隙間とクモの巣

――ハキム・ベイ『TAZ』を読む――

 ネットワークは支配の現代的な形態である。リゾーム(根茎)もまた時に構造をもった権力であり得る。だから、中央集権的な権力に対置されたネットワークが、それだけでプラスに評価される理由はまったくない。支配層の方がはるかによくネットワークを形成し、有効に運用していることは、インターネットという現在もっとも注目されているネットワークの歴史をみれば明らかだ。
 いまでは周知のことなので指摘するだけにとどめるが、インターネットの基本的なコンセプトは、ランド・コーポレーションのポール・バランによって、全面的な核戦争による通信設備への攻撃から通信機能を防護するための、システムの分散化を可能にする軍事技術として提案され、実行されたのである。もちろんその反面で、基本的なハードやソフトの開発に際して、六〇年代カウンターカルチャーのなかで育った世代の脱構築的な思想や行動が、今日のインターネットを生み出すもう一つの原動力であったことをも指摘しないと公平を欠くだろう。しかしすくなくともここから分かってくるのは、その構想・技術開発・実現の基本的な過程、つまりインターネットのインフラ・ストラクチャーの基本的な部分は、国家と資本によって、その必要に即応して形成されているということだ。
 しかしそれでは、インターネットは全くの国家と資本の道具でしかないかといえば、そうではない。支配のネットワークはしばしばその拡大・強化の過程でその内部に、本来の意図を越えた、機能転換を生み出す。この機能転換をおこした部分が、ネットワークの「隙間」だ。ハキム・ベイのTAZ(The Temporary Autonomous Zone=一時的自律ゾーン)を、私流に言い換えれば、それはこのような「隙間」なのである。もちろん「隙間」はサイバースペースのなかにかぎらない。現実世界のなかにも生まれる。いや、率直に言えば、現実世界のなかの「隙間」こそが問題なのである。
 ハキム・ベイは歴史上にかつて存在したTAZの例として、海賊の根拠地としての大洋の孤島や空想的社会主義者のユートピア、さらにダンヌンツィオのフィウーメ共和国、さらにミュンヒエン・レーテまでも考察の対象にするが、しかしこのようなenclave(包領・飛び地)が、そうやすやすと存在できるわけではない。「われわれは未知の世界terra incogunita、すなわちフロンティアの残されていない初めての世紀に生きている」のだから。そのような時代のTAZについて、ハキム・ベイがどのような考えをもっているかは、つぎの引用によってあきらかだろう。

「TAZを開始することは、暴力を振るったり身を護ったりする戦術を伴うかも知れないが、しかしその偉大な強みは、それが目に見えないことにあるのだ――国家は、TAZが歴史的に定義不能であるが故に、それを理解することができない。TAZは名付けられる(出現する、あるいは介在する)やいなや、消滅せねばならないし、そのとおり消え失せるだろう。その後に残されるのは、どこか他のところで蜂起するための空っぽの外皮であって、スペクタクルという言葉では定義できないが故に、再び不可視なものとなるのである。TAZはそれゆえ、国家が遍在し、全能で、しかし同時にひび割れと空虚だらけの時代と対決するにあたっての、完璧な戦術なのだ。」(「革命を待ち受けること」)

 では、ウェブはこのTAZとどうかかわるのか。

「ウェブが進化しつつあるこの瞬間に、われわれの『他者と向き合って』肉体的に触れ合いたいという欲求を考える時、われわれは第一義的にはウェブというものを、状況がそれを求めた時には、一つのTAZからもう一つのTAZへと情報を伝達可能とする、TAZを防衛することができる、TAZを『見えなく』させるかあるいはそれに歯を与えることが可能な、支援のシステムと見なさなければならない。しかしそれだけではない。もしTAZが遊牧民の野営地であるなら、ウェブは、その部族が彼らの叙事詩、歌、系譜、そして伝説を作り出す手助けをするし、彼らに部族経済の流通経路を作り上げる秘密の隊商のルートを教え、急襲の手引きをする。そしてさらに、彼らがまさに辿らねばならない道筋のいくつかを、そして彼らがお告げや予兆として経験しなければならない夢のいくつかを含んでいるのだ。」そのうえで、彼は重要な指摘をする。「ウェブはその存在を、どんなコンピュータ・テクノロジーにも依存してはいない。」そしてさらに言う。「TAZはまず第一に、メディアによる媒介を避けようとするが、それはその存在を媒介されないものとして経験したいがためである。」「しかし、しかし、ウェブのまさにその本質は、媒介することに他ならないのだ。」(「ネットとウェブ」)

