放蕩(ほうとう)者の弟の話なのだが。

▼ 最後に笑ったのは、母親ほどの年の女性と結婚して、すぐ巨万の遺産を得た弟の方だったというオチがつく。幼い時から説教臭いこの寓話が嫌いでキリギリスに同情したと告白しているモームは多分、寓話を安易に真理と思い込む人たちをも皮肉りたかったのだろう。「北風と太陽」もまた、信者の多い寓話である。

▼ 1994年の朝鮮半島の核危機は、瀬戸際で平壌に飛んだカーター元米大統領が時の氏神となり米朝間の合意ができた。危機の後に韓国大統領になった金大中氏も北を訪問するなど包容(太陽)政策に専念した。両氏ともノーベル平和賞を受けている。しかし、北朝鮮の当局者が核爆弾の保有を認めた今となっては。

▼ 徒労と言うのは酷だが旅人がコートを脱がなかったのは事実だ。約束違反の核を持ちながら、その放棄には「見返り」が欲しいとずうずうしい。一般論だが、「北風一辺倒」も無鉄砲なら「太陽だけ」も危うく、相手を見て使い分けよ、ということだろう。北朝鮮のような相手なら、どうやら北風の方が効きそうだ。
2003.01.21. 「若貴時代」 「だから新しい者に“負ける”のも横綱の役目ではないかと思う」。名横綱だった大鵬幸喜さんが本紙連載の『私の履歴書』でそう書いている。伝統を背負ったプリンスの引き際は難しい。貴乃花の引退会見を見てそんな思いが深まる。

▼ けがと加齢による不安に加え、周囲からは「もう一花」への期待と「鮮やかな引き際」を求める声が交錯する。大鵬が引退を決めたのは昭和46年の夏場所の5日目。寄り切りで負けた相手が貴乃花の父の大関貴ノ花というのも奇縁である。ただ柏鵬時代と違って貴乃花が去った後の土俵の寂しさは深刻である。

▼ 兄の若乃花とともに築いた「若貴時代」は二子山という家族を背景にした華やかな平成の大相撲として記憶されようが、勝負に賭ける気迫と土俵にもたらす輝きという点で貴乃花という力士抜きには成り立たなかった。ひざの大けがを押して臨んだ優勝決定戦で、武蔵丸を制した一昨年の夏場所はその極限だった。

▼ 神様が舞い降りるという土俵で「神さびる」という言葉を実感するような相撲に出会うのはまれになった。「今はすがすがしい気持ちで、心の底から納得している」。傷だらけの花道となった貴乃花はきのう、そう語った。綱取りが期待されるモンゴル出身の朝青龍との対決を果たせなかったのが心残りだろうか。
2001.09.13. 世界貿易センタ-ビル崩壊 ニューヨーク・マンハッタン島の世界貿易センタービルは2つの顔をもっていた。1つは誇り高き金融マンの顔だ。ハドソン川を見下ろしウォール街をへいげいし自由の女神をのぞむ。不思議なもので、オフィスがエレベーターを乗り換える高層階になればなるほど誇り高かった。世界の金融センターの頂点で働く喜びがあった。

▼ もう1つの顔は、ダウンタウンに集まる庶民の広場だ。地下鉄への道すがらピザをほおばり、ちょっとしたショッピングを楽しむ。金融街の活気をのみ込んだこの高層ビルがハイジャック機に直撃され崩壊しようとは、だれが予想できただろう。ハイジャック機がビルを水平に切り裂く光景がニュースで繰り返されるたびに、数千人の尊い命を奪った卑劣なテロリストに怒りがこみ上げてくる。

▼ この世界貿易センタービルから歩いて2,3分のところにニューヨーク証券取引所がある。ニューヨーク連銀とは目と鼻の先だ。世界中のマネーを吸い寄せてきた米国資本主義の聖地がテロのために市場閉鎖に追い込まれている。テロは高層ビルだけでなく世界の市場を直撃する。

▼ 日経平均株価が1万円を割り込んだのもテロで世界経済の先行きに黒煙がたちこめているからだ。黒煙のなかで厳しいが不良債権処理を急ぐしかない。かつて金融センターの頂点に立った金融マンが誇りを取り戻さないと、卑劣なテロが日本の金融システムを揺さぶることになりかねない。
2001.09.05. なせばなる 「なせばなるなさねばならぬ何事もならぬは人のなさぬなりけり」。10日ほど前引用した上杉鷹山(ようざん)の歌を、もう一度引きたくなった。小泉純一郎首相が「特殊法人は廃止か民営化」の方針を示しているのに、各省庁が行政改革推進事務局に出したのは、ほぼ「ゼロ回答」だった。
▼もともと「なす」気がなくて「ならぬ」と言っているのだろう。この国には政府が二つある。「霞が関政府」と「虎ノ門政府」と言う人もいる。官庁街の霞が関に隣接する虎ノ門には特殊法人や認可法人のオフィスが集まっているからだ。「一般会計政府」と「財投政府」。あるいは「現役政府」と「退職者政府」と呼び変えてもよいだろう。

▼税金や国債で運営している霞が関の政府に対し、特殊法人は、おもに郵便貯金や簡易保険などで集めた財政投融資資金によって運営されてきた。特殊法人のトップは霞が関政府の事務次官や局長経験者がほとんどだ。それ以下の役職員にも霞が関の退職者が大勢天下る。官僚が自分たちの「退職後の職場」の温存に懸命なのは不思議ではない。

▼二つの政府の抵抗で、特殊法人改革の歴史は挫折の歴史だった。米沢藩の行財政改革を成し遂げた鷹山は家臣に歌を詠んで聞かせただけではない。重臣らが徒党を組み改革批判に決起した際(七家(しちけ)騒動)、切腹、隠居閉門、知行召し上げなどで臨んだ。小泉首相も人事権の行使をちらつかせている。テコでも「なさぬ」連中には、やむをえまい。
2001.05.25 シャルク 20年前、サウジアラビア東部のジュベールという場所を初めて訪れた。見渡す限り砂漠ならぬ土漠が広がる荒地。発電・海水淡水化施設が形を現し始め、起伏のある土漠をならす整地作業が続いていたが、緑のない風景は環境の厳しさを実感させた。
▼ いま同じ場所に、世界有数の石油化学コンビナートが広がっている。シェル、エクソンといった欧米の巨大石油資本の投資によって生まれた工場群とともに「シャルク」という工場がある。日本とサウジの合弁事業で、ポリエチレンやエチレングリコールの生産拠点だ。長い折衝の末に、合弁事業の契約調印に至ったのは1981年5月だった。

▼ 日本側の投資主体となったサウディ石油化学(SPDC)には三菱グループを中心とした民間企業のほか政府も出資した。「ナショナルプロジェクトだが、経営にはビジネスの原則を貫く」。日本側の主張はしばしばサウジ側とぶつかりながらも、事業を育てる意志は共通していた。三菱商事副会長、SPDC初代社長を務めた山田敬三郎さんは「信頼のきずなが成功のカギ」と述懐している。

▼ ジュベールでは80年代に植えた木が育ち、緑が増えた。ピーク時に百数十人いたシャルクの日本人スタッフはほとんど去り、今や700人近い従業員の93%はサウジ人。工場を訪れると、かつて四日市などで研修を受けた人が日本語で話しかけてくる。文化摩擦や論争を経て、20年の歴史は人間のつながりも作る。
2001.05.07 ローマ法王ギリシャ、シリア歴訪  現代の様々な対立は、遠い過去の歴史の因縁を映し出すことがある。旧ユーゴスラビアの紛争でも、この地域が古代ローマ帝国分裂時の東西の境界であり、後にオスマン・トルコ、ハプスブルク両帝国の勢力圏の境目になった歴史が、宗教の異なる民族間の対立の底流にあった。
▼ ローマ法王ヨハネ・パウロ二世のギリシャ、シリア歴訪が、欧米で大きな話題になっている。ローマ法王のギリシャ訪問は、1054年にキリスト教会が東西に分裂して以来初めて。法王はアテネでカトリック教徒の正教徒に対する過去の行為について謝罪し、ギリシャ正教会の指導者と「宗教の名による暴力を非難する」共同声明を発表した。