 テクノロジーと反テクノロジー、あるいは直接性と媒介性に引き裂かれたところにTAZは存在している。と言っても、べつに悲観する必要はない。ここでは、ウェブという「媒介」は直接性を形成する媒介なのだから。ネットワークという支配に対抗するためには、テクノロジーと反テクノロジー、あるいは直接性と媒介性という二項対立を、理念的にではなく、現実世界の方に向かって乗り越えなければならない。その乗り越えの契機は、おそらく距離を無化する速度を大衆が手にしたという現実である。われわれに必要なのは、けっして国際資本や国家連合が支配のテクノロジーとしてもっている速度を「遅延化」することではないし、ましてその種の「速度」を獲得することではない。関係性の距離を無限に縮めることによって、速度を無化するような速度を獲得することだ。
 ヴェトナム戦争の敗北から学んだペンタゴンは、湾岸戦争でわれわれを決定的に敗北においこんだ。われわれはかれらの速度にはっきり言って手も足も出なかった。しかしいまは違う。つぎはわれわれは互角にたたかい、勝利することもできるかもしれない。そのためにも、TAZについてハキム・ベイの語るところをもうすこし聞いてみよう。

「『オルタナティヴな』BBSを間にやり取りされる情報とは、まったくのところ、無駄話や技術系用語の詰まった会話からなるように思える。」「わたしは本当に、これ以上にデータを得るため、パソコンを必要としているのか?」(「同」)

 一瞬、これを書いたのはこの俺ではないかと疑ってしまう。さまざまな運動の活動家の大部分が、ネットワークのとばくちにたたずみ、あるいはちょっと入ってすぐに出てきてしまう原因は、まさにこのような状況に直面するからだ。わたしは本当に、これ以上にデータを得るため、パソコンを必要としているのか? という自問は、同時に、われわれにとって情報とは何か、なぜわれわれは情報を必要とするのか、それはどのような情報か? という問いを生み出す。情報を受け取るこのわたしはいったい何なんだ、という問いである。情報それ自体が目的ではないし、ましてそれをハードディスクに貯め込むことが重要なのでもない。
 それを考えるとき、わたしはときどき、いや、かならずと言っていいほど、六〇年代の後半から七〇年代にかけて、太田昌国たちがやった『世界革命運動情報』のことを思い出す。「世界」も「革命」も「運動」も変わってしまったいまでも、この毎号七二頁というページ建てをマニアックに厳守して刊行をつづけた、ほとんど手作りと言っていいタイプ謄写印刷の雑誌を書棚の一隅から取り出してながめると、それはおのずと「情報」についてわれわれが考えなければならない基本的なコンセプトを提供しているとおもわれる。
 そこで提供されている「情報」のすべてが、世界の革命運動のメディアからの「転載」「紹介」である。にもかかわらず、その情報を紹介するという行為の一つひとつに、この雑誌を共同で作っている人たちのこの国の「運動」にたいする批判・提案・主張がこめられていて、情報の選択やその紹介のスタイルのなかに、彼らの思想と責任のすべてがこめられているのを、読者は紙面からひしひしと感じたのだった。だから読者は、その「情報」から読者自身の世界に対する視野を拡げ、主体的に自己の行為=生き方を選択する契機を手に入れることができたのである。一九六八年一〇月発行の第一四号の編集後記にM・Oと署名した人がつぎのように書いている。

 「研究会は毎週水曜日夜、レボルト社で行っている。今後数週のテーマは……(中略)。参加希望者はレボルト社に連絡されたい。本誌の編集はすべてこの研究会での討論が基礎となっている。本号も名は記せないが多くの共同研究者・翻訳協力者の援助を受けた。」