▼ カトリック、正教の双方の指導者にとって宗教の違いを背景とした旧ユーゴの戦乱の記憶は生々しい。共同声明は歴史的和解へ向けた重要な一歩だろう。続いて法王はシリアを訪問、6日に首都ダマスカスのウマイヤ・モスクを訪れる。ローマ法王がイスラム教のモスクに赴くのは史上初めて。このモスク自体も歴史の変遷を象徴する存在だ。

▼ ウマイヤ・モスクの敷地は、もともとローマ時代の神殿の跡。その後、キリスト教の洗礼者ヨハネ教会がここに建ち、八世紀前半に大モスクに変わった。現地ではイスラム教徒の一部が「十字軍による破壊行為への謝罪」を法王に求めているという。文明の対話、宗教間の和解を目指す試みに対し、歴史に刻み込まれてきた対立の溝もなお深い。
2001.04.20. 自民党総裁選  応援団の“場外乱闘”などもあって、自民党総裁選がおもしろい。おもしろくしているのは、4人の候補者の強烈な個性だ。事実上、橋本龍太郎、小泉純一郎両氏の一騎打ちといわれているが、麻生太郎、亀井静香両候補が出ていなければこれほどには盛り上がらなかっただろう。
▼似顔絵の山藤章二さんがラジオで4候補を野球の球種に見立てておもしろいことを言っていた。橋本氏=人を小ばかにしたようなスローカーブ。亀井氏=バッターをのけぞらせるビーンボール。小泉氏=打たれても構わないとそれしか投げない監督泣かせのストレートボール。麻生氏=行く先はボールに聞けというノーコンのフォークボール。

▼果たしてどのボールが野茂、佐々木投手のようにメジャーで通用するだろうか、というのがオチだったが、たくさんの「顔」をかいている人の見方ゆえ、なかなか味わいがあった。これまでは「だれがなっても同じ」という印象がつきまとっていたがどうやら、今回ばかりは様子が違うようだ。自民党ばかりか日本の将来も変わってくるかもしれない。

▼党所属の全国会議員と47都道府県連代表による総裁選まであと4日。前日までには予備選での結果も判明する。一般の国民はただ見ているしかないが、日本の将来がかかっているとあっては無関心ではいられない。7月の参院選は総裁選の結果をふまえ、今度は国民が審判を下す番だ。
2001.01.29 日本の品質管理の悲哀 日本の次期主力ロケットH2Aの開発が順調には進んでいない。試験をするたびに、欠陥が発見される。一例は、本来精密に加工する部品を削りすぎ、その分をメッキで厚みを補い、それがはげ、影響でベアリングに狂いが出た。メッキで修正したのは製作現場の判断だった。
▼かつて日本はQC活動を基本にした品質管理で、品質の優秀さを誇った。QC活動は、現場の経験を重視するところに基本がある。日本企業の中では、QC活動の提案という正式な手順を踏まない例も多かったと思われる。深い経験を積んだ現場の技術者が、自分の判断で製造工程を変更したり、規格外の部品を修正したに違いない。

▼原子力関係の設計者が、接着剤を指定して部品の製造を現場に依頼した。ところが現場のベテランは、もっと強力な接着剤があることを知っており、無断で接着剤の種類を変更しようとした。現場の工夫といいたいが、実は強力な接着剤は放射線に弱いという性質があった。設計者が知って慌てて元に戻したという。

▼ロケットや原子力は生産数も少なく本来、現場主義は通用しにくい。現場の判断が設計者の判断より的確であるには、様々な失敗経験があるからだろう。大量生産の製造工程は、ほとんどが自動化され、失敗経験を積んだベテランの技術者をあまり必要としない。それでも、企業の中にQC活動の意識だけが残った。そこに日本の品質管理の悲哀があるかもしれない。
2001.01.05 仕事始め 仕事始めに昔の人々は何をしていたか。柳田国男の「雪国の春」によると、雪国ではハダテといって雪の上の田植えをする習わしがあったそうだ。田植えをしながら冗談を言ったり子供と戯れたり酒を飲んだりしたという。かゆの日は地域によって7日だったり8日だったりするが、仕事始めは11日と決まっていたらしい。

▼ 21世紀の仕事始めはそれより1週間早い。現代のハダテはさしずめパソコンを立ち上げてメールの確認をすることかもしれない。さっそくメル友とのメールの交換に忙しい人もいるだろう。村社会ではともかく田植えを始めなければ共同体を維持できず収穫も期待できない。同様に現代のビジネス社会ではネットに参加し、それを活用できなければ生き残れない。

▼ あるいは仕事始めが取引先への年始のあいさつ回りという人も多いだろう。村社会の習わしはいまの会社村にも残っている。ネット時代が伝統の会社村を揺さぶっているのは事実だ。といって、ビジネスの原点が人と人との触れ合いであることに変わりはない。ベンチャービジネスの成否も人的ネットワークをどこまで築くかにかかって
いる。

▼ 柳田国男は「平たい言葉で定義づけるならば、友だちとは要するに話をする間柄である」と書いている。仕事を超えて「話をする間柄」の輪を今年どれだけ広げられるか。志は高く目線は低く、せめて昔の人のように冗談でも交わしながら、仕事始めと参りたい。
2000.12.28 西郷 隆盛  東京・上野公園の小高い丘にたつ西郷隆盛の銅像は、遠くの故郷鹿児島がある南を向いて、ほぼ1世紀の間、その後の日本社会を見つめている。いまも訪れる人の姿が絶えない。全国各地にある銅像の中で、犬を引いた西郷さんほど親しまれているものはない。
▼ 高村光雲作で建立は1897年(明治30年)。「賊軍」扱いされていた西郷が名誉を回復したのが死後12年後、建立は死後20年後のことであった。郷里の友人吉井友実の呼びかけで2万5000人の拠金でできあがった。西洋かぶれを嫌う西郷には写真が1枚も残っていないため、実物とはかなり人相が違うらしい。

▼ 死後120年以上たっているのに西郷を慕う人々は減らない。幼なじみの大久保利通率いる政府と対立し、郷里へ引き揚げて開校した「私学校」には西郷を慕う若者が2万人もおしかけた。「おごりをいましめ、節約を心がけ、よく働いて模範となり、人々に気の毒だと思われるようでなければならぬ」と説いた。

▼ この1年、「政治家の資質」が問題になった。いまだに西郷が慕われるのは、その生き方、死に方が人々の心をつかむからである。敵味方にわかれても西郷は大久保の悪口をいわなかった。大久保もまた西郷の非難めいたことは語っていない。西郷が明治維新を成し遂げ、その後の日本を大久保がつくった。新世紀の始まりに、指導者不在の状況からどう抜け出すか、真剣に考えなければなるまい。



友人飯田博己君のインドよりのレポート

貴方はご自分の前世、現世、来世はどうなのか、知りたくありませんか?
前世でも小川を飛び越えて土手に激突していたのだろうか?来世では重心を外した斜滑降は時代の脚光を浴びるのだろうか?
ご興味津津でしょうから、是非下記をご参考になさって一度チェンナイにお越し下さい。
お厚く(暑く)おもてなし致しますですよ。

デリーの商事の駐在員が下記の様な手記をしたためました。この手記の「下」の冒頭に出てくる「私の友人家族」とは商事のチェンナイ事務所にいる矢張り駐在員で、僕としょっちゅうゴルフや食事をしているのですが、彼も最近この予言を体験したことを僕に熱っぽく語ってくれました。
俄かには信じられなかったのですが、彼の臨場感ある話や、手記を読むとこの世の不思議を感じない訳には行かない気持です。勇気ある方は是非訪ねられたら如何でしょう。                   飯田 博己
 
5千年前の予言を訪ねて (上)
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  5千年前に書かれた予言がチェンナイで聞けると言う。しかも、私の生涯(前世、現世、来世)についての予言である。1987−91年、最初のインド・ボンベイ駐在時代、私はこれを単なる星占いと思い、全く興味がわかなかった。