 ここからは、研究と問題の設定、情報の探索、翻訳と編集、そしてメディア化という全過程が、するどい目的意識をもった共同の作業として行われていることがよくわかる。
 二〇〇〇部前後の部数しか出なかった『世界革命運動情報』だが、ここで提供される「情報」によって、自分の生き方を変えた青年はすくなくない。いま、二〇〇万のユーザーを相手にすると称しているフォーラムやニュース・グループの提供する情報にどれだけのインパクトがあるか。言うまでもない、ほとんど無だ。もちろん時代が変わったということは百も承知で、しかし、われわれにとって情報とは何か、なぜわれわれは情報を必要とするのか、それはどのような情報か? という問いに主体的に向き合うことは、情報を送り出すもの、情報を「転載」するもの、そしてその情報を受け取るものに共通する、時代を越えた情報と主体との基本的な関係なのだ。膨大に垂れ流される情報、原発信者の具体的な身体性――怒り、苦悩、痛み、そして彼/彼女をとりまく状況の具体性――が、どんどんと希薄になっていくような、ある種の流通過程。そのような脱色された情報は、けっきょく受け手の受動性を強化してしまう。ほんらい双方向性や相互主体性こそが生命であるウェブにもかかわらず。
 ハキム・ベイは言っている。――「カウンターネットは拡張しなければならない。現在、それは現実性よりも抽象性を色濃く反映している。電子マガジンやBBSは情報を交換しており、それはTAZに必要な下地の一部である、がしかし、その情報のほんの一部しか自律した生活に必要なものやサービスの形成に関与していないのである。われわれはサイバースペースに暮らしているのではなく、われわれがそうしているのだと夢みることは、サイバーグノーシス主義への堕落であり、身体の偽りの超越である。TAZはフィジカルな場所であり、そしてわれわれはその中にいたり、いなかったりするだけだ。」「ウェブがなければ、TAZ複合体の完全な実現は不可能であろう。しかしウェブはそれ自体が目的ではない。武器なのである。」(「情報のバビロンにおけるネズミの巣」)

 ……と、ここまでわたしはもっぱらハキム・ベイの文章に仮託して、現在のこの国のネットワーカーたちにたいするいささか偏狭な不満をぶちまけてきた。ここに引用したハキム・ベイの文章もまた、そういう偏狭な立場からの選択であることは言うまでもない。もちろんすべてがそうであるわけではない。運動のなかから集団的に立ちあげられたサイトには、まさに武器としてのウェブと呼ぶにふさわしいものがいくつもある。世界とわれわれをむすぶウェブもいくつもある。また個人のホームページにも、長年の研究や運動経験によって支えられた、きわめてアクチュアルでしかも貴重な情報と主張に満ちているものもある。それらからは日常的に恩恵をこうむっている。そのことははっきりと言っておく。
 さて、ハキム・ベイにもどろう。いままでの紹介はこの本のいくつかのなかのひとつの側面に過ぎない。「存在論的アナーキズム」を標榜するかれの本領は、詩的言語や表現をさまざまに駆使して、解放の空間をイメージしてみせることにある。だいたいこのTAZにしてからが、「九分通りの詩的イメージ以上のものと受け取られて欲しくない」と言っているのだ。そしてその領域では、われわれはかつてのシチュアシオニストやアウトノミアやドゥルーズ‐ガタリのミクロポリティックスに通底する主張やイメージに遭遇する。そこでかれがしめす身振りは、国家から徹底的に逃げ了すことだ。
 わたしは最初に「TAZは名付けられる(出現する、あるいは介在する)やいなや、消滅せねばならない」というハキム・ベイの言葉を引用した。しかしその後のわたしの記述は、消滅よりもエルンスト・ブロッホ風の「占拠」に近い語り口として受け取られたかも知れない。ハキム・ベイもそこは、かならずしも一義的な言い方をしているわけではない。現実世界のなかとサイバースペースのなかでのTAZの存在形式についてかれはこう言っている。