  この予言を聞いた体験談が本や新聞で紹介されているので、最近、よくこの予言に関する質問を受けるが応えられない事が重なった。予言を聞きにわざわざ日本からこの街を訪れる人もいる。我が社や関係会社の中には、これにはまる人もいた。
 私は周囲の人に冷やかされながらも、百聞は一験?にしかずと思い体験を決意。今年1月30日夫婦でチェンナイ市を訪ねることにした。実在した聖人アガステイアがこの予言を古代タミル語で椰子の葉に残した。もう一人の聖人ヴァシスタも同 じ大昔に同じ様に予言を残し、チェンナイではこの2人の聖人の予言が聞ける。誠にチェンナイは予言で満ちた街である。予言が書かれた古代タミル語は、最近、日本語の起源として日本で注目されている。ひょっとすると、タミルナド州は我々日本人の故郷であるかも知れない。

  予言が聞けると言う館は数あるが、チェンナイから車で2時間余り、ヒンズー教の聖地・カンチプラムにある聖人アガステイアの予言が聞けると言う館に出向いた。 先方には事前に外人ということのみ伝えて10時半にアポを取得した。我が社・チェンナイ支店にとっては、この館には始めての訪問と言う。早速、館の小部屋に案内されて右手親指の指紋(妻は左手の親指)と名前の頭文字Hの2つの情報を提供。
  待たされる事30分。予言を読むナデイ・リーダーが一束、約40−50枚の椰子の葉を束ねた予言集を持って現れ紐を解いた。目の前の葉は今から5000年前に書き写されたものと言う。机をはさんで私と質疑応答が開始された。真向かいでこのリーダーが葉に書かれた古代タミル語を現代のタミル語に訳し、私の隣でチェンナイ支店のバラさんがタミル語を英語に訳してくれた。リーダーは抑揚をつけて歌うが如く忠実に読み上げる。そこに自分の意思をさしはさむことは許されない。

 2−3枚の葉に一人分の予言が書かれている。6束で約2時間近く確認作業を続けても私の葉は見つからなかった。私は出来るだけ情報を与えまいとして、そっけなく回答した。次の束を探す休憩時間に、我々の部屋の奥の部屋に日本人の観光客男性2人が案内されて入って行った。眼があった。同類かと目に書いてある。この館には、日本人とドイツ人が外人客としてよく訪れると言う。7束目を持ってリーダーが現れた。

   私はくたびれていたので、もし、次の束で見つからないなら諦めて帰りたいとコメントした。リーダーは、「見つける。」と自信に満ちた返事を一言。7束目を開けて同じような質疑応答を繰り返し始めた。遂に運命の時がやって来た。繰り出す質問が連続して当たっている。何で連続して当たるのか?質問が重なる度にだんだんと私も真剣になり、そして不思議に思い、最後は驚きに変った。遂に私の葉は見つかった。そこには私を特定するに充分な記述が正確に記されていた。

  「1問:娘は2人いる?はい、2問:娘は未だ結婚していない? はい、3問:あなたの奥さんの名前はキミコ? はい、4問:父親の名前はマサイチ?はい、5問:母親 の名前はフミ?はい、6問:父親は元気だが、母親は亡くなっている? はい、7問:兄弟は兄が一人、姉が一人いる。はい、8問:兄・姉は共に結婚し家族を持っている? はい、9問:現在、姉夫婦は別居しているか離婚している、、、10問:あなたの名前 はヒロシ、11問:今50歳、もう直ぐ51歳、12問:1953年生まれ、13問:誕生日は5月4日、14問:現在生まれた国とは違う所で働いている、15問:私企業 に勤務、16問:あなたは今そこの幹部である。」

  私は9問あたりから絶句してしまった。誰一人、初対面でここまで正確に面と向かって言い当てた人はいない。一言、一言、胸にぐさりと来てしまった。バラさんに体を揺すられて我に返った。16問目で私はこれは私の葉に相違無い旨、頭を下げた。同時にこの葉を見て胸が熱くなった。こんな予言が世の中にあったとは驚きである。残り3ヶ月余りで51歳になってしまうこの時期に来ることが、5千年前に予言されていたとは恐るべし。
  聖人はボンベイ時代に私が来ないことは先刻承知していた。そして2度目のインドの勤めの今の時期に来ることも予言していたと言える。

  その後、今度は妻の葉を探す作業に入った。2束目にその葉は簡単に見つかった。夫婦で共に驚きと感動を味わう事が出来た。見つかった葉に書かれた予言をノートに書 き写す作業に1時間要すると言うので、それを待つ間、市内のホテルで昼食を取りながらしばし感慨にふけった。科学理論は何らかの予言を行い、実験や観測によって其れが検証されるもの。5千年前に予言された内容を我々は夫婦で検証した。これを非科学と全く無視できる勇気は最早私にはなくなった。5千年前に私の人生は決まっていたのか?運命は自由意志で開かれるものと信じていたのに、、、そうだ、運命なんてものは無い、全ては諸行無常と仏の教えにあったが、、、と思い巡らせた。昼食後、予言の内容を聞きに再びこの館に出向いた。予言の総括の記述の部分をナデイ・リー ダーがノート にタミル語で記入して来てくれた。それを読んで貰いバラさんに英語で訳して貰った。

  そのやりとりをテープに録音して貰った。その後、予言の詳細が各章毎に分けて記述されているので、どの部分が欲しいかと質問受け、欲しい部分を回答。後日、英語に翻訳した記述を貰うこととした。2月10日に出来上がると言う。時計は夕方5時を回っていた。
  こうして感動の一日は終わった。
5千年前の予言を訪ねて (下)
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  心待ちしていた2月10日。その日の晩、私は生まれて初めて自分の生涯の詳細なる予言を手にした。同時に、嬉しい連絡も受けた。その日、私の友人一家が、私の経験を聞いて私が行ったと同じアガステイアの館を訪ねたのである。ご両親と娘さん2人の4人。実際に体験されたのは母親と娘さん達で父親は何故か遠慮された。幸運にも、3人全員の自分の葉はその日簡単に見つかった。順番は長女、次女、そして最後に母親。それぞれ、2束、2束、3束目で見つかり、時間はそれほどかからなかった。

  予言の内容は、母親が寿命、娘さんたちは結婚とそれぞれが一番気にしてした点がまずまず内容で満足。楽しく面白く不思議な体験であったとの一同感想を伺った。
  最後に、私の話は嘘でなかった。その通りの体験であったと心強いニュースを頂いた。

  予言は全部で16章もある。アポ取る時にお品書きの様な表を貰った。7章と(c)、(d)を除いた13の予言を手にした。これで7500ルピー(約18,750円)を支払った。
  第1章 一般論、男性は右手の親指、女性は左手の親指の指紋を採取し予言書の検索。
         本人の名前、両親の名前、仕事の状況、兄弟、姉妹、結婚等の現状の詳細と
         将来の予言が書かれている。
 第2章 金銭、家族、子供の教育、言葉と視覚
 第3章 兄弟、姉妹の数、自分と兄弟姉妹間の愛情、憎悪
 第4章 母親、家、乗り物、土地不動産、人生の喜び
 第5章 子供の誕生と死、子供を授からない理由、子供を持てない運命からの救済法、子供の将来
  第6章 病気、借金、敵にからの救済
  第7章 結婚の時期、お相手の名前と性格
  第8章 寿命、事故、危険、死年月日・時刻・場所
  第9章 父親、富、寺院への訪問、幸運、聖者の教え、慈善行為
  第10章 職業、仕事、商売、引越し、其れらの善悪
  第11章 利益、2度目の結婚
  第12章 出費そその理由、外遊、来世、解脱の方法
  特別章 (a)過去の罪、過去世の罪からの救済法
        (b)敵や困難を避けるための法
        (c)慢性病の為の治療薬
           (d)進行中の長・短周期についての予言