「TAZは、時間のなかに一時的にではあるが実際に存在し、そして空間のなかにも、一時的にではあるが実際に存在するものだ。しかし明らかにそれは、ウェブのなかにも『存在』する。そして、その存在は別種のものでなければならない、つまり、アクチュアルではなくヴァーチャルで、直接的なものではなく瞬間的なものでなければならないのである。ウェブは、TAZに兵站業務的な支援を与えるだけではなく、それを存在させるための手助けをもする。端的に、TAZは『現実世界』においてと同様に、情報空間においても『存在』すると言うことができるのである。ウェブは、データと同じように、膨大な時間を凝縮して小さな『スペース』とすることができる。われわれは、それが一時的なものであるという理由から、TAZが必然的に、時間的継続と、多かれ少なかれ定められた場を経験するという自由の、あるものを欠かねばならないということに言及してきた。しかしウェブは、それら時間的継続と場の一種の代用となる何者かを与えることができる――それはTAZに、その発端から、データとして『詳細に区分された』膨大な凝縮された時間と空間とを与えることができるのである。」(「ネットとウェブ」)

 ハキム・ベイの言う「消滅」とは、たえざる転戦であり自己の既成性にたいするたえざる警戒と批判つまり自己否定である。その立場からかれはTAZの要件として、「移動生活者集団」(バンド)、「祝祭」(パーティー)、そして「サイキック・ノマディズム」の三つをあげている。TAZは、たえず移り歩く者(ノマド)であることによって国家から逃れる。そしてその内部はつねに祝祭の空間でなければならない。なぜならそこにおいて、「権威構造のすべてが饗宴と祝賀へと溶解する」からだ。「ディナー・パーティのように数人の友人たちだけに扉を開いているか、あるいはビー=インのように何千人もの参加者に門戸を開いているかにかかわらず、『指図されていない』が故に、パーティは常に『解放されて』いる」。そしてサイキック・ノマディズムの最終的なイメージをつぎのように描いてみせる。「これらのノマドは、不思議な星をたよりに彼らの進路を地図に記すが、その星々は、サイバースペースの輝くデータの星団、あるいは恐らく幻覚である。国家地図は捨て、その上に政治的変革の地図を、その上にネットの地図を、特に隠匿された情報の流れと記号論とを強調したカウンター・ネットの地図を置くのだ――そして最後に、それら総ての上を、創造的なイマジネーション、美学、価値の実物大の地図で覆うのだ。それらが集まって作り出す地図の碁盤目は、エネルギーの予期せぬ小さな渦と波、光の凝集、秘密トンネル、驚愕により命を吹き込まれ、われわれの生活となるのである。」(毎日の暮らしのサイコトポロジー(精神位相学)」)

 ハキム・ベイ(Hakim Bey)の『一時的自律ゾーン――存在論的アナーキー、詩的テロリズム』(The Temporary Autonomous Zone― Ontological Anarchy, Poetic Terrorism, 1985)と題されたこの本には、じつはこの「一時的自律ゾーン」の前に、「カオス―存在論的アナーキズムの宣伝ビラ」と「存在論的アナーキー協会のコミュニケ」の二編が置かれている。そこでは話は古今東西へと時空を飛び、はなはだ刺激的な、まさにアナーキーな展開をみせるのだが、それを要約して紹介するのはいささかくたびれる。またその一部(「存在論的アナーキズムの宣伝ビラ」の約半分)が『インパクション』86号に箕輪裕氏によって翻訳紹介されている。それだけが理由ではないが、ここでは結論的な第三部だけを対象にした。一部、二部の方にこそハキム・ベイの本領があると見る人も多いだろう。わたしもその意見にほとんど同意する。しかし第三部をサイバースペースと現実世界を結ぶ組織論として読むという誘惑から、わたしは逃れられなかったのである。

 この本の全体の翻訳は、ちかくインパクト出版会から刊行される。〔本稿の執筆にあたって、その翻訳草稿を参照させていただいた。感謝したい。原文は、インターネット上のハキム・ベイのサイト、http://www.t0.or.at/hakimbey/hakimbey.htmで読むことができる。なお、かれは反著作権運動の推進者のひとりで、かれの著作は自由に複製、翻訳、出版することができる。(『月刊フォーラム』1997年4月号)