 私の生涯は大略以下の通り記述されていた。

 私は前世、インドはオリッサ州の生まれ。代々の軍人一家の息子として生まれた。州政府に勤務。役人としていろいろ人々を苦しめ罪を犯した。晩年になってこの罪を悔い改めて、慈善活動を行った。
 そのお陰で、現世に人間として生を受け結婚も許された。現世において、この過去の罪あるが為にいろいろな問題を抱えることになる。これらを解決するには次の方法を取りなさいとのお告げ。

   1)仕事の神様である「ガネッシュ」を祭った2つの寺院に花輪を捧げる事、
   2)保護の神様、「ビシュヌ」と結婚の神様「ラクシミ」を祭った2つの寺院に花輪を捧げる事、
   3)代理を立てて、連続9回毎週火曜日に勝利の神様、「ムルガン」に花輪を捧げる事。

 現世では、51−52歳に運が開ける。2人の娘は55−57歳の時に結婚する。著作活動を通じて多くの友人に恵まれ名声を得る。59−61歳に孫を授かる。64−66歳、大病を患うが生き延びる。78歳の6月15日から7月15日の間のいずれか土曜日に 病床において天寿を全うする。
 来世では、タミルナド州チダンバランに最高カ−ストのブラミンの息子として生まれる。
 よく勉強して博士になる。薬の研究をする職業に就く。仕事の関係で多くの外国に旅する。
 結婚を許される。

 私が2度もインドに駐在する縁があったのは、どうやら前世がインド人、来世もインド人 に生まれると言う縁から来ているのであろうか?来世では私は菜食主義者(ベジタリアン) として生活することになると言う。人間として生まれ結婚を許されるという予言であるので、気分が悪くない。
一番に気になるのは、現世での寿命である。かくも明確に言われてしまうと気にせずには居られない。思わず残りは27年と数えてしまった。

 最初にこれを読んだ時は興奮したが、時間の経過と共に面白いことを聞いたものだと余裕が出て来た。私の予言は黄色いノート2冊に纏められている。その中には記述の他にホロスコープが書かれている。
 私はこの不思議な体験をインド人の方々に聞いて見た。彼らから教えられたことは次の様な ことであった。

 1)インドのヒンズー教徒の多くは生まれた時から、星占いをベースに生活している。即ち、子供が誕生すると親が直ぐに星占い師を呼んで、そのホロスコープを書いて貰う。これは、生まれた日時と時刻で決まるもの。そのホロスコープはその個人の言わばパスポート。 結婚する時には、このホロスコープで相性をお互いに確認し合うと言う。

 2)ホロスコープが出来たら、信頼できるリーダーにこれを見せて占を書いて貰う。親は子供 にこれを人生の手引きとして渡す。その分量はその人の一生を記述して貰うので一冊の本 になる。インド人はその本を時々見ながら、毎日真面目に生きることを心がけるていると言う。神様により人生は決められており、人は役者に過ぎないとの人生観を持っている。私が驚いた事は彼らにとっては常識、当たり前のことであった。

 3)アガスステイアの予言のベースは星占い。聖人の知恵がこれに加味されていると理解される。 今回の体験で私のホロスコープが出来上がった。私は、このホロスコープで今後はリーダーの所に行き、その都度詳しく占って貰うことが出来ることになった。

 4)インドは、2月6日衆議院が解散となり実質総選挙に突入している。何時解散し、何時投票日とするか?  時刻で見て何時一票入れるか? 等、全て星占いで決められているのが舞台裏との事。これからナデイ・リーダー(占い師)は一番忙しい時期を迎えていると言う。


     インド占星学は5千年の長い歴史のあるもの。一つの学問となっている。大学では特別講座 として必修ではないが、授業で勉強し単位を取得できる。

 インド人を理解する上で私は貴重な体験をした様な気がする。国際理解とは体験から始まることを またしても教えられた。そして、限り在る人生をどう考え、過ごすのか?を考えさせられた。

 同時に、インドで又ひとつ新たな発見をした旅であった。この日の旅は不思議な体験を味わった感動の一日として生涯忘れはしないだろう。

  (気の弱い人や、予言を気にしすぎる人にはこの体験はお薦めできません。)